潜在意識から読み解く『みぃちゃん物語A面・B面』5年老いた母と私
この物語は、私、ワンネスカウンセラー瑞羽が、生まれてから今までに辿ってきた人生を物語風に語ってみたものです。
ただし、普通の物語とはちょっと変わった書き方にしてみようと思います。
「みぃちゃんA面」と「みぃちゃんB面」
同じ出来事を二つ側面から語った物語です。
「みぃちゃんA面」は、私が記憶している顕在意識から見た物語。
「みぃちゃんB面」は、私が潜在意識から見ていた物語です。
B面はサイキックセンスやヒプノセラピーを通じて、潜在意識で見て来た私のもう一つの物語です。
顕在意識とは、普段私たちが認識している意識。
潜在意識とは、普段私たちが認識出来ない意識。
普段私たちは、認識している顕在意識の世界がすべてのように思っていますが、実はまったく逆です。実際には、潜在意識が95%もの意識を司っていて、現実の世界にも影響を与えているのです。
顕在意識と潜在意識。
二つの世界と、そのつながりや違いを感じて貰えたらと思います。
では、どうぞ。
みぃちゃん物語A面(顕在意識)5
年老いた母と私
実家は茨城だった。
父を看取り、祖母を看取り、母は一人になってしまった。
ちょうどその頃、東日本大震災があって、茨城の実家もかなり修理が必要になってしまった。
余震も多く、不安になった母は私の暮らす埼玉に引っ越すことに決めた。
私は主人の実家に二世帯同居しているため、母は私の住む街の近くのマンションで一人暮らしすることになった。
慣れない場所での一人暮らし。いろいろな不安があったのかも知れない。
でも私の顔を見る度に
「あんたの言う通りに引っ越して来たけど、マンションなんかに住むんじゃなかった。向こうの家に住んでいたかった。来るんじゃなかった。」
と言われるようになり、私はそう言われる度に傷ついていた。
確かに、「それがいいんじゃない?」とは言ったけど、こっちに来ると決めたのは母だった。
私は責められているような気がして、辛かった。
その後、母はだんだん弱ってきて、一人でいるのが不安だから施設に入りたいと言った。なるべく自立型の良さそうな施設をと、いくつも見学して決めて、入居することになった。
でもしばらくすると、会う度、愚痴を言うようになった。
「あんたの言う通りに施設に入ったけど、こんな所に入るんじゃなかった。マンションの方がよかった。」
確かに、一人暮らしとは違って、施設での生活は気を遣うことも多く大変そうだった。
でも、決めたのは母だった。
母の気持ちはわかるけれど、そんな風に言われて、私はまた傷ついた。
母が幸せになるように、その都度考えてきたつもりだった。
それなのに、どうしてこうなってしまうんだろう。
どうすれば、よかったのだろう。
どうして母は、幸せになれないんだろう。
答えの出ない問いを、ぐるぐると考え繰り返していた。
みぃちゃん物語B面(潜在意識)5
年老いた母と私
母のことを許せてからは、本当は母のことを大好きだった気持ちを思い出せて、とても楽になった。
だんだん年老いて、生活環境も変わってくる母の力になりたいと思った。
だから母の願いも叶えてあげたいと思っていた。
近くに住むようになって、親孝行したいと思っていた。
それなのに、"私のせい"という感じの事を言われたり、会う度に愚痴を聞かされるようになって、また心がしんどくなって来ていた。
そんな時、ワンネスインスティテュートの叶礼美先生に出会い、半年間の霊性教育の講座を受けることになった。
その中で母に対する気持ちを、もう一度、深く潜在意識からみることになった。
「引越して来るんじゃなかった。」と言った母の気持ちを感じてみると、実家で引越しの準備をする母の姿が浮かんできた。
高齢で、一人でする引越しの準備はとても大変で、また、今まで住んでいた家や物と別れる辛さや寂しさを強く感じた。
私も手伝いに行っていたけれど、目の前の物事を片付けるのに必死で、そんな母の寂しい気持ちには気づけていなかった。
こんなにも辛かったのか・・。
母の気持ちを理解することができた。
またカウンセリングしてくれた方に、"お母さんは、あなたを本当はすごく頼りにしているし、感謝している。"と言われて、"そうかも知れない"と思えた。
すると実際に、その後に会ったときに
「本当に感謝している。」と言われたのだ。
そのことに、とても驚いた。
