「出来ない」から「出来る」へ 1
何回かに分けてこのお話をまとめていきたいなと思います。
めるの家族は
祖父母、母、弟の5人家族。
父は3歳の時に離婚して、いない。
母は多忙でおうちにいることが少なかった。
だからめるのおうちは祖父母が親代わりだった。
裕福ではなかったけれど、たくさん愛されて育った方だと思う。
初孫だったこともあって周りはたくさん可愛がってくれた。
みんなが優しかった...。
家族もお友達もみんな守ってくれる人ばかりだった。
「それはやめておこうね」、「めるちゃんはやらなくていいんだよ」
そういう環境だった。
その時はADHDの診断は受けていない。
けれど、この時から落ち着きがなかったり忘れ物が多かったとは思う。
だからか、失敗しないようにといつも周りが先回りしていた。
リスクの伴うことは周りが止め、やらせて貰えなかった。
だからめるは失敗を知らなかった。
ある時初めて挫折をした。
それは勉強。
学歴重視の祖母は、「めるちゃんは頭いいからね。」、「めるちゃんは〇〇高(当時近隣ではトップ高)に入るんだもんね。」毎日のように言っていた。
他のことは「めるちゃんには出来ないから」と言われていたのに勉強だけは違った。
子供ながらに、「めるには勉強しか出来ない」
そう言われている気がした。
だから必死に勉強した。
100点を取れるように毎日勉強した。
中学生でそれも出来なくなった。
というより、元からきっと勉強は得意ではなかった。
順位が下がり始めても
「めるちゃんは頭良いからね」
祖母はそう言い続けた。
その言葉が当時は救いではなく、遠回しに
「頭の悪い子はいらない」
そう聞こえ始めた。
そして、中学生でうつ病になった。
勉強をしてもしても落ち着かず、納得がいかなくて寝ることさえ出来なくなってた。
それを見た祖母の言葉が変わった。
「前はそんな子じゃなかったのに。もっと出来る子だったのに。」
「〇〇ちゃんは出来るのにどうしてめるちゃんは出来ないの?」
そう言われるようになった。
その言葉を聞いて
「めるはもういらないんだ」
そう思った。
祖母にとって勉強の出来ないめるは何の価値もないんだとそう思った。
めるがうつ病になってからも
「前は頭が良かったのに」
祖母は言い続けた。
その言葉がめるを傷つけてることも知らないままずっと。
何度も「生まれて来なければ」
そう思っていた。
そんなめるを母だけが、味方でいてくれた。
勉強が出来なくても怒らなかった。
否定をしなかった。
うつ病になってからもたくさん気にかけてくれた。
唯一の味方だった。
それでも祖母からの言葉の数々は消えなかった。
前を向けなかった。
今でも忘れない出来事がある。
高校を決めた時のこと。
特にやりたいこともなく、公立1本受験だったため確実に入れる高校を選んだ。
母は、「決めたならいいと思うよ頑張りなさい」と賛成してくれた。
祖母はというと
「なんでそんなレベルの低い高校なの?めるちゃんなら〇〇高行けるよね?小さい頃そう言ってたから楽しみにしてたのに。」
と言った。
あー最初から祖母にとってめるなんて勉強が出来る出来の良い孫としてしか必要が無いんだ。
この瞬間によく分かったすごく痛感した。
それでも決めた高校に行っためるに祖母は今まで以上に
「いとこの〇〇ちゃんはこんな頭いいところ行ったみたいだよ。めるちゃんとは大違いね。」
と攻撃してきた。
今更どうでもよかった。
めるが「必要ない」と分かってからなにもかもがどうでもよかった。
気づいたら、意欲や向上心、自己肯定感など無くなっていた。
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