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ADHDが発覚するまで


ADHDだと分かったのは高校を卒業してからのこと。
それまでは違和感はあったけれど、自分は「普通」だと思ってた。

発覚に至った経緯としては、当時お付き合いしていた相手からのDVで睡眠が取れなくなったり、過呼吸になるようになり心療内科にかかった。

また以前から「癇癪」はあったけれど、特に問題視はしてなかった。

その時は安心して眠りたいの一心で病院に向かった。
先生とお話をしていくうちに、最初は双極性障害を疑われた。
その日は様子見も含めて、双極性障害に効くお薬と睡眠薬をもらった。

その次の診察の時に、引っ越すことを話した。
けれど、もうすぐ引っ越すのに荷物は何一つまとめられていなかった。
先生に、「荷物が詰められないんです」と伝えた。
そしたら、先生から一言。
「片付けは昔から苦手?」と聞かれた。

たしかに、めるは昔からお片付けが出来ない。
整理整頓も出来ないし、修学旅行は行きは入ってた荷物が帰りには入らないことがよくあった。
だけど、それもめるはみんな出来ないと思ってた。
出来る人はすごいんだと思ってた。
出来ないことに違和感を全く持っていなかった。

その話を伝えると、先生から
「ADHDの疑いがあるね」と言われた。
初めて聞いた言葉で何を言われてるのか全くわからなかった。
話を聞くと、たしかにそんなこともあったなぁと心当たりばかりだった。

そのあとに
「うちではADHDが見れないから病院を紹介するね」と言われ、よくわからないまま転院することになった。

家に帰ってADHDについて調べた。
発達障害って出てきた。
正直に言えば、悲しかった。
めるが発達障害、、、。
そんなわけないと思いたかった。
当時は受け入れられなかった。

転院先の病院で、検査をすることになった。
検査は長くて、つまらなくて途中で飽きてしまった。
とても疲れた。
でも、検査中に気づいてしまった。
出来ないものが何個もあった。
検査中に悲しくなり、泣きそうになった。
まさか出来ないなんて思わなかった、、、。

後日、検査結果を聞いた。
「ADHDですね」
その一言を聞いて、涙が出た。

「あー、める発達障害なんだ、、、そっか、、、」

先生が説明をしてくれてる間、何一つ耳に入らなかった。
聞いてられなかった。
嘘だと思いたかった。

立ち会っていたお母さんから聞いたのは
情報伝達に遅れがあり、平均に比べて数値が低いとのこと。
的確に出来ないことを指摘されて何も言えなかった。
全て事実だった。

そして、帰宅後お母さんに言われた。

「気づいてあげられなくてごめんね」

めるはこの年で知れて良かったって思った。
もう少し若かったら、受け入れられず絶望や悲しみの感情になってたと思う。
大人になった今だからこそ、受け入れられなくても前を向こうとは思える。

家に着いてからは、冷静になりよく考えてみれば「だからそうだったのか」と納得がいった。
けれど、めるは「ADHDだから出来ない」とは言わない。
この障害のせいにするつもりも、この障害に甘えるつもりもない。
「発達障害だから」とは何があっても言わない。

納得し、受け入れたとしても出来ないことや苦手なことを障害のせいにだけはしたくない。
癇癪も注意力もその他の苦手なこともADHDのせいだとしても
どうしたら出来るか
どうしたら最小限に抑えられるか
何かで補うことは出来ないか
それを考えようと思う。

今は、診断されてから日も経っていてだいぶ自分のことが分かってきた。
何が出来て何が出来ないのか
そして何で補えるのか
パソコンやスマホのメモに記入をして防げる方法を考えてる。

例えば、癇癪や発作は記憶が途切れてることがある。
そういう場合は、身近な人に聞いて改善点を考える。

これだけでも少し気持ち的にも身体的にも楽になった。


そして、もう1つ。
「普通」を捨てた。
普通ってそもそもなに?ってなってしまうけど、普通なんてないも同然だし人によって普通の定義も違う。
周りの普通からめるが外れてたとしてもめるはそれでいい。
個性いっぱいのめるでいい。

めるだけが持ってるものって聞くとなんだか素敵でしょ?☺️
だからめるは「普通」じゃなくていい。


ほんとは、診断された時受け入れられず傷ついた自分もいた。
けど、周りの支えや考え方を変えたことによって前がむけるようになった!


けれど、こう思えるようになるまで2年かかった。
長いような短いような時間。
めるにとってはとても長くてしんどい2年間だった。
毎日が嫌でたまらなくて明日なんて来ないで欲しかった。
朝が来てしまうから眠るのも嫌だった。
辛い2年間だったけれど、お母さんやお付き合いさせてもらってる彼がいてくれたから乗り越えられた。

周りには感謝してもしきれないくらいたくさんありがとうの気持ち。

いつかきちんと恩返しがしたい。
そしていつか、同じ障害を持つ方にも「大丈夫だよ」と伝えたい。

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