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英国人のおもしろ旅本を読む 2: 「大歩行」M. モーランド

英国といえばフットパス。
散歩と徒歩旅行は英国人のたしなみである(知らんけど)。

ここに紹介するのは、退職した英国の中年夫婦、マイルズとギレーヌがフランスを徒歩旅行するという話。
旦那のマイルスは金融マン、ロンドンとNYを股にかけて活躍したバキバキのエグゼクティブ。社会的にも経済的にも人も羨む生活だったが、しかしそれでも心のどこかに満たされざるものを感じ、45歳で中途退職する。
以前から旅行好きで仕事の出張も大好き、旅行ガイドブックや地図のコレクターでもあったマイルズに対し、フランス育ちで出歩くのも飛行機も好きでないギレーヌ。そんなふたりが考えた退職記念イベントは「フランスを歩く旅」だった。地中海から大西洋まで、ピレネーの麓を歩く550km、1ヶ月の行程だ。

そんなんだから2人ともさぞ年季の入ったウォーカーと思えば、ぜんぜんそうではない。バックパックを背負って歩くのすら初めてで、シューズもこの旅のために新たに買ったぐらいの初心者なのだった。
しかも旦那の写真を見ても腹は出てるし、旅行中の服装もゴルフに行くお父さんみたいだ。もっとも学生時代はボート部で鍛えたと書いてるし、「半分パブリックスクール、半分米海兵隊」と自らいう業界でのし上がった人だから基礎体力はすごいのだろうけど。

ステータスや年齢とはうらはらに、徒歩旅行者としてはダメダメなふたりが、好き好んで汗と埃にまみれ、足のマメに苦しみ、犬に吠えられ、牛に怒られながら歩いていく。それがこの本の面白さだし、本人たちもいちばん楽しんだ点だろう。つらかったことやことやひどい目に遭った話も、どこか楽しそうな筆致だ。ひどい目に遭いながらも、自分の境遇を笑い飛ばす諧謔マインドこそがユーモアの本質であり、それは精神的かつ経済的な余裕により裏打ちされるのだと思う。

不便にすぐ慣れた。
なに不自由ない生活にどっぷり浸かっていたので、洗濯物入れ半分くらいのバックパックだけでよもや一ヶ月も暮らせるとは思わなかった。案ずるより産むが易し。
三大贅沢 ー 冷たい水、道端での休憩、洗い立ての服を着ること。

フランスの旅といえばプロヴァンスとか人気のエリアが思い浮かぶが、この旅で歩いているのはあまり知られていない地味な地方だ。わが国で言えば岩手県とかか。観光名所にも行かないし、大きな街に立ち寄るのもたまにだ。ただただ田舎の風景の中を歩き続ける。

ジェール県は、黒太子の大遠征の時代とさほど変わっていない。そこが魅力だ。なまじ観光客を惹きつけるものが何もないのがよい。あるのは田園風景だけだ。
フランス人でさえこのあたりのことはあまり知らない。休暇を取ってくる人もいない。

食事も宿も、素晴らしいものに出会うかと思えば、少なからずハズレを引いて落胆し憤慨する。フランス流のホスピタリティに感動するかと思えば、木で鼻を括っておならプーという感じのぞんざいな扱いに立腹したりもする。そしてどちらかといえば後者の体験の方が多い。

「イギリス人ですか。そんならお金はたんまり持ってるんでしょう」
「金持ち?いやそれほどでも」
「そりゃ残念だ。で、お仕事は何を?」
「えーと、物書きです」
「あーそう、ならお金がなくても無理はないですな」

旦那のマイルズ以上の存在感とチャーミングなキャラ、かつ有無を言わさぬ圧の強さで旅程を支配しているのが奥さんのギレーヌだ。
おちゃめでウイットに富み、ときにノンシャランなセリフは、ノリのいい翻訳のおかげもあってこの旅行記をより魅力的にしている。

「あなたが何と言おうと、関係ないわ」
こちらを睨みつけてギレーヌが言う。
「わたしはここで休むの。何か飲むまで、絶対動かない」

ギレーヌは子供のころフランスで育った。で、そのお母さんはずっとフランス在住。旅の途中で立ち寄る町の近くに住んでいて、ある日ごはんを一緒するシーンで登場する。そこでの「彼女は何冊かの本も書いていて、『夢の終わり』は紀行文の名作だ」というところで刮目した。
ちょっと待ってその本、読んで持ってる。
「夢の終わり」は情熱と冒険心に富む子連れの英国女性が、仏ジュラ地方の城主と結婚して古城に、そのあとはプロヴァンスの農家に暮らす話なのだが、あの主人公のゲイルがまさにこのお母さんだった!。そしてこの本に出てくる、まだ幼い娘がギレーヌだったのか!。
シンクロニシティというか、袖ふれあうも他生の縁というか、当時はずいぶん驚いたものであった。

毎日南西フランスの野を越え丘を越え、楽しくもドタバタな旅の記録が続く合間に、モーランドのこれまでの人生、そしてギレーヌとの家庭生活の回想が散りばめられていく。
実はふたりは一度破局を迎えて離婚しているのだった。そのあとふたたびヨリを戻して再婚し、夫婦関係を再起動する機での退職と旅行なのだった。
ほのぼのと仲睦まじい会話の裏にはそんな過去も秘められているのだなあと、読んだ当時独身だったわたしは感銘を受け、たぶん結婚というものはたいへんに難しいものなのだろうと腕組みをしたものだった。

そんなこともあったせいか、妻へのマイルズの気遣いはすごい。
ギレーヌがしんどいと言えば彼女のバックパックを腹に抱えて2人分持って歩く。さすがは英国紳士、そして丈夫な腹である。
肝臓も強い。食事のシーンで「僕たちは〜のワインを2本空けた」というくだりが何度もあり、マジすか、一本の単位は何だよと思って原書に当たったらほんとに two bottlesだった。

軽妙洒脱な訳文にも魅せられて、原書では何て書いてあるのか知りたい箇所がいくつもあるので原書も買った。比べてみると、翻訳というのはこんなに自由で柔軟なものなのかと驚くとともに、改めて訳者の日本語のセンスにも感心するのだった。
(書影の米国版タイトルはベタな「Walk across France」だが、初版は「Miles away」、和訳の元になった原版では「The man who broke out of the bank, and went for a walk in France 」という実に英国人ぽいひねくれたもの)

本書では、そのあとは物書きとして悠々自適と暮らすんだみたいな事を書いていたモーランド、その後どうなったんだろうと調べてみた。
残念ながら、ギレーヌとはその後(ふたたび)離婚している。諸行無常だ。
その後はしかし、自らの投資会社を立ち上げ、アフリカへの投資の成功で億万長者になったようである。人生万事塞翁が馬だ。

そして現在、この人の名前で検索するとまず出てくるのがマイルス・モーランド基金。アフリカの若手作家のために私財を拠出しての奨学金である。
さらに大型モーターサイクルでアフリカ南米その他の辺境を旅行しまくったりしてるし、なんか画像検索すると若いおねえちゃんを侍らせた写真がやたら出てくるし、2020年頃のインタビューでは「最近結婚したんだ」とか言ってるしで、70過ぎてますます多方面でお盛んなようで何よりである。
2015年にそんな人生を回顧した自伝「Cobra in the bath」を出しているのがその後の唯一の著作となっている。


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