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死んだ愛猫が会いに来てくれた話

わたしには「とら吉」という、それはそれはかわいい茶トラの男の子がいた。この記事のサムネに写っている、雪を見学している子がまさにとら吉。この子がなんと、亡くなったあとに会いに来てくれた。嘘みたいな話だけど、全部本当に体験したこと。

とら吉は2021年9月末に腎臓病で看取ることになったけれど、亡くなったあともしばらくとら吉の「気配」を感じていたり、会いに来てくれる日の前日に霊感が高まっていたりと、非常に貴重な経験をさせてもらった。

そのときの記録をここに残しておきたい。


亡くなったあとも感じていた「気配」

とら吉は腎臓病で、数年ほど点滴や診察などで病院に通っていた。

最期はとてもしんどそうだったけど、わたしのお腹の上、腕の中で抱きしめながらお別れでき、ようやく肉体から解放されて元気になれたんだな…と思うと「よかった」という気持ちもあった。
お別れは本当にさみしくてつらかったけど、とら吉本人からするとつらい日々から抜け出せてよかったな…と。

そしてとら吉は肉体から離れて魂となり、こちらからは姿が見えなくなったけれど、とら吉の「気配」は感じていた。
気配というのは実態がないものなので、確信は正直なところなかったけど、いつもとら吉が香箱座りしていたキャットタワーで気配を感じることが多かった。

もしここで気配を信じず見えていないような素振りをしてしまうと、本当にとら吉がいた場合「なんで無視するの?」って感じになると思ったので、とら吉がさみしい思いをしないように、生きていた時と同じように接する日々を続けた。


毎朝いつも通りとら吉に「おはよう」となでなでしながら笑顔で声をかけ、日中は時々こちらを見ている視線を感じていたので振り返ってニッコリ。夜は夫と一緒にとら吉をエアなでなでし、おやすみと言ってから寝るという生活を送っていた。

時々「あれ?なんか今日いないな?でも"消えた"というような感じではなくて今はいないという感じだし、どこ行ったんだろう」と不安に思った日があったけど、そんな日に夫が珍しく「さっきおれの部屋でとら吉がいる気配を感じた」と申し出てきた(普段はそんなこと言わないタイプ)ので、そこで「あーやっぱり、感じていたとら吉の気配は気のせいじゃなかったんだ」と確信した。

あと気配だけでなく、廊下をとら吉が通過していくような「茶色い影」が視界を横切ったり、声が聞こえたこともあった。これはとら吉が亡くなってから、ちょうど1ヶ月くらい経った頃のこと(カレンダーに記録してある)。

気配が薄くなってきた?

魂のすがたになったとら吉との生活が、3ヶ月ほど続いた頃。

「あれ?なんかとら吉の気配、薄くなってない?」

夫の実家へ帰省した日の夜から、とら吉の気配が薄くなっていることに気付いた。夫の実家にも猫ちゃんが3匹いて、その子たちを愛でてきたことが関係あるのか…?もう自分は必要ないとか思っちゃったか…?と不安に思ったのを、その日のカレンダーに記録してある。

その日を境にずっと気配が薄くて、でも「いない」感じではない。不安を感じながらも、引き続きとら吉がいると信じて生活を続けた。

会いにきてくれた日の記録

とら吉が亡くなってから3ヶ月と1週間ほど経った、2022年1月5日。この日は仕事始めの日だったんだけど、朝(夜中?)、会いに来てくれた。起きてすぐ、このことを忘れないようにと号泣しながら日記に書き記した。


いま、とら吉が来てくれた。絶対に。夢じゃない。

最初なんかとら吉の声が聞こえて、あれ…?いまのは…とら吉!!って思って「とら吉!」って呼んだ。そしたら短いキーーーーンって耳鳴り?が大きくなって、止まって、ゾワっとした。

しばらく「え、とら吉じゃなかったらどうしよ…こわい…」って思ってたら、背中側からとら吉がベッドに登ってくるお手手と足の感触がした。それでとら吉や!ってわかって、こっちのほうまで来てくれた。

