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食わず嫌い【東京リベンジャーズ】

私は流行に乗り遅れる傾向がある。
またしてもその傾向を遺憾なく発揮し、最近になってハマったのが「東京リベンジャーズ」という作品だ。

今月実写版の公開が控えているため盛り上がりを見せてはいるものの、今さら感は拭えない。
とりあえずあらすじを見ていこう。

2017年。26歳のフリーターとして底辺の生活を送っていた花垣武道は、中学時代の彼女だった橘日向が弟の直人とともに犯罪集団東京卍會(東卍)の抗争に巻き込まれ死亡したニュースを目にする。翌日、バイト帰りに何者かによって電車のホームへと突き落とされた武道は、轢死を覚悟した瞬間に人生の絶頂期だった12年前の2005年にタイムリープする。不良仲間と共に渋谷の中学へ乗り込んだはずが、地元の一大暴走族だった当時の東卍に袋叩きにされる過去を追体験した武道は、偶然直人に遭遇。彼に日向が12年後殺される運命であると伝えた結果、武道は死を回避した直人に命を救われる結果に改変された2017年に帰還する。武道は直人の奮闘むなしく日向が殺害された事実に加え、自身が直人との握手によって12年前にタイムリープできることを示され、日向を救い最悪の未来を変えるべく、東卍での成り上がりを目指す。(https://ja.wikipedia.org/wiki/東京卍リベンジャーズ)

書店でコミックスを見かけたり、「東リベ」という単語を何かと見聞きすることはあったので、無料キャンペーン等で第1巻だけ読んだり、はしていた。まぁ興味はあったのだ。

そこで終わっていたのは食わず嫌いをしていたからだ。

この作品に登場するのはいわゆる「不良」の少年たちで、当然ケンカのシーンが盛りだくさん。
それこそ私の中学時代はヤンキー漫画が隆盛で、そういうジャンルの作品も嗜んできた身ではあるが、足が遠のいてしばらく経つうちに暴力シーンへの耐性が低くなったらしい。何度も1巻を読み、確かに興味を持っているのになかなか勇気が出なかった。

そんな私だが、何がきっかけになったのかこの度kindleでめでたく大人買い。一気に読んで気づけばすっかりハマってしまい、今に至っている。

全31巻のストーリーはやっぱりケンカ、暴力満載で、正直引くようなシーンや出来ごとも多かった。
同時に涙するシーンやセリフにも出会った。

この作品に登場する東京卍会のメンバーは、なんて一生懸命に、文字通りその命を燃やして生きているのだろう、と思い、そうやって生きられることに憧れた。ものすごく。

彼らはしっかりと自分の足で立ち、自分であることに誇りを持って真っ直ぐに生きている。

それがとてもうらやましくて、だから私は引き付けられるのだ。

ストーリーに圧倒され、一気に読み終えた1度目からすぐに2度目を読み、冷静になって思うことは、これが孤独と再生の物語だということだ。

八戒……頑張ることは辛くねぇよ 1番辛いことは  “孤独”なことだ

それは主人公タケミチのこのセリフにもよく表れている。第一話での彼には何もなかった。それがタイムリープによって心強い仲間を得て、どんな相手にも立ち向かう「強さ」を見せるようになる。ケンカの強さではない。大切な人を守るために、決して諦めず、勝てないとわかっている相手にでも「譲れない」と何度でも立ち上がる姿が周りにいる人たちの心を掴むのだろう。

それとは対照的なのが「無敵のマイキー」と称される佐野万次郎の姿だ。彼は弱さを他人に見せられない。誰からも「最強」であることを求められ、自らもそう振る舞っている。

印象的なシーンがある。15巻129話において、一人堤防に座るマイキーが、手にしたたい焼きをスイスイと泳がせながらこう問いかける。

「お前も海に逃げてぇか?」

マイキーもきっと、周囲の期待やそれに応えようとする自分から逃げたかったのではないだろうか。
それでもそうできなくて、あるいはそうしようとする自分が許せなくて、本当は苦しいと叫ぶ自分の心にさえ蓋をして、彼は立ち続ける。

また、最終巻でマイキーの中に巣食う「黒い衝動」の秘密を知ったタケミチが「黒い衝動ごとぶっ潰す」と言ったとき、春千夜の瞳から零れた涙。

幼なじみとしてずっと共にあった彼は、マイキーの全てを肯定して生きてきた。誰も彼を黒い衝動からは解放できない、と思いながら。でも、本当は彼こそ誰よりもマイキーを助けたいと願っていたのではないだろうか。だからこそ、真っ直ぐにぶつかっていくタケミチの言葉に打たれたのだろう。

戦いの果て、黒い衝動を開放したマイキーによって致命傷を負わされながらも、タケミチは彼の手を離さない。それどころか逆にマイキーをその懐深く抱き寄せ、彼に告げるのだ。

「君は一生オレの友達だ」と。

その言葉をきっかけに、黒い衝動に支配されていたマイキーの目に正気が戻っていく。

私たちは弱さを見せることが許されない社会を生きている。
周囲に望まれる自分、あるいは社会が描く理想の自分であろうと精一杯頑張っている。
心は擦り切れ、人はもちろん自分に対してさえ、余裕を持つことができなくなっていく。

作中にはこんな言葉もある。

「みんな弱い。だから家族(なかま)がいる」

弱さを見せることができない日常を生きる私たちは、そんな「家族(なかま)」を見つけることができるだろうか。
「普通」の枠に当てはまらない存在は簡単に排除されてしまう社会の中で、誰もが持っているはずの弱さを受け入れることができるだろうか。

この作品にそう問いかけられているような気がした。

私には、”善人です”という顔をして本心を押し隠し、「普通」を生きる周りの世界よりも、誰もが自分を貫き、本音でぶつかり、「宝だ」と言える仲間と共に生きる東リベの世界を羨ましく思う。

安心して弱さを見せられる。
弱いままでも許される社会であってほしい。
そして、人の弱さを受け止められる人間になりたいと切に願う。

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