今ここにあるもの
「ごめんなさい、タイプじゃなかった」
交際していた彼に、そう別れを告げたのが5年前。
俊二が買ってきたガリレオ温度計を見て、
ああ元カレの部屋にも置いていたなあと思い出した。
国立大学の理系学生だった彼。
俊二の「なんかきれいだから」という理由ではなく
理系ならではの視点で「これは大気の空気が冷えることで〜うんぬんかんぬん」と
仕組みに魅せられていた、ガリレオ温度計。
小さい水玉型の温度計では、18度以上じゃないと計れない。
全色、滴が上に上がったまま。
「懐かしいなあ」
「え?懐かしいって?」
「いや、なんでもない」
声に出すと本当に懐かしくなって、ふとSNSで彼の名前を検索してみた。鍵のついていないアカウント。トップ画像には、赤ちゃんの写真。
え…赤ちゃん…?
付き合っていた頃は、好きなゲームのマスコットキャラだったのに。
ここで辞めとけばよかったのに、スクロールすると出てくるのはなんとも可愛らしい赤子、赤子、赤子。
その前には誰かと行ったのであろう旅先の風景や、美味しそうな食べ物の写真。
そして。
「#最高の結婚式」のハッシュタグとともに映る、幸せそうな新郎新婦。
タキシードを纏っているのは、間違いなく元カレだ。
3回目のデートで告白してくれた彼と、付き合ったのは1年半。
おしゃれなバー、ホテルディナー、動物園、水族館…いろんな場所に連れて行ってくれた。
でも私は、彼を好きにはなれなかった。
どうやって別れを切り出そうか同僚の俊二に相談しているうちに、あれよあれよと付き合うことになり、そのまま「好きな人ができた」と言って別れた。
だから、彼はまだ私に未練があるんだろうな、なんて、そんなことを、なんの根拠もなく思っていた。
自惚れていたのだ。
恥ずかしい。誰にも言った覚えはないし、別にこの自惚れ女!と罵る人もいないのだけれど。
なんだこの、なんとも言えないやるせなさは。
机に突っ伏した私を見て、俊二は、私のつむじに指先で触れ「どうした〜?」と不思議がっていた。
その指の体温が、深い羞恥の沼から私をゆっくりと現実へ引き戻す。
顔を上げると、へらっとした俊二がいる。
そうだ、私がへこむ必要なんてない。だって、私はあのとき自分で選んだ。あの瞬間、元カレを手放した代わりに、この人を選んだんだ。
そして、今もそばにいてくれている。
今より大事な過去なんてないよね。
今ここにあるもの
「俊二」
「ん?」
「いつもありがとう。」
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//瀬尾まいこさんの本の言葉から、インスピレーションを受けて書きました。
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