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ヒッピーが原点。エシカルとオーガニックコットン

 第二次世界大戦の後、アメリカ資本主義とソ連共産主義の二つの勢力が 対峙しました。その勢力争いの地下水脈は、インドシナ半島で吹き出る  形になりました。やがて南北ベトナム戦争に進んでゆきます。

1965年頃からアメリカは、本格的にベトナム戦争に参戦してゆきました。
アメリカの若者たちの間では、ベトナム戦争に対して批判し、兵役拒否の
運動が起こりました。

ベトナム反戦運動は、既成の伝統や制度の価値観に縛られた生活への反発
という形で表れ、反戦フォークソングや反体制を激しく叫ぶロックが
流行ってゆきました。
また、変わらない大人の社会への諦めや逃避、無力感が、麻薬ドラッグに
向かわせ、これをテーマにした映画「イージーライダー」や
「真夜中のカウボーイ」が大ヒットしました。
映画のほか、サイケデリックな絵画や写真、音楽など多方面に拡がり、
これらを総称してカウンターカルチャー(対抗文化)と呼ばれました。

 カウンター・カルチャーは、大量消費のアメリカンライフのために、
巨大資本と機械による大量生産方式が行われ、自然環境を壊してゆく、
これを「物質主義」と批判し、これに替わって精神的な豊かさを求め、
インド仏教、ヨガや日本の禅などに関心が集まるようになりました。

このカウンター・カルチャーの担い手は、長髪に髭、奇抜な服装の
「ヒッピー」と呼ばれた若者たちでした。

 サンフランシスコ郊外のハイツ・アシュベリーを聖地として
共同体コミューンが沢山できて、多い時は、全米に3000か所も
あったといいます。

  ピッピーは、自然回帰、平和主義、ベジタリアンを主張し、現代文明を
否定したため、農的な自給自足の生活になり、実質的に農薬を使わない
有機農業のはじまりとなりました。
有機の野菜を育て、有機のコットンを栽培して服を作り、競争を嫌い、
花を、自然を愛でて、戦争のない平和な社会に変えてゆきたいと
願いました。この頃からフラワーピープルやジェンダーフリーの運動も
始まっています。
その後、行き過ぎたフリーの希求の末、麻薬が蔓延して、反社会集団の
レッテルが貼られ衰退してゆきました。
ヒッピーが主張していたテーマは正に、今、問われている
エシカル・SDGs」だったのです。

 自然回帰の流れは1970年代に入って「有機栽培/オーガニック」への気運へと繋がってゆきました。
かつてヒッピーが生活していたサンフランシスコの郊外のナパバレーを中心に、有機の野菜や果物が栽培され、輪作作物として綿花の栽培が行われる
ようになりました。
輪作とは、化学肥料に頼らないために、土壌の力を維持するための農法で、畑地で作物のローテーションを行います。作物を替えると土壌の力が
増すだけでなく、害虫の被害も減ります。
ローテーションの間にコットンを栽培すると次の作物が良く育つため、
食用作物栽培の大事な脇役的存在でした。

 実質的に有機栽培で育てられた綿でしたが、まだこの時、現在のような
環境、健康をテーマにした「オーガニックコットン」というような概念にはなっていませんでした。

 1980年代の終わり頃、オランダ、イギリス、フランス、デンマークの食料輸入組合が、欧州向けの無農薬有機栽培をトルコで開始しました。
その時、輪作の作物としてコットンが取り入れられました。

 オランダのボウ・ウィービル社(BO Weevil)がこのトルコの畑でできた有機栽培のコットンを衣料品として製品化を始めました。
「環境に優しいファッション」という新しい概念が生まれました。
社名のボウ・ウィービルは、綿に付く害虫Cotton Boll Weevilから来ていて、殺虫剤で敵対することなく、この害虫とも仲良く共生するという
オーガニックな精神の意味が込められていました。

 ちょうど同じ頃、オランダのノボテックス社が、グリーンコットンというコンセプトで、エコロジーをテーマにした繊維製品を売り出しました。
原料のコットンは、当初一般綿でしたが、繊維加工の工程で環境に配慮するという新しいコンセプトのスタートでした。

 ヨーロッパのこの動きに敏感に反応したアメリカのビジネスマンがいました。1989年、アメリカのジョージ・エーカーズ氏は、カリフォルニアの有機農業者から綿花を購入し製品化を計画しました。
エイカーズ氏は、将来性のあるビジネスの種を育て、大きくして会社を売却するビジネスをしていました。早々にオーガニックコットンビジネスの将来性をしっかりと読み切っていたのです。
早速グリーンコットンエンバイロメント社を設立して、オーガニックウェアー「O-wear」というブランドを立ち上げました。

当時、話題になり始めていたエコロジー商品の専門展示会に頻繁に出展するようになりました。
エイカーズ氏とは、ロザンゼルスのサンタモニカにあるセレクトショップのFred Segalで会って、オーガニックコットンビジネスの状況を伺いました。         当時、エイカーズ氏は、バリバリのビジネスマンである筈ですが、カラフルな刺繍のベストを着て、長く伸ばした髪は後ろで束ねて、どこかヒッピー
スタイルを装っていました。
裕福なインテリの人々が究極的にナチュラルなオーガニックコットンの服や寝具の価値を高くみて買っていました。
見るからに高級な輝きのある商品ではなく、漂白も染色もしない生成りの
ままの自然観たっぷりな製品が並んでいました。
その後、エイカーズ氏は、新しい価値観を持つファッション企業としての
知名度を挙げ当初の目論見どおり、最大手のリーバイスへの売り込みに
成功しました。

 ヒッピーの自由で平和でナチュラルなスタイルが、
 60年後の現代に
 アップデートして、
 最新のエコファッションとして蘇ってきています。


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