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15.なぜ差異を探す研究が多いのか?

分布の研究をしていると気づくことがある。それは心理社会医学系では分布の数理パターンに興味を持つ研究者が少ない、ということである。実際、精神科医や心理学者に「一般社会の抑うつ症状はどんな数理分布に従うか?」と質問しても、「そんなこと知らない」と答える人が大半だろう。

分布の数理パターンはその現象の仕組みを反映する。つまり分布の数理をパターンが解れば、その現象の仕組みを理解できる。しかし、なぜか分布の形への関心が低い。

一般的に人は違いにはすぐ気づくが、根源的なルールに気づきにくい。鉄や金や鉄の重さが違うことは紀元前から知られていた。しかし自由落下の法則(重さに関係なく物は加速的に落下する)や振り子の法則(重さに関係なく、振り子は同じ時間で往復する)は17世紀になって初めて発見された。

自由落下の法則や振り子は比較的最近になって見つかったことを知った時、物体に関係なく共通する法則というのは案外気づきにくいものなのだと思った。技術的には自由落下の法則や振り子の法則を観察するのは難しくない。斜台や振り子があれば簡単に観察できる。

一方、金や鉄の性質を知るにはまず金属の精錬技術が必要である。灰吹き法による金銀の抽出や鉄の精錬の方が労力もかかるし、簡単ではない。しかし灰吹き法(紀元前3000年のバビロニアでは既に使われていた)や鉄の精錬(紀元前1500年頃にヒッタイトが鉄の精錬を始めた)は紀元前に見つかっている。観察の容易さを考えると、自由落下や振り子の法則はもう少し早く発見されてもおかしくないのではと思う。

ではなぜ自由落下や振り子の法則の法則は近代まで発見されなかったのだろうか?その理由の一つとして人は差異には関心が向くが、根源的なルールには関心が向きにくい、ということが大きいと思われる。

実際、心理学や社会学でも、差異を調べる研究は盛んに行われる。たとえば日本と諸外国の幸福度を比較したり、収入の差による幸福度の違いを調べたりする論文は大量に発表されている。比較することには人の関心が集まるが、そこに存在する本質的ルールには関心が向きにくいのだろう。根源的な問題に興味を持つ研究者が少ないのかもしれない。

比較することは人間の本能に根差している。差異を見つけると実益が大きいからだ。より硬くて折れにくい剣を作ることができれば他国を侵略できるかもしれない。より輝く金言を精錬できればご婦人方をを喜ばせることができる。当然違いを見いだすことに人々の関心が向くのだろう。

逆に考えると、現象の背後に存在する統一したルールを見つけようとするのは、かなり不自然な作業と言える。分布の研究者が少ないのも理解できるような気がする。

身長が正規分布に従うと言われても、あまり関心を持つ人はいないだろう。やはり皆が知りたいのは、どうやったら身長が高くなるのか、身長が高い人はどうして高いのか、といった問題だろう。


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