雑記:窓と無窓居室
社会人になってから4ヶ月目。
上京してから4ヶ月目。
東京の夏は暑い。
こんなにも暑くて空が歪むと、自分の所在が何処にあるのか見当もつかなくなる。ただただ、冬を待つ骸になった人間たちは、こうして冬に恋焦がれて炎天下を過ごし、この冬を望むという一種の風物詩を、あと何回体験するのだろうかと夢想する。アスファルトから照り返された日差しは、幾度となく繰り返された阿鼻地獄の先行放送で、見上げると鮮やかな青空が恨めしいほど、わたしたちに優しく微笑みかけてくる。やっぱり天国は青く澄んだ場所なのだろう。
この灼熱地獄を毎日体験することで、得る対価として金銭がある。社会人になった私は、労働の対価として金銭を得た。学生時代は金欠で首が回らなくなることもしばしばあったが、社会人になってからというものの、そういった悩みはどんどん不明瞭になっていた。目の前には漠然と「安定」という2文字が転がっている。すごく安心できるのに、どこか憎い。自分の今いる居場所が最終地点だと感じてしまうことに絶望を感じる人は少なくないだろう。
音の消えた感覚。無響室にいる感覚。
仕事に精を出したら音は鳴るだろうか。自身の成長加減が想像できないので、どのような音が鳴るのか、どのような世界が広がっているのかわからない。がむしゃらに働いて、帰路につき、ふとベットに腰を下ろして深呼吸をした時、地球から音が消えて、ひとりになる。新しい環境を、慣れないなりに楽しんでいる昼の自分と、四角い光を横たわって一点に見つめる夜の自分とを繰り返していくと、どうなってしまうのだろうか。そう考えた時、将来への不安が冷たく重く自分の体にのしかかる。
幸せとはなんなのだろうか。ふと懐かしくなり過去のカメラロールを遡ると、大学入学時すぐの笑顔の自分が出てきた。確かに人生を振り返ると、大学一年生の最初、つまり、新しい環境になってすぐのタイミングは幸せだった気もする。新しいノートの1ページ目に文字を書く、そのような高揚感を常に見てとることができた。きっと、社会人になって4ヶ月経ち、ノートが2ページ目に差し掛かってしまったのかもしれない。仕事もまだ分からないことばかりなのに、なんとなく分かって、想定されうる自分の生涯から、今の自分を逆算して時間の途方もなさに絶望してしまった。
実は、一年前の今日頃、今いる会社の内定を承諾したことで、何者にもなれる可能性を秘めていた自分がいなくなった気がして、病んだ。不安定から脱却したかったのにも関わらず、安定が目の前に転がって怖くなった。
毎日、夜更かしをして、読書をしたり、映画鑑賞をしたり、動画を見ている日々を送った幸せな大学生活を取り戻したくなって、健康的で文化的な最高限度の不安定な夜ふかしライフを送ってみようと思った。
こういう時に目を覚ますと、決まって夜明け前で、冷気をまとった青藍の風が窓から見える景色の輪郭を優しくなぞる。顔を洗い、コーヒーを淹れ、息を整える。思い出した、この夜明け前の空気感に安心してきたんだ。
最近、エバーグリーンという観葉植物を家に迎えた。エバーグリーンは世にいうオジギソウみたいな見た目をしている植物で、日が落ち夜になると休眠運動といって葉を閉じる性質がある。もう朝なのかイキイキと葉を広げるエバーグリーンを見ると自然と笑みも溢れる。水をやって、窓を開ける。室内から朧げ見えた優しい風は、灼熱の熱風に変わっていて、すぐに窓を閉じてしまった。
安定とはなんなのだろうか。幸せとはなんなのだろうか。
こんなことに悩むなんて、遅くきた五月病か。ただの夏バテか、はたまた不治の病なのか。
そんなことを考えながら、ただただ今日も冬を待ち、二度寝につく。
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