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カーテンコール

彼らの敗退とともに、私の夏も一度幕を閉じた。

春夏連続の甲子園出場を目指していたが、県大会の決勝で夏を終えた。

もう一度一緒に甲子園に行って日本一になるまでを見届けたいと、勝手に彼らに自分の夢を乗せていた。でも、叶わなかった。

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私は田舎の地方紙の記者をしている。
仕事柄、中立に試合を見ないといけない立場だ。
だから一つのチームに肩入れして、こんなことを言うのは適切ではないのかもしれない。

「平等にスポットライトを当てられる記者でいたい」とか言っていた数ケ月前の自分にも背いている。

勝ったチームを恨むとか、納得いかないとか、そういう思いは1ミリもないことだけは断言する。
勝負は勝負。決まったことは受け入れている。
それに、全国の舞台で活躍する球児たちの姿をしっかりと伝えたいという思いは、どのチームに対しても同じだ。

それでも、彼らは入社して初めて任せてもらえた「担当チーム」だった。
まだ1年と少ししかない記者生活の大半を彼らの取材に費やしてきた。
だから、どうしても思い入れが深くなってしまった。

正直今もまだへこんでいる。全然仕事に身が入らない。
でもそんな暇はなくて、数日後には本県代表校を追って選手権大会の取材に行く。

このままの気持ちで仕事をするのは彼らにも、これから取材する代表校にも失礼だから。
自分の気持ちを整理するためにも、彼らへの愛と感謝を思う存分ここに記させてほしい。

地方紙の新人(今は2年目)記者の目線で、ある野球部に密着してきた約1年間を回顧するだけのnoteです。

「番記者」として過ごした10ヶ月

私は昨年の6月から運動記者としてのスタートを切り、9月から高校野球担当になった。

初めて彼らを取材したのは去年の8月。新監督を据えて始動したチームの初陣となる練習試合だった。

その後、高校野球担当になって初めての仕事が秋の県大会。偶然だが、彼らの試合は全部球場で見た。

ああやっぱり強豪校だ、うちの県ではずば抜けた試合巧者だ、というのが第一印象。

県で準優勝した彼らは地区大会に出場した。

地方紙の記者は、県より上の大会では本県の学校だけを追っていくのが基本だ。ここから「番記者」生活が始まった。

私事だが、地区大会での取材は新人だった私に実力不足を痛いほど突きつけてきた。

ほぼ初めて自分がメインで動く取材、入社後初の出張、それまでから大きく増えた原稿量、一面の記事も初めて書いた。

その事実は「成果」としてわかりやすく紙面に現れる。ただ、内容を見れば、そこに実力が伴っていないのも一目瞭然だった。

悔しいけど、それでも書くしかない。不完全でもこなしていくしかない。
葛藤しながら最後までなんとかやり遂げさせてもらった。

彼らが強豪校と戦う裏で、記者として私も一緒に奮闘している気分だった。

この頃はまだ選手も監督も顔見知り程度で、深い関わりはなかったけど、勝手に「戦友」のような意識を抱いていた。

大会では決勝まで進んだので、その分多くの試合を見られて、私はたくさんの取材経験を得た。

辛かったけど、仕事に対する手応えをつかんだり、自分の成長を認められるようになったりしたのが、ちょうどこの頃だった。

試合をするごとに強くなる彼らと一緒に、私も取材をこなすごとに自信を身につけた。

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地区大会で結果を残した彼らは春のセンバツ出場を決めた。

出場が決まった1月末から、大会があった3月まではほぼ毎日のようにグラウンドに通った。
約1時間高速を飛ばして練習場に向かい、極寒の中スタンドで練習を見守り、それが終わると1人か2人ずつ選手を取材した。

話を聞けたのは甲子園でベンチ入りした18人だけだったけど、野球のことだけじゃなく、好きな音楽やアイドルの話、身のまわりに起きた面白い話、チームメートや監督の裏の顔など、たわいもない話をしてくれるのがうれしかった。
試合で見せる「選手」としての顔だけじゃなく、「ただの高校生」としての一面を知れるのが、新鮮で楽しかった。

先生方が作ってくれる昼食も何度もごちそうになった。
選手の栄養を考えてつくられた食事は全部おいしかったし、愛を感じたし、冷えた体に最高に沁みた。

2か月間、連載や選手紹介、大会に向けての事前準備など、業務量は多くて死にそうだった。
休みはほとんどなく、自分の誕生日すらグラウンドに足を運んだ。

でも、みんなに癒されながら、一つ一つの原稿を愛を持って楽しみながら書いていたつもりだ。

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センバツ1回戦はタイブレークの大激戦だった。

手に汗握る好ゲームを記者席でじっと息を呑みながら見守った。
一人一人の活躍が、心からうれしかった。

ただでさえ死闘な上に、新監督の全国での初采配など話題に事欠かないチームだ。
取材はかなり大変だった。その分、やりがいも達成感も大きかった。

優勝を目標に掲げてきた彼らは、残念ながら2回戦で敗退した。

試合後、時間に追われて書いた原稿はやっぱりお粗末だったかもしれないけど、夏こそは絶対いい記事書くからと、心に決めていた。
また一緒にこの場所に戻ってこようと、冗談めかして約束した。

