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目眩く夕日堂やっほー #1

#1 いろいろやってみよう

 みなさんこんにちは。
今日から新しいシリーズをやってみよう、と思い立ちまして、
何かその時々に思いついたことを、徒然に書いていきます。
2020年初頭以来、ぐだぐだな世の中になってしまい、
もうみんなうんざり、でしょ?
自分が無事でも、何かしんどいですよね。
苦しい時期だからこそ、何か訴えたいことや、
新しく思いついたこと、まあしょうも無いことが多いかも知れませんが、
いろいろやってみようと思います。

 記念すべき第一回目、何にしましょうかねー・・・。
時節柄、「ワクチン」、かなーって思いますが、
微妙な問題ですね。
皆さんは予防接種されましたでしょうか?
私は、まだです。まだです?は不正確かな。。。
私は昨年の早い時期から、ガチ中のガチの専門家である
ウィルス研究者のレビューを定期的に学習してきたので、
ゴリゴリの文系にもかかわらず一定程度の知識を授かることが
出来ています。講義を受ける中で、ワクチンの功罪を
かなり具体的に知ることとなり、国や自治体が
「ワクチンこそが救世主」という伝達の仕方を行ったことは、
今の窮状を招いた一因であることを考えておかねばなりません。
ご存じかと思いますが、ワクチンは治療薬ではありません。
疑似感染することで免疫を獲得し罹患しにくくするというものです。
それも絶対に感染しないわけではありません。
接種していても感染しますし、しかも何度でもかかります。
罹患した場合重症化しにくい特性はあります。
ただこのことが、人心の迷いを生んでいる、
ここが問題を複雑かつ悪化させています。
なので、今回のパンデミックを取り巻く問題点を列挙してみます。

・SARS-CoV-2は、SARS-CoV-1(2003年に流行した日本で言われているサーズ)の進化版で、非常に制圧しにくく、パンデミックに至った

・変異の速度が速くて多様な変化をするウィルスである為、薬剤の開発が追いつかない

・既存の医学知見では対応しきれておらず、各分野の研究者間でも意見が分かれ、結果として対処療法しか取れないため後手を踏むことが頻発する

・医学的対応能力に著しい限界が今の段階ではあるため、医療機関にかかる心理的バイアスが増大する

・その結果、医療従事者の不満が増幅する

・その結果、医療系と非医療系の間に思考分断が起こる

・ワクチンの登場で「これさえ打てば大丈夫」という勘違いが広まり、
接種した者の中から感染対策を怠った者が続出した結果、ウィルスを広げる者が後を絶たない

・非罹患者の中に「自分だけは大丈夫」という根拠のない自信が増幅し、無責任行動を起こす者が頻出する結果、ウィルスを広げる者が出る

・その結果、医療従事者の不満はさらに増幅し、医療系と非医療系との思考分断による対立がさらに加速する

「悪循環しかないやん」
その通り。このウィルスの本質、というかこのウィルスがもたらした効能の一つとして、人間の本性を炙り出したということが出来ます。
思考の分断、人間関係の対立。ウィルスさえ無ければ、と思うでしょうが、ウィルスのせいにするのはお門違い。負けを認めなければならないのは、時間の猶予が何十年もあったのに、準備を怠り続けた人間の欲深さです。

 研究者が嘆くのは、もっと基礎研究に光を当ててくれれば、予算や人員を拡充していてくれたなら、この国自前のワクチンや特効薬の開発を迅速にできたかも知れない、と。予算を供出しているのは国民です。結局、民が何らかの形で結果責任を取らされる。人口調整の局面ではないか、誰かが犠牲になって初めて何かが創出されるのか、物の見方は様々です。今のところ自然現象の一種とされていますから、準備と言っても限界はありますが、もっと出来ることが何年も前からあっただろうことは認めなければなりません。もしこれが人災とすれば、それなりの論拠を用意されなければなりません。議論は慎重に静粛に行ってもらいたい。アンチや極論者の物言いは、暴言暴論の極みで見るに堪えません。厳に謹んで頂きたいです。

