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青春だったと振り返って気づいた

年末年始1年ぶりに実家に帰省した。

私は5歳から今までの20年間実家は今の家。いつでも昔のまま。上京6年目の今でも実家に帰ると東京での生活は夢だったような気がしてしまう。

今年の帰省の際は久しぶりにピアノとエレクトーンを弾きたいなあとは思っていた。

そして何を弾こうかなーとピアノ部屋を漁り自分の楽譜を探して中学時代の大量の伴奏譜を開いた。

(中学時代私はとにかく合唱の伴奏を沢山していた

https://note.com/melty_1005/n/nbceee7a2bf40 )

注意やポイントなどピンク尽くしの書き込み、友達が描いてくれたイラストなど当時のありのままが詰まった伴奏譜。

そして実際に弾いてみる。案外手は覚えているし、音色を聴くとあの時こんな会話があったなーとかこの曲は苦労したなあとか当時の思い出が沢山蘇った。

そうして合唱だけでなく普段の学校生活…(吹部、クラスでのたわいもない時間、合唱、恋愛…)とにかくありとあらゆる色んなことを妙に鮮明に思い出した。

私は勉強は出来ないのだが昔から記憶力だけは妙に良い。勉強以外。だから本当に中1の授業中の会話とか覚えている。

中学は人生で1番楽しかった時間だし、別に思い出したくなかったとかではないはずなのに上京してからの6年間ほぼ忘れていたようだ。

中学生は13〜10年前の出来事だし凄く昔なのだがとにかく濃密。

当時は中学生なりに色々苦労も悩みもあったし、とにかく忙しかったし当時の人生最大の絶望感とか幸福感とか毎日感情がジェットコースターでまあ喜怒哀楽が凄まじい日々だった。

当時は早く大人になりたかったし、ある意味夢と希望しかなかった。自分も周りも結構大人のつもりで生きていたの今振り返ると笑ってしまう。

とにかく友達が居なくて人間関係で苦労しがちな私が唯一友達が沢山居た頃でもある。私が100%悪い時も味方になってくれたり、一緒に一喜一憂したり、帰りに一生喋ってられたり、手紙交換や交換ノートやメールや電話もして友達達の存在がかなり生活の中で大きかった。当時の手紙とか読み返すと中々面白い。内容があまりにもヤバすぎるけど。

隠キャでも人権が割とあったし割と平和な中学だったからこういう人間にも居場所はちゃんとあった。

よくりるむーんの2人に自己肯定がない話とかをボヤいていたけど、当時の私は自己肯定感の塊だった。何をやっても言っても肯定してくれる人が複数居て、褒めてくれたり苦しい時もさりげなく支えてくれたり色んな人達に甘やかして貰って生きてたなあ。

りるむーんのみおりんはしっかりしててお姉さんキャラと言われてたりしたけど、本当の私は寧ろ逆。中学時代はみんなに甘えまくって本能のままに喜怒哀楽がコロコロ変わって感情もストレートに人にぶつけていた。(勿論感情をぶつけてたのは信用してる人だけだけど)

中1の頃すでに美音って単純で反応が面白いよね、とか言われていた。

ピンク星人wとかぶりっ子wとかネタでは友達に言われてたけどよくよく考えたら当時好きだったものは今でも好きだし自分のアイデンティティみたいなものは当時からしっかりあったなあと思う。

ピンクが好きで可愛いものが好きで、AKB48が大好きでそういう意味では周りから趣味的に浮いていたかもしれない。でも美音ちゃんはピンク好きだからみたいな分かりやすい風潮でそれを悪く言われたことはないはず。

吹奏楽部も合唱コンも特設合唱部も日常も若さゆえに無敵で常に一生懸命、真っ直ぐに生きていた。

音大に憧れて、AKBが大好きでだから当時AKBメンバーだった松井咲子さんが憧れだった。中学生の自分が大学で音大に進学し、UNIDOL演者としてステージで可愛い衣装着て踊っていた姿を見たら喜ぶと同時にどんなにびっくりするだろうか。

夢を叶えたと同時にいつのまにか失った自己肯定感は中学時代を振り返ることで取り戻せる気がした。

あの時得た色んなことは糧にして自信を持って人生生きて良いはず。

思い出したついでに当時の思い出話を次回から何回か綴ろうかなと思う。

だからどうでもないけど、自分の人生の中で大切な思い出だから残しておきたいかもしれない。




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