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渦中から君へ14

「仮設の映画館」というものがある。

コロナウイルスが発生する前からいわゆる「ミニシアター」と言われる映画館はどこも経営が厳しい状況にあった。近年、多くのミニシアターがつぶれてしまってたし、ぼくが神戸に住んでいたときも、通っていたミニシアターが2つもつぶれた。
そしてコロナによって映画館は休業を強いられている。
クラウドファンディングなどでそういったミニシアターを応援しようという動きもあるが、果たしてコロナ後にどれだけの映画館が生き残れるだろうか。本当に心配している。
そんな中、「仮設の映画館」というのがネット上で立ち上げらた。
これは映画館の休業により上映される予定だった作品を映画館の入場料と同じ1800円で動画配信するという仕組み。
これによって実際に映画館で映画鑑賞をするのと同じ配分で映画館と映画のクリエイターにお金を落とせることになる。映画館は実在する映画館から自分で好きな場所を選べる。こんな状況だからこそ、自分の好きだったり通ってたりする映画館を応援できるということだ。

僕は今朝、この仕組みを使って「精神0」という作品を鑑賞した。この作品は想田和弘監督による観察映画の第9弾目の作品で、もともと観察映画はずっと好きで見ていたので劇場公開を楽しみにしていた。
だが想田監督の作品は都内のミニシアターでしかかからず、コロナがなくてもきっとそこに見に行くのは難しかっただろうと思う。それがこの「仮設の映画館」のおかげでオンタイムで見られることになったわけである。
zoom飲み会もそうだが、地方住まいで育児のためにそもそもあまり外出できないぼくらにとってはコロナというのは悪いことばかりじゃない。むしろ恩恵をこうむっている部分もあるなと思う。居酒屋とかも子連れでは入りにくいが、おいしいテイクアウトをやってくれている。コロナが落ち着いてもテイクアウトは続けてくれないかな。

ぼくが思うに、コロナによって間違いなく世の中は変わる。既成の価値観が見直され、不要だったもの、過剰だったものの多くが消えたり、目立たなくなったりするだろう。そして多くの人が家にいるしかなくなったことが、新しい気づきをえるきっかけになることだろう。たとえばテイクアウトの可能性、オンラインコミュニケーションの可能性、時間の使い方、快適な家での過ごし方。「実はコロナ騒動のときがきっかけになってるんですよ」と近い将来、必ず耳にすることになるのだと思う。さまざまなことがドラスティックに代わり、いい方向へと流れていってくれればいいなと思っている。

ただ一方で、やはり変われないんだろうなと思っている自分もいる。なんせぼくらは311後、原発事故後も変われなかったこの国にいる。もっと言うなら、70年以上前のあんな敗戦を経験しても、戦前の日本の姿を「よき伝統」だと思い込んでいる現政権みたいな政権を誕生させてしまっている。いくら大きな痛みを経験しても、それがどうして起こったのか、どうすることが正しかったのかをしっかり検証しなければ、結局はまた同じことを繰り返すのだ。だから、どうせ多くの部分はコロナ収束後も省みられることはなく、何もなかったかのように続いていくのだろう。

今朝は君を保育園に送った。
月曜日のみの登園。
歩きながら君は「ばあばばあばあばばあば」と呪文のように繰り返していた。
ばあばのうちに行きたいことはよくわかったが「明日はばあばのうちに行こうねー」とごまかしながら保育園へと手を引いていった。幸い抵抗はせずに保育園に入っていき、それでも保育士さんにだっこされた君は悲しそうにぼくに手を振っていた。
保育園も嫌いではないんだろうが、やはりばあばのうちがいいんだね。
迎えに行ってぼくが抱き上げると、君は下ろせと抵抗した。園庭の遊具で遊ばせろってことかと思ったが、もしかするとばあばの家に連れていかなかったことを怒ってたのかも。
帰宅してからも不機嫌そうで、「保育園はどうだった?」と聞いたら「ばあば」と呟いた。
少ない語彙の中で君はきっと「いや、保育園じゃなくてばあばのうちに行きたかったんだよ」とでも言いたかったんだろうな。
悪かったよ。でもこっちの都合もあるんだよ。

予定ではそういうばあばとの日々もあと二週でおしまい。6月からはまた保育園の日々がはじまることになっている。

週間予報によると今週は天気が悪いようだ。
そうすると農業ができるか微妙だし、ばあばのうちにも行かないことになるかもしれない。かわいそうだが、ぼくと遊んでもらう。それは別に嫌ではないだろうが(そうだろ?)、やはりばあばに随分と愛着が湧いたみたいだよね。
これもコロナの恩恵と言えなくもないか。
だってこれから先、これほどの時間をばあばと濃密に過ごすことはもうないよきっと。

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