人の想いは、目に見えていることだけではないのだ。そんな風に感じられた。
しかし、その後も施設への愚痴は無くなることはなく、どんどん酷くなっていった。
そんな母を見ているのは、やはり辛かった。
どうしても母は幸せそうには、見えなかった。
どうしてこんなにモヤモヤしてしまうのか。
私はいつでも、
"母を幸せにしたい"と強く強く思っていたことに気づいた。
母に笑って欲しくて、幸せになって欲しくて、がんばっているつもりなのに、母が会う度に愚痴を言うので、どうしても幸せだとは思えなくて、その度に責められているように感じてしまう。
それがとっても辛いのだった。
この思いは、私が子どもの頃から心の中に深く持っていたものだと感じた。
それは、ただの願いという気持ちを超えて、もはや義務ような気持ちになっていた。
"私が母を幸せにしなくては、いけない。"
"母を幸せに出来ない自分は、ダメだ。"
"母を幸せに出来ない自分には、価値が無い。"
大袈裟に聞こえるかも知れないが、心の深くを覗いていくと、そんな自分の本音が隠れていた。
仕事でいっぱいいっぱいで、疲れて愚痴を言う母を、本当は助けてあげたくて、一生懸命に話しを聞いていた。
けれど、それでは上手くいかなかった。
母の愚痴は無くならないし、母は幸せそうに見えなかった。
だから私は自分を責め、母を責めていたのだった。
潜在意識の中で、本当の気持ちを母に伝えた。
お母さんが苦しそうで、だから話しを聞いて楽にさせてあげたかった。
だけど、話しを聞いても、お母さんが笑顔にならなくて、つらかった。
本当は私の話しも聞いて欲しかったのに。
そう伝えると、お母さんは泣いて謝ってくれた。
そのお母さんの姿を見て、
私が本当に会いたかったのは、このお母さんだった・・・と思った。
母は本当は、とても優しくて、純粋で美しい魂の人だった。
私はその姿に、ずっと会いたかったのだ。
そして、自分もまた、自分の本当の姿を、自分の本質をわかって欲しいと強く願っていたのだ。
話しを聞いて欲しい・・という思いの裏には、こんな願いがあったのだ。
本当の母に会いたい。
本当の自分をわかって欲しい。
それが、私の心の奥に隠されていた本音だった。
私は、母がその真実の姿でなければ、ダメだと思ってしまっていた。
そして、自分のことも、
誰かに見つけて貰えなければ、
誰かにわかって貰えなければ、
本当の自分は居なくなってしまう。
そんな風に思っていたのだ。
だけど・・・本当だろうか???
そう問いかけた時に
自分の中の思い込みの壁が、やっと崩れたのだ。
誰にわかって貰えなくても、
誰に見つけて貰えなくても、
私は、私だ。
私が、無くなったりはしないのだ。
私の本質は、変わらないのだ。
母も同じ。
その姿がどんな風に見えたとしても、
どんな風に現れていても、
母は、母なのだ。
母の本質も、変わらないのだ。
こんなシンプルなことが、
ずっとわからなかった。
私はずっとこのことに怯えていたのだ。
誰よりも、自分のことを責め続けていたのは自分だった。
誰よりも、自分のことを裁き続けていたのも自分だった。
このことに気づいて
本当に、心の底から、
安堵が広がった。
ただ、私は私であればよかった。
ただ、母は母であればよかった。
深く深く自分を責め続け、
ジャッジし続けていた、
握りしめていた思いを、
ようやく手放すことが出来た瞬間だった。
本当はとても優しくて、純粋で美しい心を持っている母は、とても不器用で、社会の中でバカにされないように、たくさんの鎧をつけて、自分ではない自分を演じようとしていた。
それが苦しくて、愚痴を言うことでストレスを解消していたのだと思う。
そして、施設の中で暮らさなければいけない母も、同じなのだろう。
母はただ、自分の人生を一生懸命に生きているだけなのだ。
それで、充分なのだ。
ただ、生きていているだけで、それでいいのだ。
それできっと、幸せなのだ。
私は、大丈夫だ。
母も、大丈夫なんだ。
私たちはただ二つの純粋な魂だった。
それぞれにただ一生懸命生きているだけだった。
巡り会えたことに、
共に生きて来られたことに、
ただただ、深く感謝が溢れた。
お母さん、ありがとう。
共に生きてくれて。
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