見出し画像

自己肯定感とジャングルジム

 こんばんは。四日連続酒飲みが続いたので、当面休肝日とします。笑
 オンラインで飲み、妹の家で友人を交えて飲み、大学の同期と飲み、先輩と友人が泊まりに来て宅飲み。色々な形で酒を交わしました。どれも、美味しかったなぁ。

 表題と写真について。これは散歩の帰りに必ず寄る公園のジャングルジム。先月くらいまでは公園のベンチで一服するのがルーティーンでしたが、いつしかジャングルジムの頂上で煙草を吸うのが当然のように変わっていきました。二十七にもなって何やってんだか。

 しかし、このジャングルジムから見える景色は住宅街の一角ながら中々に良いものです。今までジャングルジムは、一番上が一回り小さくて、片仮名の「ロ」の字のものしか見たことが無かったのですが、この公園は珍しく「コ」の字で、丁度路地を入って公園に入ると私を迎えてくれるような格好で佇んでいるのです。

早朝の散歩。
西向きに流れる雲が素敵。
これは夕方。
夕焼け空が美しいのです。

 何故ここに「自己肯定感」が関わってくるかというと、以前の記事を読み返せば書き殴られていますが、私は自分が大嫌いでした。自分は人間社会の底辺に居て、誰よりも劣っていて、地の底から他の皆を見上げているような、そんな気分で日々を過ごしておりました。

 鬱病に罹り、約半年自分を見つめ直す為に考える時間が膨大にできました。医者の先生にも世話になりました。職場の上司にも、そして友人にも、元恋人にも。「自分、何やってんだろうなぁ」と、答えの出ない自問自答を永遠に繰り返していました。

 そして行動するエネルギーが充填された時、一気に環境を変えました。自分の心に正直に生きよう、と。やりたいことを素直にやろう、と。言いたいことは腹切って言おう、と。朋輩や、自分を正面から見てくれる人に対して、力になれることがあるならば身体張ってやろう、と。

 恋人と別れ、想い人に玉砕覚悟で突っ込んで見事玉砕しました。私は「別れ」というものが何よりも苦手です。あの八つ足よりも嫌いかもしれません。しかし、エネルギーが満タン状態の私は、脳足りんの知恵を振り絞るだけの力を持っていました。吹っ切れる時間も計算し、診断書に書かれた八月三十一日を最後に休職を解除する為に、この半自由な時間で後悔を残さぬよう、私なりに脳味噌を爆転させて考えて動いております。

 友人から「地頭はあるのにやらないのが勿体ない」と幾度となく言われ続けてきました。その地頭は、やはり使ってみると思っていた以上の力がありました。先見性が磨かれたというか、予知が見事に当たるんです。妹の気配り能力もドブの底から見上げていましたが、思い返してみれば私も高校時代に、恩師から恐ろしい勢いで周囲への気配りと礼儀作法を叩き込まれたので、あいつに負ける訳が無いと自ら思えるようになりました。
 飲み会があれば千円札を四枚と小銭を用意しておく。集金があれば封筒にメモ書きと共に渡す。それが自然とできたこともまた、「俺すげぇ」に繋がりました。試験勉強なんて自動車教習位しかやったことのない私ですが、恵まれた脳味噌を与えられたと何処かの誰かに感謝しています。

 やがて私の視点は少しずつドブ底から這い上がり、いつしかジャングルジムの頂上になりました。人より少しだけ高い所からモノを見ていると、意外な発見や縁ができるものです。犬の散歩をしているおばあさんとワンちゃんと仲良くなりました。自分が好きになれてきて、ご近所さんにこちらから声を掛けてみることも増えました。今朝は家で葡萄を育てている方とお話ししました。

「おはようございます、葡萄ですか?」
「おはよう。そうなの、うちで育ててるのよ。お店のものほどいいものじゃないけどねぇ」
「いやいや、ご立派ですよ。台風一過後も無事で良かったですね」
「まぁ、ありがとう。この辺の人?」
「はい、すぐそこに住んでます」
「そうなのね。今日は暑いからお気をつけて」
「はい、ありがとうございました。失礼します」

みたいな感じ。親父は若い女の子によく声かけるナンパ師みたいな人だけど、俺は逆にご老人と親しくなる機会が多いんです。精神年齢その辺なのかな、と思いますね。笑

 何はともあれ、周りの助けも沢山借りつつ、自分でも筋トレは未だに続け、自由奔放にあれやこれややっているお陰で、今や自分大好きになってきました。ナルシストと言われても結構ですが、大好きというより、自分の良さに向き合って認められるようになった、という方が自然ですかね。今までは過去の蛮行に引きずられ、自己否定を無限に繰り返す負の渦でしたが、ようやっと抜け出して光へ向かうことができました。

 今回の一曲は、lynch.「GARROWS」。ライブではヴォーカル葉月が「ようこそ、処刑台へ!」と煽ります。何故この曲を選んだかといえば、友人のオカルト好きが少し移ったとでも言うべきでしょうか。現在、二十七歳。四十歳までに一千と百万円を返すのが今の目標です。十三年、十三階段。何となく、四十になった後はどうなってるのかなぁ、と思ってしまいます。処刑されるのは、きっと汚れた掌の私であり、綺麗な掌になった私に生まれ変わると信じたいものですね。

空はときに 雨を寄越し 風は猛り 夢を奪っていく
それでも 志半ば腐るために生きてるんじゃないだろう
さぁ行こう 死の先へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?