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洗脳と依存症と信じやすい人

最近、宗教や洗脳について、「相談すればよかったのに」とか「おれだったら洗脳されている人から離れるなあ」みたいな意見が色々あり洗脳されている人が身近にいる状況だったらどうなんだろうとか実際相談とかできるもんなのか、できるなら誰にすべきなのかとか考えてときに、関係する本をざっと読みカウンセラーの方の発言が参考になったのでメモ。

解毒 エホバの証人の洗脳から脱出したある女性の手記
カルト宗教からの脱会~赤裸々しくじり体験~上巻
カルト宗教からの脱会~赤裸々しくじり体験~下巻
洗脳 地獄の12年からの生還 

4冊ぐらい宗教・洗脳系の本をざっと読んだ程度のにわか知識でして、詳しい方には色々ツッコミがあるかと思います。

洗脳がとけるかは最初がめっちゃ大事

むしろ興味を持ち始めた最初が最初で最後の分岐点と語られていて、
この時点で洗脳させられないようにこっちの世界に戻してあげられないと、あとはもうどうにもならず骨の髄までしゃぶりつくされるみたいです。。

そもそもなぜ洗脳されるか

かなり考えるのが難しい部分ですが、一貫して「心の弱さ」とか「弱っているとき」がポイントのようです。
で、弱っているってのももっと具体的にできないかなとか考えたんですけど、カウンセラーの方が非常にわかりやすく説明されていました。

この問題がアディクションだという認識が全くない。アディクションは、「否認の病」とも呼ばれ、本人に「自分の心が病んでいる」という意識が欠如していることが特徴となっている。この病を抱えている本人は、自分が何かに依存しているという現状を認めようとしない。

 ゆえに、夫が強硬手段を取って妻をエホバの証人から脱会させたとしても、妻は、他のアディクションに走るのである。別の新興宗教を辞めた後にエホバの証人になった人や、エホバの証人を辞めてネットワークビジネスの熱心な会員になる人も珍しくはない。

とのこと。
ここではエホバの証人と書かれていますが
ほかのものに言い換えて考えることができまして、たしかにアルコール依存症の人の場合、オレはアル中なんかじゃない!っていうやりとりと似てますな。

周りが本人の問題を理解するのはかなりむずい


これどうにかできないかってところなんですが、

洗脳された時点での「心の問題」にメスを入れなければ、もしエホバの証人を辞めたとしても、別の組織から洗脳されてしまうというのが現実だ。エホバの証人に洗脳されてしまう理由は、勧誘する側にではなく、勧誘される側にある。

アルコール依存でない人は、アルコールに溺れる人の心境を理解できない。もっと上手に気分転換できないものかと不思議に思う。ギャンブル依存という病を抱えたことのない人は、ギャンブル依存症になる人の心理を理解することができない。もっと別の方法でストレス発散ができないものかと考える。  アディクションについて、その実態を周囲が理解することは難しい。そして、アディクションを抱える本人が問題を認識することは、さらに難しいことである。

本人の心の問題が一番の問題、周りはその気持ちわかんねーって理解が得られないと。

日本学術会議などによる「アディクション問題克服に向けた 学術活動のあり方に関する提言」の中でも

依存(dependence)とは、薬物やアルコールなど物質に対して自制できない程にのめり込んでいる物質依存の状態であると国際的に定義されている。一方、物質依存に加えて、ゲームやギャンブルなど特定の行動に対する自制できない程度ののめり込み(行動嗜癖)を含めた、嗜癖(アディクション:Addiction)が近年大きな社会問題となっている。アディクションの研究・対策の必要性がうたわれているが、実態調査は不充分であり、実質的な対応はまだほとんどなされていない。

https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t286-6.pdf

自制できない程、のめり込んでるのはまずいとわかってるよーとした上で、

物質依存に関する研究は個々に進められているものの、各国において大きな社会問題となっている対象は異なっており、さらには個々人においても対象が異なる、あるいは共存しているケースは多い。また、行動嗜癖に関してはその対象がさらに拡大し、多様性を有しているが、それらに対する共通基盤ならびに相違点の把握は未だ充分に行われておらず、研究・対策も効率的であるとはいえないのが現状である。したがって、物質依存のみならず、アディクションに苦しむ人々の実態の把握のために、早急な調査研究が必要である。

https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t286-6.pdf

それぞれ事情が違うしすげー複雑な問題だからめちゃくちゃ難しいと。

また、我が国においてアディクション症治療薬は研究段階で止まっており、その開発が殆ど進められていないのが現状であり、対策が希求される。また、アディクション症は精神疾患の一つであり、治療対象であるという認識が、日本国内において浸透していない。このような社会全般の無理解はアディクション症患者への差別を生み、アディクション症治療の大きな妨げになっている。さらに、将来のアディクション症対策の主眼は予防に置かれる必要があり、有効な予防教育や再発防止教育のためのプログラム開発は急務である。

https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t286-6.pdf

アディクションは精神疾患、いわゆる病気なんだけど世間からはやべーやつとしか思われないからそれが差別になり、その差別が研究が進まない原因にもなっていると。
アル中やギャンブル依存が病気って感覚はなんとなく理解できるけど、宗教だったり洗脳されている人に対しては信仰の自由があるから、、みたいな反応が強い気がしますな。

