謝ることと怒ることについて

わたしは常に自分が悪かったところがないか、気にかけている。
責任が自分にあることに関しては、なるべく早めに、関わっていた人間全員に謝るようにはしている。

わたしは人によく怒りをぶつける。
授業中にうるさい人がいると容赦無く注意する。
相手が仲のいい女子であっても、クラスのヒエラルキーの頂点にいるちょっと素行の悪い男子でも。誰にでも。

普通だと思っていた。けど、そうでもないんだなと最近思い始めた。

なんでもできて、器用で、誰とでもすぐに仲良くなっちゃうような後輩がいる。
その人の周りには常に誰かがいる。
その中に、あまり責任感がないけど責任を背負っている立場の人がいて、ちょくちょくやらかしている。
わたしはその人に怒ってしまうけど、その後輩はほとんど気にしない。
人にそこまで興味がないらしい。
だからその人の周りには、(わたしから見て)ちゃらんぽらんな人たちが集まっている。
その後輩だって迷惑を被っているはずなのに、
「迷惑をかけられるとき以外はおもろい人だから」
と言って簡単に許す。

わたしの同級生にも、その後輩みたいな人がいる。
その同級生は、迷惑をかけられたら愚痴をこぼすくらいはする。でも、「イライラしないの?」と聞くと、「あいつはそういう奴だから」と言う。
どうしてそれで済ませられるのかわからない。
「あいつとは絶対一緒に仕事したくないけど、友達としてはおもろいから」
この人もそうやって簡単に許す。

全くわからない。なんで耐えられるのか、なんで許せるのか。
わたしの思っていることを全部言って、自ら(←ここ大事)謝ってもらって、改善点を考えて、行動で示してくれるまで許せない。
(場合によってはそれを全部したとしても許せない)
というか大人なんだし自分でやらかしちゃったのわかってるでしょ、何も言わなくても許されるなんて思うなよ、とすら思ってしまう。
なんでこっちから文句言われるまでノーアクションなの?その時点で一歩出遅れてるよ?マイナス印象だよ?
ここまで思ってるのはわたしだけかもしれない。

なんでこんな風になってしまったのか。
幼少期の記憶を辿ると、そこには今では考えられない自分の姿を思い出した。
幼い頃のわたしは、謝るどころか「おはよう」すらまともに言えない子どもだった。
「ありがとうって言いなさい」「いただきますくらい言いなさい」「ちゃんと謝って」
そうやって母から言われて育ってきた。
当時は、いただきますなんて言わなくたって食べ始められるし、食材への感謝だって心の中で思っていればいいでしょ、
ありがとうなんて言わなくたってわかるでしょ、と思っていた。
でも全部言わなきゃ伝わらないことを少しずつ学んできた。
だから今では挨拶、とりわけ感謝と謝罪はするように心がけている。

けれど、周りの人を見ていると、全部言わなきゃ伝わらないと思っている人の割合なんてそんなに多くないのかもしれないという気がしてきた。
みんな水に流せるほど大人なのか、本当に気にしていないのか。
全然わからない。

感謝と謝罪を心がける要因になったことがもう一つある。
1年前にサークルの責任を負う立場になったこと。
正確にはサークルの中の1つの班の責任、だが、そこそこ人数のいる班だ。
その班には1年生の頃から属しており、わからないながらに先輩に聞いたりしながら作業してきた。
でもこれであっているのか…?何かトラブルが起こっている、もしかしてあそこの接続が間違えていたのか….?わたしのせいなのでは….。
そんなふうに思うことが多かった。人に話しかけに行けない、何度も初歩的な質問をするのを躊躇ってしまう性格のせいで、自分の所作のどれもに自信が持てなかった。
だから、わたしは班のリーダーとして、作業が正しく行われていれば"あなたのしたことは間違っていないですよ"という意味を込めて「ありがとう」と言うし、間違っていれば正しく教えるし、わたしのせいでトラブルが起きていれば"あなたは何も悪くないですよ"という意味を込めて「ごめんなさいわたしの○○が間違っていました」と言うようにしている。

何が正しくて何が間違っているのか。間違っているとしたら、どこに責任があるのか。
所在を明らかにしないと気がすまない。
謝られないと落ち着かないのは、わたしのしたことは何も間違っていないよね?という確認がしたいからなのかもしれない。正しいと承認されたいのかもしれない。

となると、わたしは「僕のこういうところが悪かった」という言葉で責任の所在を確認していて、「ごめんなさい」で自分の正しさを再確認しているのだろうか。

謝らない彼ら彼女らには、正しさを認められたいという承認欲求があまりないのかもしれない。
何が違うんだろう。

人に期待しない人、謝らない人はわたしよりずっと怒りの感情を持つことが少なくて幸せなんだろうなと思う。
でもその分、人がモヤモヤするポイントを知らないまま、誰かを怒らせながら生きていくんだろうなと思う。かといって彼ら彼女らが損をすることは多分ない。そういう人たちは許してくれるコミュニティの中で呑気に生き延びるだろう。
それもまたモヤモヤするな。

人にちゃんと怒れるのすごいね、とたまに言われる。怒るなんて相当エネルギーの必要なことなのに、と。
ちょっと検索してみると、謝れる人は余裕があって器が大きいとあった。怒る人は相手に期待している、とも。
だけど。
わたしは絶対に余裕なんてないし器は小さい。
人に期待しているわけでもないし期待していないわけでもない。
ただモヤモヤしたままだと相手と接するのが億劫になるし、コミュニケーションをまともに取れないから、解決させないと組織がうまく回らないと思って指摘したり謝ったりしているだけだ。
だから組織運営じゃない場合は怒りたくても怒れず消化不良になる場合が多い。
怒るのにも大義名分が要る。
めんどくさいな自分。

アンガーマネジメント、というか、自分の課題と他者の課題を分ける練習をしないと、ずっと怒っては謝ってる人、になっちゃうんだろうな。
もうそうなってるかもしれない。

他の人たちがどう思ってるかも聞いてみたいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?