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駅に大きなゴミ箱を置いたら人生が変わった

2020年暮れ。

その頃はみんなコロナで疲弊していて、都市も凍りついているみたいだった。
私はというと、通っていた大学院の研究室は海外に行って現地調査することが一番の売りみたいな感じだったのにそれもかなわない状況で、研究室にいても特に面白くなかった。その頃アフリカの建築について研究していたけれど、大学の図書館でアフリカの文献なんて探しても全然ないし、アフリカにも行ったことがない日本人がなんでアフリカ建築を研究しているんだ?という気持ちが募ってきて、終いには教授に「大晦日に言うのも恐縮なのですが、大学院退学します」と言った。「ちょっと今後の進路に悩んでまして。。」みたいな感じではなく、キッパリ断言したので教授も何も言うことなく了承してくれた。でも唯一ありがたかったのが、休学にしといたら?と言ってくれた。東京藝大は施設がとても豊富で好きに工房とかを使えるので、言われた通りに休学にしておいた。
でも、こんなにはっきりとドロップアウトを宣言できるのには、さすがに少しは理由がある。完全に何もない状態でそんなことは言えない。根拠のない希望を見つけていたからだ。

ドロップアウト宣言の1ヶ月くらい前の話。
知り合いの建築事務所の人から連絡があった。
「JR西日暮里駅の中に小さなスペースを持っているんだけど、
そこでクリスマスの装飾をやってくれない?」
私は相方の吉野と二人でその話を受けた時に、駅の中で何かできるなら
いいねということで引き受けることにした。
多分その人はガラスに絵を描いて欲しいくらいの頼み事だったのだろう。
でもクリスマスの絵なんか描く気にもならないし、その頃大学の中で燻っていたので何か面白いことをしようと思った。

現地に行ってみると、スペースは駅の改札を出てすぐのところにあり、人通りの多い通路に面していた。隣にはカフェがあり、Google検索で”カフェ 内装” で全て出てくるものだけを使って作られたような使い回しの壁紙や照明、机が並んでいた。そのスペースも普段はそのカフェのイートインスペースで、週末はイベントのために使われたりするらしい。「一応ここも使えるよ」と、出てすぐのところにある立ち入り禁止エリアも紹介された。
そこは駅の中だというのに使われずにガランとしていて、立ち入り禁止を示す赤いラインテープだけが目についた。奥の方にはイベントの時とかにたまに使うのであろう机とか椅子とかが積み上がっていて、物置のようだった。
そこはたくさんの人が通る通路の脇にあるのにコンクリートの床に乱雑に物が重ねられているだけ。駅ってこんな愛のない空間だったっけ、とそこで気付いた。目的地へ行くために通るだけで、駅が目的で遠くからやってくる人はまずいない。だけど多くの会社員は、家と会社を往復するまでに使う唯一の公共施設が駅だ。コロナ禍では居酒屋員も寄れない。駅がこんなに冷たい空間だったら、通勤の日々も楽しくないだろう。
そこで、駅の片隅のこの立ち入り禁止エリアで、何か面白いことが起きたら少しはどこかの会社員や駅を使う人たちは喜ぶかもしれないなと思った。

そこから日暮里の家に歩いて戻り、色々と考えた。自分たちで何かを描いたり、展示したりしても足早に通り過ぎる人たちには響かない。通り過ぎる人たちを巻き込んで、駅に流れる空気が変わるような現象を作れないかと考えた。思いついたことを建築事務所の人に話し、クリスマスの前の週の土日に好きにやっていいよと言ってもらった。

そして当日、私たちは立ち入り禁止エリアを示す赤いラインテープを緑に変えて、奥に大きなゴミ箱を置いた。
それから、ラインテープの手前に紙とペンを置いて、「気持ちを描いてポイしよう」と掲げた。

すると、たくさんの通りがかりの人たちが紙に絵や文字を描いて、それを丸めてゴミ箱に投げ込んでくれた。コロナになって起きた不運なことや、会社辞めたい!とかテストでいい点数が取りたいとか、めっちゃ良い絵を描いてくれた人もいた。
みんな自分の気持ちを外に出すことって普段はないだろうなと思った。美術系の大学にいると創作をしている人たちしか周りにいないからわからないけど、誰もが自分の中に留めている気持ちを外に出す手段を持っているわけではない。人がものを作る理由の一つは、いろんな思いを表現に換えてしまって何処かへ放ることだ。放るだけですっきりするし、放った先に共感する人がいたら、その人もすっきりする。こうやって、駅の中で描きなぐった紙をくしゃくしゃにして投げられること自体もとても開放的だ。
そして何よりその光景が、駅に新しい空気を取り込んでいた。

4日間で500ポイ以上集まった。

西日暮里駅の駅長さんも投げてくれた。
普段改札横でしかめっ面をして淡々と業務をこなしているけど、
その日丸めた紙を投げ終えた時は清々しい顔をしてた。
何を書いたのかは知らない。

これが大学へ通いながら初めてメルメ名義でつくった作品?で、こんな風に何もない場所でもいろんな人のたくさんの感情を目に見える形にできると気づいた時、こんな楽しいことはないなと思った。

この話はちょっとした話題になり、回り回ってJRの大人たちへと流れていった。今まで会ってきた人たちとの縁は、全部ここから始まっている。


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