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祈りは呪いでもあるという話

最近、わたしの知り合いに不幸があった。

その人は本当にいい人なのに、なぜか身近な人たちによって理不尽に長年苦しめられ、次々と大切な存在を亡くしている。人のことなので詳しくは言えないけれど、ピンポイントでその時一番守りたい存在を奪われているような印象だ。

幸せになるべきまともな人が、人を散々苦しめて気にもしていないような人に、幸せの邪魔をされる。わたし自身、学生時代ずっといじめられていたこともあるし、家族や親族間でもやさしい人が無神経な人に苦しめられるという図を幾度となく見てきた。なぜ幸せになるべき人がつらい目にばかり遭うのだろうか。

だからわたしは、その人たちの幸せを祈りたいと思った。祈りには実際に現実を変える力があると信じているので、祈ってみようと思った。

でもそのとき、ふと気になった。

祈りも呪いも、どちらも同じ"想い"によって作られるものなら、祈るという行為も気を付けないと呪いになってしまうのでは?

祈りというと大ごとな感じもするけれど、祈りの簡易verとして「おまじない」がある。おまじないはわたしが小学生の頃から知っていて、「消しゴムに好きな人の名前を書いて使い切ると両思いになれる」みたいなものが流行っていた。ちなみに"まじない"を漢字で書くと"呪い"だ。

祈りも、おまじないも、呪いも、「〇〇になりますように」という強い想いから生まれる。そういう意味では同じものだ。

そして本格的な呪いというのは、必ず「代償」が必要になるそうだ。誰かの不幸を願うと、自分の大切な存在を失ったり、自分の大切な存在の大切なものを奪ったりするらしい。それも呪いの強さに応じて、1つや2つではなく。

それが本当だとするならば、祈りの際にもなにか代償が生まれるのではないか?と思った。

で、さっき朝ごはんを食べながら何気なくYouTubeをみていたら、その答えとなりそうな話が出てきたのでびっくりした。それがこちら↓

何気なくみている動画にしては思想強めだなと思われるかもしれないが、このYouTubeチャンネルは歴史をめちゃくちゃ掘り下げて解説してくれるチャンネルで、最近歴史に興味を持ち始めたのでたまにみているのだ。

この動画によると、祈りによって誰かが良くなるとき、そのぶん誰かに良くないことが起きているらしい。この世はバランスで成り立っているため、良くなれと祈ることは、誰かに悪くなれと祈っていることにもつながるらしい。

この話が本当なら、誰かが幸せになるよう祈ることって、一見いいことのように思えるけど結局はただのエゴなんだなって思った。正しい祈り方みたいなものがあるのかもしれないけど、素人がやるのは危険だなとも思った。

そしてまたふと思ったのだけど、なぜか不幸ばかり起きる人って、やっぱり不自然なほど不幸が起きるよなとも思う。それってもしかして、誰かが「祈り」や「呪い」のようなものを使っているのではないか。もちろん偶然という可能性もあるけれど、その可能性もなくはないと思う。

誰か1人でもそういうことを始めるとバランスが崩れてくるので、自分のエゴで祈ったり呪ったりするのをやめて、自然に任せる、自分や相手が自分で幸せになれる力があると信じるというのがいいのかもしれない。

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