「出来ない」から「出来る」へ 2


意欲や向上心が下がってきた頃、睡眠もまともに取れなくなった。
寝れない日が続き、体調も悪かった。

世間体を気にする祖母にとって、「うつ病」は恥だった。
バレないようにバイト代で心療内科にかかった。
薬を出されて飲んでみたけど、当時のめるはすぐ効くと思っていたから効かないことに気づき服薬を辞め、通うのも辞めた。

バイトを始めてからは家に帰ることが減った。
当時の彼氏と過ごしたり、友達と夜通し遊んだりそういう生活を送っていた。
祖母が心配性なのを分かっていたから苦しめばいいとそう思った。

そんな時に出会った当時の彼氏が初めて好きになった人だった。
今までのことを話しても、そばにいてくれてたくさん気にかけてくれた。
同じように色んなことからめるを守ってくれた。
とても頼もしかった。
けれども、めるの気持ちは満たされることもなく申し訳なさだけが募った。

「こんなめるといてくれてありがとう」
「こんなめるにたくさん色んなことをしてくれてありがとう、ごめんね。」

勉強すら頑張れなかった、出来なかったなんの取り柄もないめるをなんで好きでいてくれるんだろうと不思議だった。


小さい頃からの癇癪で、抑えが効かず彼氏に当たることもあった。
自分でも歯止めが効かなくなる。
それでも彼はそばに居てくれた。
少しずつ癇癪も収まり、穏やかに生活出来るようになった。
けれど、めるを認めてくれる彼を失うのが怖かった。
気づけば依存していた。


距離が近くなるにつれ、彼との関係も悪くなった。
「何も出来ない自分」が彼との関係を悪くしてしまった。
自信が無いから不安になってしまう。
そしてその不安を消化出来ず、彼にぶつけてしまう。
彼に依存したが故、彼を追い詰めた。
そこに重なるように彼のお仕事が上手くいかず、めるは彼のストレス発散の場に変わった。
自信がないから離れて欲しくないから言うことを聞く。
嫌われるのが怖いから許してしまう。

大人しくしていても彼の機嫌が悪いと手が出る。
いつの間にかそれが毎日のようになっていた。
でも、当時のめるはそれが悪い事だと思わなかった。
「彼を気遣えないめるが悪い」
「何も出来ないめるが悪い」
そう思った。
「何も出来ないくせに」と言われてもその通りだからこそ何も言えなかった。
謝ることしか出来なかった。

けれど、そのあとの彼は優しかった。
当時はそれがDVという認識はなかった。
めるが悪いから。
彼を怒らせてしまうめるが悪い。

ほんとは辛かった悲しかった。
痛くて助けて欲しかった。
でも出来ないめるが怒らせてるから誰にも言えなかった。
そうじゃない時は優しいから怒らせるめるが悪いそう思い込んでいた。

けど、私も強くなかった。
限界が来た。
毎晩泣いていた。
頻度が多くなり、体が動かないこともあった。

そんな時、定期的に来てくれていた友達が変化に気づいた。
その友達に全てを話した。
そうしたら友達は
「めるちゃんが悪くても手を出すのは違う。」
その友達から母に話が伝わった。
めるは同棲していた家から出され、実家に戻ることになった。

当時はめるも幼かったんだと思う。
殴られても何をされても彼といれるならなんでも良かった。
だからどんな形でもいいから、そばに居たかった。
でも、周りがそれを止めた。
まためるは
「自分1人では何も出来ない」
「守ってもらってばかりで自分で守る方法を知らない」
その事に気づいた。

そうして、彼とお別れをした。
やっと見つけた居場所もこんな結果になり、「ほんとにめるはだめなんだなぁ」と自分が嫌になった。
何度も死にたいと思った、何も出来ないめるは必要ないいらない子だと思った。
2ヶ月ほど引きこもっていたけれど、親友が休みの度に会えなくても来てくれて少しずつ前を向けるようになった。

今なら彼が悪かったこともめるが悪かったこともあったなと反省し、理解出来る。
もちろん、今でも
「気遣いが足りなかったな」
と後悔はしてる。


そこから5年...。
彼を忘れて、前を向くことが出来なかった。
5年の間にお付き合いをした方もいた。
けれど、彼を超える人には出会えなかった。
貰ったものもなにもかもが捨てられなかった。


そんなめるが前を向けるようになったきっかけが今の彼氏との出会いだった。

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