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春の県大会では、今年の代にとっては初の県制覇。

長く密着してきた分意識していなかったが、「全国区」のレベルの戦いを積んできた彼らは段違いに強かった。

野球に対する知識、意識、自分たちで考えて動く力、相手への柔軟な対応力。どれをとっても、他の学校より一つ先を行っていたと思う。
県でナンバーワンを取り続けてきた学校の文化だ。強豪校たる所以を肌で感じた。

春の地区大会ではベスト4。また長く取材をさせてもらった。

なんとなくそのままの流れで、夏まで「ほぼ番記者」をやってきた。
勝ち切って終わるか、あるいは負けてしまう最後の最後まで、自分が記事を書くんだと、欲張りだけど貫いてきた。

「なんとなく」で選んだ仕事に、意義を見つけた

この段落についてはあまりにも自分の話でしかないし、ここに書こうか迷ったが、思考の記録のために残しておく。

今の私には、具体的にやりたいことがない。
記者という仕事も「つなぎ」に過ぎないと思っている。

ただ、こうやって生きていけたら幸せだなと考えることはある。

『自分が好きだと思える人やものや場所に出会うこと。
その「好き」を伝え、広めること。
そしてあわよくば、好きなもの・人・場所の力になること』。

この10か月間、それが少しだけ形にできていた気がするし、純粋にすごく楽しかった。
ひょっとしてこの仕事向いてるんじゃないかなとすら考えた。案外、記者も悪くないと思った。

何年続けるか、今後どうするかなんにも決まらない。担当がスポーツじゃなくなったら、記者なんてやめてやると思っているのは変わらない。

けどもう少し、彼らのように大好きな人たちを増やしていきたい、自分の居場所をつくっていきたいと思った。
少なからず、私の人生に大きな影響を与えてくれる1年間だったはずだ。

不完全燃焼の夏

ただ、これだけたくさんのものを与えてくれた彼らに、私は何か返せていたのだろうかとも考える。

センバツ前の選手への密着は、負担になっていなかったか。
過度な取材と報道でプレッシャーを感じさせていなかったか。
(会社や業界への疑問もある)

もちろん最大限に配慮はしていたつもりだ。

でも、純粋に野球を楽しみ、頂点を目指す彼らを邪魔してしまったのではないか。
それは本人たちにしかわからないけど、自分ではノーと言い切れない分、申し訳なさも拭えない。

今夏の大会では監督も選手も、何度も「プレッシャー」という言葉を口にしていた。
らしくないな、と感じるミスも多かった。
それだけ、最後の夏の重圧は大きかったんだろう。

決勝で負けた後、初めて主将の涙を見た。

この日まで、勝っても負けても、活躍した日もそうじゃない日も、見たことがなかった。

大人びているから私もいつも頼ってしまっていたけど、周りに見せずにいろいろなものを背負っていたんだろうなと思うと、かける言葉が見つからなかった。

自分たちメディアが苦しめていなかったか、追い詰めていなかったか。
思い返すと、これも絶対にないとは言い切れないのが苦しい。

それでも、取材には最後まで泣かずに、しっかりと答えてくれた。

私の方が涙をこらえ切れなくなって、これまでの感謝すらまともに伝えられないまま、足早に取材場所を後にしてしまった。

チームの首脳陣に挨拶をしに行ったら、年甲斐もなく号泣してしまった。
(プロ意識も何もあったものじゃない。失態だ)

監督には「記者が泣くなよ」となだめられた。
部長は「代表になったチームも、うちと同じくらい愛してあげてね」と言ってくれた。

私の高校野球担当は、たぶんこの夏で終わる。
だから、勝手ながら彼らの思いも背負って、今夏の代表校とは1日でも長い夏を過ごしたい。

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泣きすぎてぼーっとした頭で、迫り来るタイムリミットギリギリで書いた最後の試合の原稿は、不完全燃焼だった。

読むだけで記憶が蘇るような記録を残すこと。
本人の目に届いた時に、そっと背中を押せるような文章を書くこと。

自分が記事を書くときの指針にしていることは、あんまり実現できなかった。

口頭でも、記事の中でも、最後まで彼らに何も伝えられなかった。
後悔は尽きない。

このnoteが本人たちに届くことはないと思う。
会社のことを考えても、大きく拡散するようなことはしない。

でも、あわよくば届いてくれと願って止まない。

何の気休めにもならないけど、ありきたりな言葉だけど、伝えられなかったことはここに記しておきます。

チーム始動から約1年間、幸せな日々をありがとう。そしてお疲れさまでした。最後の最後まで、全力を尽くす姿はかっこよかった。
勝手に記者としての夢を乗せて、最後は私が泣いてしまってごめんなさい。
私の自己満だったとしても、このチームの1年間の歩みを追えたことを誇りに思っています。
3年生は次のステージで、新チームは今後の大会で、活躍を見られることを楽しみにしています。

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