顔とか頭とか撫でて、身体も撫でた。久しぶりやけど、懐かしいあの頃のままのとら吉の毛の感触やった。撫でられて幸せやった。すごい深くゴロゴロいってた。

前みたいに、おいでって左腕のところにポンポンってやったらコロンってして、腕の中でなでなでした。そうしたらこの世界に戻ってきた。

2022年1月5日 AM7:00頃の日記

夢じゃないと思ったのは、まだ部屋が暗い時(夜中なのか明け方なのかはわからない)に一度目が覚めて、その時に体験したことだったから。それにずっと目を瞑っていたはずなのに部屋が"見えて"いて、とら吉の身体もキラキラしているというか、小さな光の粒が集まってとら吉の姿になっているように"見えた"。

それといまだに、最初にとら吉の「アーン」っていう鳴き声が聞こえた時の「え…いまの声はもしや…とら吉!!」という驚きや、トスッとベッドに乗ってくる懐かしくてかわいい小さなおてての重み、病気で脱水気味なのに最期までなぜか綺麗だったなめらかでサラサラの毛並みと、撫でている時の「ゴロゴロ…ゴロゴロ…」という深い音などが忘れられない。

とら吉がのどを鳴らす「ゴロゴロ…」という深いリラックス音が響いている世界の中で、目を開けたらいつの間にか朝で、現実世界で起きていた。

起きたときにはもう朝7時頃だったけど、とら吉がベッドに乗ってきたときは部屋の暗さからして夜中だったように感じるし、実際には何時ごろからこの体験をしていたのか分からない不思議な感じだった。

あと特徴的だったのは、とら吉の姿が現れる前の短い耳鳴り。体感的には3〜5秒くらいの耳鳴りで、かすかに聞こえる小さい音から一気にフェードインしていく感じで大きくなって、急にピタッと静かになった。映画の演出とかでこういうのありそう!っていうような、不思議なシーンだった。もしかしたら映画とかでそういう演出をしているのは、監督か誰かがそういう体験をしたことがあるのかもしれない。

ちなみにこの件以降、とら吉の気配はしなくなった。なので「あれは成仏前の挨拶だったんだな」と理解した。

前日にあった「前兆」

あとから「あれはそうだったのか!」と気付いたんだけど、前日に霊感が高まっているという症状が出ていた。

これは前にとある霊能師の方から聞いていたことで、霊感が高まっている時には、いわゆる「第3の目」とされる眉間の少し上がかゆくなるんだそう。実際、わたしは前日におでこがやたらとかゆくてボリボリかいていた。

また、そういうときはパワーストーンを当てるとより感覚が高まるとも聞いていたので、その霊能師さんからもらった石をおでこに当てた。でもその時は「石の冷たさでかゆいところがヒンヤリして気持ちいい」ってだけで、特に何もわからずw(当時、SNSにおでこがかゆいとか、石を当ててみたけどひんやりして気持ちいいだけで何もわからんなどと投稿していたので覚えていた)

そしたらその日の晩にとら吉が会いにきてくれたので、やっぱりあのかゆさはそうだったのか…!!とわかって驚いた。本当にそんなことがあるんだ…と。なのでやはり「おでこがかゆいときは感覚が高まっている」というのは、本当の話なのかもしれない。

さいごに

わたしはこの経験を通して、やはり亡くなった存在は、成仏するまで近くにいるんだと確信した。さらにこちらからのメッセージも、ふつうにしっかり伝わるんだとわかった。

とら吉には時々「成仏とか、光になるときは事前に教えてね」と、心の中で伝えていた。猫だから「成仏」とかいう概念、伝わるのかな?と不安だったけど、なんとか言いたいことは伝わってたっぽいw

ちなみにこの出来事のあと、気配は感じなくなったけど、念のためにしばらくまだとら吉がいるかのような生活をしていた。そして霊能師さんに鑑定してもらったところ「魂自体はもう残っていません。ゆっくりと次のステップへと進まれました」とのことだったので、とら吉がいるかのように生活するのも終了。

「ゆっくりと次のステップへと進んだ」とのことだったので、ある日を境にどんどん気配が薄くなっていると感じていたのは気のせいではなかったのかもしれない。

これで本当にいなくなってしまったのか…と本格的に寂しくなったけど、ちゃんとわたしのお願いを聞いて「成仏するよ」と最後に挨拶に来てくれたんだなと思うと、愛しくてうれしくもあった。

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