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三十路の女が、「サトシが引退するらしい」と聞いて。



ついにその時がきた。


三十路のわたしにとっては、大ニュースだった。
サトシには、心からお疲れ様と言いたい。

 小さい頃は「お花屋さん」「サッカー選手」などと、将来の夢を語っていたわたしたちだが、本当は違う。みんなサトシになりたかったはずだ。

 わたしたちは、大好きな相棒と仲間たちと共にどんどん強くなっていくサトシの姿から何回も勇気をもらってきたはずだ。現代の子供のなりたい職業ランキングはYouTuberが上位だということは聞いたことがあるが、わたしたちの世代はきっと「サトシ」だったと思う。

ポケモンと思い出

 父親とミュウツーの逆襲、ルギアの映画を見たことも覚えているし、ピカチュウ版のゲームボーイのソフトをおじいちゃんに買ってもらったことも覚えている。本がまだ読めないチビの時期に、お母さんに「これ買って」と、ゲームの攻略本をねだったことも覚えている。サトシとバタフリーのお別れの回は、なんで悲しそうな雰囲気でアニメが終わったのかよく分からずに、親に尋ねたことも覚えている。また、カタカナを覚えたきっかけが、ポケモンだった記憶も。 
 サトシに関しては、決してクールではない性格がたまにアニメの内容を引っ張ることがあり「何してんだよー!」と子供ながらに思うこともあったが、いつも明るく前向きで負けん気のある彼がバトルを勝っていくごとに、胸が高鳴り「いいなあ!こうなりたい!」と心の中でガッツポーズをしていた。

 小学校に入学する前は、ポケモンと、とっとこハム太郎で頭がいっぱいだった。小さい胸の中の限られたキャパのほとんどが、その二つのコンテンツで埋まっていたと思う。幼少期の歴史をなぞるには「ポケモン」は必須単語だ。

 しかし小学校に入って、ポケモンを見ることがめっきり減った。小さい頃から見ていたアニメが、より子供っぽく見え、ポケモンを見ることを避けた。
 当時はとにかく「子供っぽいもの」を大きく避け、ハム太郎の文房具さえも筆入れには入れなかった。早く大人になりたい、大人っぽく見られたいという意識が芽生えており、もうポケモンを完全に卒業しようとしていた。ポケモンなんかよりも、友達とオシャレを考えたり、好きな人の話をすることのほうが楽しかったのである。サトシをテレビで見ても、どうも思わなかった。以前、自分の将来の夢がサトシであることを完全に忘れていた。

 一方、わたしがポケモンから離れている間も、サトシは変わらずポケモンマスターを目指してピカチュウと旅に出ていた。「オレ、マサラタウンのサトシ」と、人に出会うたびに自分の自己紹介をし、悪の組織のロケット団をぶっ倒し、新たな出会いを求めていく。誰がいつ見ても、サトシは真っ直ぐな男で、たとえ彼のことを応援する人が減ったとしても、夢をひたすら追っかけていたに違いない。

 

そんな彼がポケモンリーグで優勝。そして、引退。


 わたしはこの30年間近い時間のなか、何回も夢を諦めてきた。

 小さい頃憧れだっただった「サトシ」が、わたしが夢を何個も諦めている間、夢に向かって一歩一歩着実に近づいていたんだなと、その時分かった。そして彼はポケモンマスターになるという夢を今、掴もうとしている。

 中高生の頃、たまにテレビをつけると放送されているポケモンを見ながら「サトシ、まだやってんのか」「ピカチュウってもうレベルカンストしてるはずなのに、なんでバトルで負けることがあるんだよ」とかヌかしたことを言ったことがある。サトシは結局アニメの世界の「夢追い人」だとなめきっていたのである。
 

「サトシに夢なんか叶えっこない。だって、アニメだもん。ずっと10歳のままだしさ。このままストーリーは続いていくよ。ほら、来週の告知、またピカチュウがロケット団に捕まるみたいだね。」と。


 わたしは夢を諦めたことは何回もあるが、一方で自分の中で「よし!やったぞ!」と認めることができた実績も確かに今までに何個かあった。わたしは、10歳のまま夢を追い続けるアニメの中のサトシを、歳を重ねるにつれて、いつからか下に見ていたのだろう。いや、見向きもしなくなっていた。

 そして社会人になり、ポケモンのアニメから完全に離れた今、「サトシがポケモンリーグ優勝、そして引退」という文字を見た時、率直に「やられた」と思った。
 30年近く前のアニメの切り抜き動画を見て、懐かしさを感じ、そしてサトシに対してのリスペクトが蘇ってきた。
 「アニメと現実は違うから」と言えばそこまでの話だが、昔と変わらない彼の姿がアニメの中にあるからこそ、小さい頃の記憶が大きく、そして重くフラッシュバックしてくる。いざ「引退」と言われると、最近はアニメなんかほとんど見ていないはずなのに、やっぱりサトシありきのポケモンの続編を期待してしまう。寂しいのだ。

 お前ならまだやれるだろ!なんでこのタイミングで終わるんだよ、おいサトシ!もう、未練たらたら。「もし子供の頃から今までずっとサトシを見続けていたら、今頃わたしはもっと勇気がある人間になっていたんじゃないか、なんで見るのをやめてしまったのだろう」と、バカなわたしは後悔すら感じてきたのである。ここでわたしは気づいた。
 サトシは自分だけの夢だからこそ、他人からどう言われようと、どう思われようとブレずにここまできた。ブレずにここまできたことをわたしは「まだやってんのかサトシは」と、この先も一生変わらないものとして認識していた。だから、その彼の強い信念(ブレない心)に気が付かず、ポケモンを見ることをやめてしまったのだろう。「子供っぽい」と。「どうせ続くアニメの主人公をこの先もやっていくんだろう。みんなのエンタメのため頑張ってる役者」と。そうじゃなかった。変わらない姿でいつまでも旅を続けていたのは、彼のブレない心を表していたのである。

 そんなわたしの未練や後悔を今さら訴えたところで、彼は振り返ろうとすることは決してない。わたしと彼では「覚悟」が段違いだ。よく頑張った。すごいよサトシ。
そう思った時、自然と寂しさという感情は「お疲れ様」に変わった。

長い長い、10歳のままの時間だった。

 彼はわたしと違い、何回も挫折しながらも、たったひとつの夢を追い続けてきたのだ。(悔しい+羨ましい+すごい)× おめでとうの気持ち、である。やっぱりみんなの憧れはサトシだったということだ。
 本当におめでとう。大人になった今でも、サトシのど根性は見習いたいなと思うよ。今まで本当にありがとう!途中、見向きもしなくなったこと後悔してるよ!

心にだいもんじ。社会に向かってはかいこうせん!
三十路の女もポケモンマスター目指すわ。


今日は終わりー!

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