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1993年 SideA-6「ポケベルが鳴らなくて/国武万里」

秋元康作詞 後藤次利作曲・編曲

・「ポケベルが鳴らなくて」(日本テレビ系 1993/7/3~9/25)オープニングテーマ

 日本テレビ系土曜9時枠7月クールドラマ主題歌。ポケットベルが若者たちの手軽な通信手段として爆発的に流行したのは90年代の初期から中期の一時期で、流行した時期が非常に短かったのが特徴だった。そしてその流行を語るときに必ず引き合いに出されるのがこの「ポケベルが鳴らなくて」というドラマ(と曲)である。「ポケベル」がすぐ廃れるだろうことは百も承知でこのドラマ(と曲)は作られた。極論を言えば、これは後世引用されたいがためだけに作られたドラマ(と曲)だったとも言える。そしてその戦略はズバリ当たった(企画・原案の秋元康はよくこうした作戦を取ったが、ここまで見事に成功した例はこの作品くらいではないか)。

 ポケットベルは携帯電話前夜に個人間での連絡を可能にした実に画期的な通信手段だったが、携帯電話のように双方向ではない。そんな一方通行な最先端アイテムは、中年男とOLの切ない不倫物語にはまさに打ってつけであった。

 だが、タイトルありきの言わば“出落ち”の企画にワンクールは長すぎたし、なにより緒形拳と裕木奈江という配役は豪華すぎた。緒形拳の家庭がどんどん壊れていく過程が思いのほかリアルに描かれ、雨宮望と堤幸彦の好演出や緒形拳の娘で裕木奈江の親友というキーとなる役柄を演じた坂井真紀の熱演もあり、結構面白く見ることが出来たが、なにしろ家庭を壊してまで二人が惹かれ合う理由がよくわからず、最後まで主人公に感情移入できない。最早アイテム乗っかりドラマの軽さはかけらもなく、緒形拳を悪者にできない以上、裕木奈江の側が悪く描かれるのも無理は無かった。

 そういう意味では国武万里が歌う同名主題歌の方が、ドラマよりはるかにあの「ポケベルが流行った時代」の軽みを思い出させてくれる。詞もメロディーもサウンドも声も(特にウワッと思うのが2番の「高層ビルとか地下鉄の中は 愛を呼ぶ声が届かないから」という歌詞。この手の詞を書かせると秋元康は小室よりつんく♂よりずっとあざとい)。

 そしてこの時期掛け値なしに最も有望な若手女優だった裕木奈江は、このドラマを境に“女が嫌う女優”として女性誌などで一斉にバッシングを受ける。本当のところは正直よくわからないが、とにかくスキャンダルなどの明確な理由もなしにこれだけ極端なバッシングが起こったケースは芸能界でもあまり例を見ない。

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