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人間にしかできないこととは? バックミンスター・フラーの根底に流れる思想から読み解くメッセージ


さて 3本シリーズの最終回。

1本目 SDGsと深く繋がる 「宇宙船地球号操縦マニュアル」 を読んでほしい

2本目 バックミンスター・フラーによる「未来予測」がとんでもない。 by 宇宙船地球号操縦マニュアル

では早速、本題に入っていこう。

今回は、フラーの思想 や メッセージ について。
そして、私の想っている事も少しばかり。

フラーの根底に流れる思想

この地球には資源もエネルギーも充分すぎるほど存在する。
ただ使い方が悪いのだ(利用デザインの問題!)

この思想がフラーの根底に流れている。

また別の表現を用いて、下記のようにも書かれている。

切迫した地球上の諸問題を、政治ではなく、技術やデザインの革新によって解決していこうというわけだ。ここでいうデザインとはあくまでデザイン・サイエンスのことであり、かなり幅広い内容をもっている。彼は世界中の若者たちが世界デザイン・サイエンス革命を推し進め、建築家、科学者、技術者はそれをサポートしていくべきだと訴えた。政治的な問題すらデザイン上の問題として把える考えは、いかにもフラーらしいものである。

デザイン(設計)が悪いのだ、と。一貫してこの考えを貫いている。

というのも、フラーは技術家であり、建築家。
その立場から人類のために何ができるのか? と考える中で、デザインを中心に据えているのが、興味深い。

資源やエネルギーの使い方もデザインの問題であり、切迫した地球上の諸問題も、デザイン革新で解決していこう、と考えていた。さらには政治的な問題すらもデザイン上の問題として把えている。

この考えは、フラーの根底に流れる大きなもの、といえそうだ。

「デザイン」と聞くと、ファッションデザイナーなどの、イメージを抱く人がいるだろうけど「設計」の意味も持つ。

フラーの唱える「富の概念」

ある時間と空間の解放レベルを維持するために、私たちがある数の人間のために具体的に準備できた未来の日数のこと

私が、もともとこの本を読もうと思ったのは、フラーの語る「富の概念」に触れてみたい、と感じたのがきっかけだ。

彼が語る 富の概念 は独特だ。「欠乏」という考えを真正面から否定した上で『未来の日数』こそが富である と語る。

“ 具体的に準備できた ” との表現は、まやかしの、言い訳の、口だけの 準備ではない、と強調するための表現なのではないか、と捉えている。
根拠をもって、具体的に、自信を持って示せる 未来の日数のこと だけを フラーは 「富」 と呼んでいる。

「大丈夫、未来の事は未来の世代でなんとかしてもらおう。」そうした自分たちが生きてる時代の事だけを考え、逃げ切ろうとするような無責任な大人を真っ向から否定するのがフラーの姿勢だ。

フラーがより大切にした「シナジー」

もうひとつ、特徴的なのが シナジー の考え方だ。

シナジーとは、システムのなかの別々の部分、あるいはそうした部分の寄せ集めの振る舞いをバラバラに見ていても、決して予想ができないような、そんなシステム全体の振る舞いを指すもので、こんなことを意味するのは私たちの言葉のなかでただひとつ、シナジーだけだ。

1975年には「シナジェティクス」 のタイトルで、1979年には「シナジェティクス 2」のタイトルで出版しており、この「シナジー」の力を強く信じている印象を強く受ける。

例えば、こちらの本の副題にも「シナジェティクス」の文字がある。


ここに語られる、決して予想ができないような、システム全体の振舞を指す、唯一の言葉である「シナジー」は、この箇所だけでなく何度も登場してくることから、フラー自身が重要視していることが伝わってくる。
下記はほんの一部だが、もう少し紹介させていただきたい。

世界規模で統合された産業プロセスが見せるシナジー効果は、各国家の主権にもとづいて作用するバラバラに分かれたシステムの、限定されたシナジーの効果より本質的にはるかに大きい
両者のそれぞれで起こる多様なシナジー的相互作用から、つねに驚くべき新たな可能性が生み出されてきたことがわかる。

シナジーを語った背景には、フラー自身のこうした想いもあるように思う。

世界規模でのシナジーを語り、現在 世界が直面している 中国 vs アメリカ の図式を真正面から否定しているようにさえ思える。

各企業が競い合い、しのぎを削って、ワクチン開発に挑んでいるが、情報を共有しながら開発していけば、そのシナジー効果ははるかに大きい、のだ。それなのに、、、とさえ思ってしまう。大きく考えていきたい。


またフラーの思想の中で、個人的に共感するのが、人智を超えた世界に関しても言及がある点だ。
※だからといって 諦めているわけではない。(ここは次章にて)

より大きな進化のパターンは、人間の意識的な計画や工夫をすべて越えたところで進行していく

この言葉は、直接的にシナジーと関連する記述ではないものの、上記とあわせて眺めてみると、フラーの思想が浮かび上がってくる。
人の意識的な計画など、たかが知れている。限定された中でのシナジー効果よりも、世界規模で、より広く、より大きな世界で起きるシナジー効果の方がはるかに大きい、との考えがベースにあるのだ。

