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海外キャリアの出発点|凡人のグローバル・キャリア戦略

このマガジンでは、「26歳までパスポートも持っていなかった純ドメ田舎モノがグローバルキャリアを歩むまで」というテーマで記事を書いていきたいと思います。海外で働いたり、英語や中国語を使って働いたりすることを将来の選択肢として考えている方の参考やモチベーションになればと思い、自分の経験をご紹介したいと思います。

私は現在(これを書いている時点では30代後半です)、大手のグローバル企業でマーケティング関係の仕事をしています。オフィスは東京ですが、香港、シンガポール、フランス、イギリス、中国など様々なバックグラウンドを持つ同僚や上司たちと毎日働いています。以前は事業会社で上海に3年半ほど海外駐在員としても働いていました。

今でこそかなりのグローバル環境で働いていると思いますが、実は26歳までパスポートすら持っていなかった、もちろん留学経験もない地方の田舎出身の純ドメスティックな凡人です。

まずはそんな自分が、なぜグローバル・キャリアに興味を持つようになったのかを書かせていただきたいと思います。

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人生初の海外旅行は台湾

私は関西の国立大学を卒業後、日系の事業会社に就職しマーケティング関連の仕事をしていました。学生時代はお金が無かったことと、海外旅行になぜか全く興味が持てず、一度も海外に行ったことがありませんでした。大学の卒業旅行ですら理由をつけて行かなかったほどです(笑)。

ただ社会人となって数年後、周囲が当たり前のように海外旅行を楽しんでいる様子を見て、「海外に行ったことがない」というのがそろそろ恥ずかしく思えてきたのです。ちょうどその頃、私の性格とは正反対でフットワークの軽い姉が、台湾へ移住して生活を始めていました。そこで会社の夏休みを使って、台湾の姉のところへ遊びに行ってみることにしたのです。パスポートを生まれて初めて作ったのもその時でした。

初めての海外、台湾を旅してみての感想は、「日本語が通じない日本じゃん」でした。親日国である台湾には、当時からたくさんの日本のものがありました。デパートのマルイや、定食の大戸屋などを見かけ、「海外にもあるんだ!」と驚いたのを覚えています。初めての海外旅行としては、台湾は海外の旅入門編のようで結果としてとても良かったと思います。

「ゴールド・カラー」との出会い

台湾への旅行はとても思い出深いものでしたが、それにより海外志向が急に高まったわけではありませんでした。

自分の海外志向へ大きな影響を与えたのは「ゴールド・カラー」という概念との出会いでした。ゴールド・カラーとは、経営学者のロバート・E・ケリーが、「ゴールドカラー」(1985年)の中で提唱した概念で、私はこれを、社会派ブロガーちきりんさんの「ゆるく考えよう」の中で知りました。以下はその中の説明です。

たとえばブルーカラーは、生まれた町で高校を出て隣町の工場に勤め、近くのバーで配偶者と出会い、子供は地域の学校で育ちます。人生は半径50キロほどのエリアで完結するのです。
一方、ホワイトカラーは、金沢で生まれ育って東京の大学に行き、仕事では大阪に配属になるといった具合で、半径数百キロを移動します。
さらにゴールドカラーは数千キロを移動します。先日、雑誌で見た米国の投資銀行のチーフエコノミストの方は、中国の田舎生まれ、清華大学(中国の理系トップ大学)の工学部で博士号を取得、その後ハーバード大学で経済学の博士号を取得して国際機関で働き、今は米系の投資銀行で働く傍ら、中国政府のアドバイザーも務めているとのことでした。
(中略)人生の舞台の半径が1桁違う。これがゴールドカラー層の特徴なのです。
(中略)もうひとつ、彼らは「誰にも使われない人」です。ゴールドカラーの人は、形式的には会社に雇われていても、自分で主体的に仕事を選び頻繁に転職します。ときには自分で会社をつくりもします。日々の仕事も自ら判断しながら進め、成果のみで評価されます。自分の上司は自分である、という人。これがゴールドカラーのふたつめの特徴です。

ちきりん「ゆるく考えよう」

つまり、ゴールドカラーとは
・人生の活躍の範囲が1,000キロ以上(というか海外)
・ただの会社員ではなく、自分のスキルで稼いで生きる

という人のことです。

めちゃくちゃカッコよくないですか?(笑)
この概念との出会いは、純ドメスティックで田舎モノだった自分に海外志向が芽生えたとても大きな出来事でした。

転機はセブ島への1週間留学

ゴールド・カラーとの出会いの他に、もう一つ大きな契機がありました。それは、29歳の時に、1週間の休みをとってフィリピンのセブ島にある語学学校で英語を勉強したことでした。

台湾への初海外旅行の後、友人の結婚式でハワイに行ったり、その他のキャリア系の本を読み漁ったりするうちに、海外への興味が次第に大きくなっていました。そこで、休みが取れたタイミングで「留学というものをしてみたい」という思いを実行してみることにしたのです。

当時は2015年頃でしたので、ちょうどセブ島留学業界が盛り上がり始めた時期でした。セブの語学学校は多くの日本人で賑わっていましたが、感覚的には80%くらいが大学生。残りの20%が社会人という感じでした。当時すでに20代とはいえアラサーになっていた自分でしたが、仲の良い仲間もでき、学生に戻ったような気持ちで語学学校生活を楽しむことができました。

たった1週間だったので英語力がそれによって伸びるわけはないのですが、海外の非日常と、英語を学ぶ楽しさを感じました。

帰国してからもこの体験が忘れられず、「いつか海外で働きたい」という気持ちが強くなっていきました。そして、私は当時からマーケティングの仕事をしていたので、その専門性を高めつつ語学力を身につけられるという意味で、「MBA留学」というものを現実的な選択肢として考えるようになりました。この時から、MBA留学を見据えた英語の勉強が始まったのです。

「あの短期留学で人生が変わった」などと大それたことを言いたくないのですが、自分にとっては非常に大きなきっかけになったことは間違いありません。

この次のnoteは海外MBA関連のことについて書く予定です。

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