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2020/05/11

連日,母校の理不尽な伝統云々に関する意見交換が行われているようだ(自分も油を注いだ人間)。

ここ以外のSNSで喋っている部分が多いので,そちらからいくつか載せておきたいと思い日記のテーマにした。

まず,予想はしていたが,事の発端となったnote記事とその執筆者に対してある程度の批判が来たのを観測した。

その批判達からは,「出しゃばらずに黙って『思い出』を享受しろ,有難がれ」「過去の思い出を笑い話やポジティブな方面に消化できないのは幼い」といった信念が滲み出ているような気がした。

私に言わせれば,「自分は記事を見て不快な気分になった」という個人的感情を無害な形でとどめきれず,攻撃的な姿勢で他者の価値観を頭ごなしに非難し自分の優位性・自分の価値観の正当性を担保しようとする行為に見えてしまう(と私が勝手に解釈しています)。

こんな様子を見て,私は何だか悲しくなってしまった。

そういうやり場のない気持ちを燃料に,大げさに言うと所謂簡素な意見書の様なものを執筆し(関係者に)公開したのである。

公開した文章自体に載せていない意見があるのでここで簡単に述べておく。

・(在校生の意思を尊重したうえで)伝統を変えるため卒業生ができることはなにかを具体的に考えることも大事

・何より在校生の意見が一番重要だが,在校生は多忙のため伝統に対して声を上げるほどの余裕がないという指摘も頷ける

・在校生の意見が分からない以上事態は進展しないし,我々も様子を見るしかない(お節介になりかねないので)

こんな具合である。

私が思索している間に他の卒業生も独自に声を出し始めた。共感する,という声もあり,自分は伝統で嫌な思いもしたけど別のいい思い出に恵まれたから母校が好きだ,という意見もあり,という感じだ。

いろんな人の声を聴いていたが,どうも私の中で不思議に思う価値観というか意見があったのでそれについて述べておく。

例えば先ほど述べたように「伝統では嫌な思いをした。しかし友人に恵まれイベントではいい思い出を得られたので,結果私は母校が好きである(伝統を許せる)」という意見があったとして,私が不思議に思うのは,

何故いい思い出と嫌な思い出をごちゃまぜにして結論を出すのだろう?

ということである。

有難いことに私も優しい友人に仲良くしてもらったので,母校でかけがえのない友人と出会えたこと,貴重な経験をしたことについては評価している。

しかしそれと理不尽な伝統については別個の話ではないか?

別に我々は総合的な判断を迫られていたわけではないので,

「友人を得られた部分は好き。しかし理不尽な伝統では嫌な思いをしたのでその点では嫌い。」と言ってもよかったはずだ。

そこをなぜ一緒くたにして結論付けてしまったのだろうと気になってしょうがなかった。

ある物事について,「好きな部分は好きで嫌いな部分は嫌い」という分割された認識をせず総合的に評価していたら,いつかきっとその「総合的な評価」に思い出を歪められてしまうと私は思う。

この考え方,おかしいですかね?こう思うのは私だけなのだろうか。

こういう評価の仕方って,自分の嫌だった気持ちに蓋をするとか,逆に本当はいいことも起きていたのにそれを見えなくするとか,こういう行動につながらないだろうか。つまり出来事に対する客観的認知を妨害する,ということである。

そしてこれは私にとってもっと不思議なケースだが,嫌いな面も好きな面も経験し一つの思い出となる過程で「好きだった面」が「嫌いな面」を打ち消して「これはいい思い出だなあ」と本当に思うようになる人がどうもいらっしゃるようだ(それもわりと多くの方が)。

これはどういうロジックなのだろうか。率直に気になる(自分にない発想なので)。

つまり一つの思い出(出来事)の中で,嫌なことがあった後にいいことがあれば,自動的に嫌なことが打ち消されてその思い出はハッピーな思い出になる,ということなのか?

私はこうならない人間だ。

いいことがあったからといって嫌なこと(今回の件では「理不尽な伝統」を指しますが)は不問にされていいのだろうか。何だかモヤモヤしてしまう。

今思いついたが,この発想がもしかして「結果オーライ」というやつなのか?

だとしたら私は結果オーライと対極の人間なので,理解が及ばないのも頷ける。

まあ,私のこの思考過程についてご指摘があればご連絡ください。お話を伺います。

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既に卒業している私が意見を述べたところで私の過去は変わりません。ですからあの意見書はある意味贖罪の様なものです。在学時の私は伝統に対して無力で,意志はあれど結果として何も行動に移せなかった。

在学生の方に非難されても謝るしかない。

できることをやろう,と今は只管思います。

伝統の件以外に視点を移すと,携帯利用規則の緩和など実際に変化を起こせた事例もあるので,まだ希望はあるかもしれません。

今般の件に関するSNS上での今後の展開にも注目していこうと思います(暇なので)。

過去の出来事に煩悶する境遇の方に少しでも寄り添えたなら幸いです。

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