疑わずに信じてしまう人はカルトにハマりやすい

宗教にのめり込む心理についても語られていて、

カウンセラーいわく世の中には

  • 「気づきやすい人」

  •  「疑わずに信じてしまう人」 

の2つのタイプに分かれる
気づきやすい人は少数派、疑わずに信じてしまう人は物事に対して矛盾を感じにくい。
気づきやすい人は納得できるまで自分で調べる傾向があるとのこと。

「疑わずに信じてしまう人」がカルトの偽善に気づいた場合。
脱会しようと思ったときに心配することは、
「今まで迷惑をかけた人に謝らなきゃいけない」
みんなから「ほら、だからそんな宗教なんか入るなよと言ったのに」
と言われる恥をかかなきゃいけない。

「一体どれだけの人の反対を押し切ったか、、」と想像すると「この宗教だめだわ」と思ってもやめることができない。人生をかけてしまった。

また、例えとして
人間は緊急事態になると生存するために血をいちばん大事な心臓に集める、手や足は最悪失っても。
カルト信者の場合も同じで、カルトに残ることが最優先、手や足は切り落とす。

つまりカルトを捨てたら生きていけないと。
かなり強烈。これは考えたこともなかった。
生きる目的そのものになる感覚。

認知の歪み


このあたりを認知の歪みとして説明されていて
Q ) アメリカのフォードが大量生産のために黒一色にして、それが常識になっているとき、黄色の車が通ったらどう思うか。
A )黒が当たり前だから黄色は無視する。

これがカルト信者の心理で教義と異なるものは排除すると。

アメリカの開拓民が移動するとき、どの方向から攻撃されても守れるように円陣を組んで円形に並んで移動していた。
円形に並んでいると外部からの圧力は逆効果でパワーアップする。
カルトも同じで、認知の歪みがある信者は脱会させようとすると信仰心を強める。

円陣を組む理由は自分ひとりではやっていけるかわからない不安があるから。
なにかに属したいという心理になり、カルトに入る。
自信があれば属さなくても平気だと。

なにかに属してないと不安てのは誰しもある感覚じゃないかなあ。
帰属意識ってやつすな。

おれが本質を教える、他のやつの言うことは間違いだ

X JAPANのトシさんの例でみると

  • 当時は友人知人、仕事関係者、家族と関わりがあった

  • が、トシさんはお金のトラブルなどで精神的に弱っていた

  • 関係者や家族はトシさんの取り巻きが怪しいと気づいていた

  • 報道、週刊誌などでも洗脳騒動で騒がれた

  • カルトは数人の組織

  • それでも10年以上洗脳された

こういった日常生活の中で洗脳されていった事実があると、現実としてどうにもならないのかと思ってしまいます。
あとづけでどうにかできたんじゃないかとはいくらでも言えるんですけどねえ。

おおざっぱにカルト系の特徴をまとめると

  • 白黒思考。私が正解、ほかは間違い。

  • 基本的に断言

  • 信者に質問をしない、信者は受け入れるのみ

  • おれはわかっている風のマウント口調

ただ、カルトや洗脳だけに限らず、日常でもこういった構図はあるんじゃないでしょうか。
これはいい商品ですよーなぜならこれこれこうでー
と相手を信用させて物を売ったりなにか行動させるようなことですな。

また、脱会時に鍵となるのは精神が安定した人の存在が身近にあるかどうかでした。
安定というのはなにかを押し付けるわけでもなく、相手の意思を尊重してくれる人。
おれは世の中を知っている、お前は知らない、だから教えてやるみたいなのとは正反対の人ですね。

個人的なまとめ

個人レベルでどうするかーみたいな話もありますが、一方でそういう問題が発生する構造の問題についても考える必要があるなあと思っていて

個人レベルだと家族がカルトに取り込まれてしまった場合、まず自分が助かることが最優先で距離を置くのがいいそうで。有名な飛行機の墜落時の酸素マスクはまず自分がつけるってやつですな。
他方、がっつりとりこまれてしまった家族をとりもどしたい場合はどうしたらいいんだろう。
自分だったら紀藤弁護士に頼むかなあ。

全体レベルの問題を考えたときに
ある機械があります。使うと恩恵を受ける人がいます。家庭を壊される人もいます。
どうしますか?
とか
あるレストランにいきます。おいしい食べ物がでてきます。その代わりに食事を没収される人がいます。
どうしますか?
みたいな考え方で例えると
いい思いをしてる人だったり関心がない人は別におれは困ってないからどうでもいいと言う。
困ってる人は今すぐなんとかしてほしいと言う。
こう考えると難しい問題すな。。

これは例えばですが、信者がたくさんいる団体だともちろん政治の世界だけでなくテレビ局やコメンテーター、新聞社などあらゆるメディアに信者の方がいることが想像できます。
そうなるとまず内部からカルトやばいぞ排除しようなんて動きはありえないすな。むしろ守る方向にいく。
で、外部からの攻撃に対しては敵とかサタン的な扱いで一切を排除する流れになりますな。
なのでもし日本の政治家をはじめテレビ局、コメンテーターなど各方面に統一教会と関係がある人がたくさんいらっしゃるとすると今まで通りの生活が続くのではないかと。

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