 いずれにせよ、未知の部分が多すぎることから、わからないことだらけということを大前提にして議論すべきです。SNSの反応を見ていると、明らかに不勉強で無知な者が攻撃的な意見を述べて自己満足している風潮が強く、空虚です。残念ながらMDやPhDの肩書だけで専門家と称するのは無理があります。専門分野が多岐に細分化されている世界なので、単にMDやPhDだというだけでは最先端の重要な質問には十分答えてもらえません。ですからSNS等で専門家と称する人の書き込みを見たとしても、飛びつかないでください。複数の意見との比較検証が必要です。臨床医であれば実際の臨床の場で起きた事象・経験に基づいたことを知らしめて欲しいですし、研究医であればこのウィルスや開発されたワクチンについての見解を論文や研究経験に基づいて知らしめて下さればいいのであって、きちんと議論すべきです。しかも医学の知見だけでは限界があることを示している、多種多様な学問学識を必要とされている難題です。非難・中傷合戦はどの立場の方であっても、厳に慎むべきで、そんなことをしている場合ではありません。残念ながら、専門家と称する人間の中にも、素人の専門外の人間の中にも、他人をバカにするような無責任な態度言動が散見されます。表現の自由があるからと言って、何を言ってもいいのでは無い。また、そのような言動の尻馬に乗るかのようにいいねボタンを考え無しで押す。このような真似は、しないことです。共同正犯ですから。基本的には「相手にして欲しい」承認欲求の強い輩に該当するので、そのような人間は無視です。相手にされていないということを思い知らせるのが一番です。「同意」「同調」という報酬をやたらに欲しがる無節操には、「布施を止める」のが一番の特効薬、です。
 暴言暴論は相手にせず、健全な議論討論を誠実に行っている人の意見を見つけていくことが、素人にも出来ることです。文句ばっかり言ってる人間って、論拠を示せていないので、わかりやすいです。先日ある放送局の討論番組に出ていたジャーナリストが政権批判の持論を展開すると司会者から「対案を示せ」と詰め寄られて、しどろもどろになって自分は政治家ではないので等と言い訳をすると、「見解をきちんと答えていただきました、ありがとうございます。」と司会者は括りました。見事でした。普段から左派だと揶揄される放送局の職員の中にも中立性を堅持できる人がいるのだと、ちょっと安心しました。ここの系列には、他にもキー局の思想とは一線を画す人がいて、みんながみんな洗脳されている訳ではないのだと思いました。こういった真剣な議論や問題提起が、どこの組織であろうと、どんな身分立場であろうと、自由に出来ることが大切です。
 ということで、ファクトチェックの為に情報収集手段として呟き系を見るのは見るのですが、炎上商法の片棒を担ぐ気は無いので論拠に欠ける書き込みは無視します。ただ、明らかに公序良俗に反する輩には通報等の手段をとった方が良いのでしょう。傍観は同罪なので。幸か不幸か、私がそういったものを見かけるときは大抵誰かが応戦して、ドンパチやってますね。炎上系は思考が幼稚なので、突っ込まれるとあたふたするか馬鹿呼ばわりしながら喚き散らして逃げるかしてますが。顔や名前が見えなくても、情けないですね。
そういうのはその人間の脳みそにシミになってとりついて消えないものです。ですから、やらない方が良いのです。違法薬物と一緒です。
 この冬に向けて、最も懸念されることは、新コロワクチン接種率が上昇するにつれて、ADE(抗体依存性感染増強)発現率が跳ね上がること。ワクチン接種率の向上と、ウィルス拡散や変異スピードとの相関関係の問題と合わせて注視していかねばならなりません。現状ではベネフィット>リスクとされていますが、現実は十分な治験を実施できずに汎用された壮大な人体実験の最中に我々は身を置いているということを、忘れてはならないのです。脅すわけではありません。複雑すぎる免疫学を、千本ノックでも受けるかのように、食らいついて素人は学習しないと、選択を誤りかねません。そういう意味では、今回の新コロ騒動は、医学や獣医学系の知識にとどまらず、人間の心理といった複雑で難解な問題を数多く提示し、自ら率先して情報収集や学習をすることの重要性を教えられる貴重な経験の機会を得ているのだと考えます。

 免疫学の権威も仰っているように、ワクチン接種の是非の選択権は個人にあります。接種如何で差別をするようなあさましい行動言動は絶対に許されません。ワクパス問題もありますが、非接種者を排除したり、接種済みの人を危険扱いしたり、人権に悖るような振る舞いは絶対に止めていただきい。我々はまだ分からないことだらけの世界にいるのだから、何かを断定することは出来ない。ただ、心配事には警鐘をならすべきです。ケンカや罵りあいではなく健全な議論を。全員賢明で、健康であって欲しい。切なる願いです。いつの日か、この世からウィルスの恐怖が消え去ったとしても、個人で出来る感染症対策は継続してやっていきたいです。


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