夢は失ってしまった過去を映す魔法劇場

その時々でよく見る夢のパターンがある。

少し前までは出身高校にあった図書室がとても美しくデフォルメされた形で存在し、その場所に行けることが大変楽しみであった。
けれど、その夢の図書館を強く意識することで
睡眠状態の脳が興奮してしまい、途中で目が覚めてしまったり
図書室の入り口の分厚い扉に頑強な鍵が掛けられて、
ある時期を境に出入りすることができなくなった。

夢のモデルとなった出身高校の図書室は、耐震性の問題で取り壊され
もう地球上のどこにも存在しない。

夢が失ってしまったモノや人を追い求める自分専用の魔法劇場であることは
よく知られている事実である。失ってしまったからこそ図書室の夢をよく見ていたのだとも思う。

最近よく見る夢は3パターンあって
・売却してしまって、既に他の人が住んでいる実家に戻っている夢
・会社を辞めて大学に再受験しようとしたり、
 二度目の高校生活の受験シーズンになって、進学先を考えている夢
・現実の繁華街がデフォルメされた形で変容し、その街路を歩いている夢

繁華街は現実でもまだ実在するんだけど
上の二つはもう失われてしまった場所や
取り戻すことができない時代にこだわっている夢だ。

多くの時を過ごした実家を再訪していると、堪らない気持ちになるし
夢の中でも”もう他の人が住んでいる家”を訪れることができる状況が現実ではあり得ないと思うフェーズに入ってしまったので
図書室の夢のように、そう遠くない未来に夢の中ですら実家に出入りすることができなくなってしまうのかもしれない。

ちょうど去年の今あたりの時期から、なにかの加減が変わったのか
日常生活していて漂ってくる匂いが、過去の記憶を連れてくることが
よく起こるようになった。
親戚の家の匂い、子供の頃通っていた公文教室の蚊取り線香の匂い
幼稚園のおやつの時間のときの匂い、潰れてしまった地元のスーパーの匂い
アルバイト先の厨房の匂い

それらの匂いの記憶の元になった場所も
この世から無くなってしまったり、
ずっと昔に自分とは関係が無くなってしまった場所のものだ。

ふとそういう香りに出会うと、まだその場所が実はどこかに存在しているのではないかと錯覚を起こしそうになる。

去年の12月から今年の7月末まで
ちょっと体調を崩してしまい、これから生きていて定年を迎えるまで
こんなに長い時間休むことはもう無いだろうと思うくらい
長い休みを過ごすことができた。

そういう生活をしていることが後ろめたくはあったのだけど
「書く」ことに対するスタンスも変わったように思う。

チベット仏教など神秘的な視点を通してこの世の不思議を探求したいと思ったし、やってみたい格闘技に身を投じたり、仕事に力を入れたりして
実生活をがむしゃらに生きる中での書くことに向き直ってみたいと思った。

24歳から今年までの12年間は書くことで人生や日常を豊かにしたいと思っていた。36歳を迎える2023年は特に根拠があったわけではないけれど何かしら目標の目安みたいな年として設定していた。
そしていざ干支が巡ってくると、この次の12年はこういう風に生きていきたいと思う像が、朧げながら姿を現しはじめたのだ。

僕はタイムトラベルできる過去という時間は存在しないと思っている。
銀河ヒッチハイクガイドみたいに、地球が巨大な計算機などではない限り
その時存在していた粒子の位置がどのようになっていたなんて
バックアップなしで動き続けているようにしか思えないのだ。

だからこそ、この世ではない夢の世界で
ボーナストラックのように失われてしまった過去の幻影と向き合う時間は面白い。心を捕える失くしたものも、ライフステージが動いていくにつれて移ろっていくからその時々でよく見る夢も変わってゆく。
そこに今の自分がどういう状態にあるか、判断するヒントがあるように思う



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