この後にも、登場するが「限られた人だけで」「頭で」考えることの限界を、シナジー効果の文脈でも語っているのは興味深い。

この章を締め括る前に、最後に、シナジーの大切さを裏付ける一文を紹介したい。

これは、本文の最後の一文だ。

とりわけ協同作業をして、たがいに抑制し合ったり、他人の犠牲で得をしようなどとはしないで欲しい。そんな偏った成功は、ますます先の短いものになるだろう。これこそ、進化が自ら用い、私たちにあきらかにしようとしている、シナジーのルールなのだ。これは人間がつくった法ではない。宇宙を司る知性の完全さが生みだした、限りなくも協調的な法なのである。

全体を締め括る文章の中に「シナジー」の言葉が刻まれている事からも、その意味合いが伝わるのではないだろうか。
さらにいえば、この本の後に出版した本のタイトルに何度か「シナジー」の言葉を冠していることからも、彼がいかに、この言葉を重視したのかが、わかる。

フラーが人間・人類に託したもの

フラーは、人類に大きな期待を寄せてもいる。
決して諦めることなく、デザインやテクノロジーの力で世界にインパクトを与えようとの試みを続けた。そして、出版なども通じて思想を発信し続け、世界中を飛び回りながら、世界各地の大学を中心とした若者にメッセージを届け続けたのだ。

その彼が語った、人類・人間への期待とも取れる記述をピックアップしてみた。

知性を使うことこそ、宇宙におけるほんとうに重要な人間の機能
人間は新たな実験をするたびに、つねにより多くのことを学ぶということだ。前よりも減るということはない。

この2つの文章からは「知性を使え」「実験をして学び続けよ」とのメッセージ性を感じる。減る事はないのだから、と念まで押している。
トライ&エラーを繰り返して、知見を貯めていく。それが人類の蓄積にもなっていく。

また人間の役割について触れると共に、人間にしかできない事についても下記のような文章の中で語っている。

やらねばならない新しい仕事を予見し、統合し、先手を打てるのは人間だけだ
あらゆる人にして欲しいのは、はっきりと考えることなのだ。
地球規模で考えよ。普遍的に考えよ。

現代社会の中では、AI にはできない仕事 といった話が話題にのぼることもあるが、フラーは はっきりと語っている。

人間にしかできないことは
「やらねばならない新しい仕事の予見と統合」「先手を打つこと」であり、そのためにも はっきりと考える事 だと。

しかも できるだけ大きく、地球規模で考え、普遍的に考えよ、と。

人間にしかできないことをやれ、とのメッセージでもあるだろう。


さらに興味深いのは「心」を話題に持ち出していることだ。

頭は答えを出してはくれない
人間の心は違う。心はその総合的な直観力によって、さまざまな問題群をシナジー的に解決していく。解答をまとめあげていくのは心なのだ

なんとも興味深い一節だ。「考えよ」と言いながらも「頭は答えを出してくれない」のだと。一見、矛盾しているようにさえ思える。
しかしフラーは、心が持つ 総合的な直観力 こそが、問題群をシナジー的に解決していく、と語っている。

実はこの本の冒頭は、下記の一文からはじまっている。

私は人間がもつ並外れた、そして時にはまったくタイムリーに働く、発明の才というやつが大好きだ。

「人間が持つ直観力を信頼していこう」とのメッセージとも受け取れる。

軽やかに、直感力を信頼して生きていきたいものだ。

最後に。 私が感じていること

私自身、コーチングを学んできたが、それと同時にスピリチュアル と言われるような精神世界への興味も強く、以前から「思考」については、疑問視してきたし、頭で考える事にはロクな事はない、と思ってきた。(とはいえ色々と考えてしまうものだが。)

偶然にも 宇宙 のキーワードが共通の、漫画「宇宙兄弟」の中で シャロン先生は、こう語っている

迷った時はね「どっちが正しいか」なんて考えちゃダメよ
日が暮れちゃうわ

頭で考えなきゃいいのよ 答えはもっと下
あなたのことならあなたの胸が知ってるもんよ

「どっちが楽しいか」で決めなさい

ブルース・リーも言っているではないか。

「考えるな!感じろ!(Don't think ! Feel !)」 と

まさにこれである。

もう少し補足させていただくと、胸ではなく「肚」であり、それは、ヘソの下の「丹田(たんでん)」辺りを指すもの、と認識している。

それはさておき、現代人はどうしても頭で考えがちだ。思考ばかりしがちだ。頭でこねくり回して、あーだこーだとやりがちだ。

困ったら、目を瞑って、丹田に意識を集中させて、思考を取っ払ってみればいい。自分の 肚 に従って動けばいいのではないだろうか。

答えは「肚(心)」が知っているのだ。
「肚(心)」は統合的に、シナジー的に問題を解決してくれるのだ。

肚は、自分にとってワクワクする方しか選ばない。
そして、大体の場合において、頭とは逆の方向を示すことになるだろう。
だから頭を使い過ぎている人は、より注意深く肚の声を聞いてみてほしい。


最後に フラーの 詩から抜粋して この長い文章の旅を締め括ろうと思う。

私は名詞なんかじゃない。
どうやら私は動詞のようだ。
進化していくプロセスだ。

すべての人が、名詞ではなく、動詞であり、同時に進化していくプロセスなのだ。

進化するプロセスとして、肚(心)で感じながら生きていこう。

人生において、いろんな経験をしていこう。

そして、この本をぜひ読んでみてください。


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