第一話 ホーチミンの夜は暗く、騒がしい - ブイビエン通りにて 2019年4月のベトナム・ホーチミン旅行記
空港からGRABで中心部へ
日が落ちる前にホーチミンにつくはずが、結局夜19時過ぎに。夜の帳はすっかり落ちてしまっている。
ベトナム最大の経済都市、ホーチミンの国際空港だけあり、どこもかしかも人人人。だが室内外ともに照明の光が全体的に弱く、どこか不安な気持ちにさせられる。人の多さ故に活気はかなりあるのだが、亜熱帯の薄暗い中、広大な敷地を多くの人々が蠢く姿には妙な違和感を覚える。
あまり長居する必要がないのでさっさと空港を脱出。今回もGRABを使用。
しかしながらタンソンニャット国際空港の接続道路は非常に複雑かつ立体構造のため、互いの居場所を認識することが出来ない。翻訳機能付きチャットである程度ドライバーと遣り取りは出来るのだが、こちらが不慣れな外国人ということもあり相手の意図が中々つかめず、マッチングしても乗車拒否、というケースが相次いで起こり参る。
だが30分ほど奮闘すると、たまたま目の前にいたGRABドライバーとマッチングできるという幸運があり、無事空港脱出。
多少お金がかかっても空港のタクシーサービスを頼むか、ホテルの送迎を頼んだ方がスムーズだったのではないか、とちょっと後悔もあったが、無事に乗れたのでよかったよかった。
空港から中心部へ向かう。空港同様、中心部へ至る道も非常に暗い。外灯の数が足りておらず、数少ない外灯も日本のそれと比べるとルクスが低い。
空港周辺は工業団地や倉庫が多く、加えて休日という事情もあるので分からなくは無いのだが、いくらなんでも暗すぎやしないか、と不安になる。
車窓から広がるのは漆黒の闇、そして行き交うおびただしい数の自動車とオードバイの群れ。工業・倉庫地帯を抜けて市街地に入っても、暗さは変わることなく、だが一方で交通量はより増え、歩道を行き交う地元民が多く見えてきた。
本能的に人間は闇を恐れる生き物であり、暗い場所に好んで人が集まることはないのだが、ここホーチミンでは暗い場所であっても何事もなく出歩く人が多い。
ロクな照明が無いにも関わらず野外に机と椅子を出して、食事やBBQに興じているサイゴン市民が数多く目に映るのが不思議でならない。
市街地と雖もまだ中心部ではないからなのか、と思っていたのだが、中心部らしき所に差し掛かっても暗さは相変わらず。
結局そのまま中心部にあるホテルに到着。おおよそ1時間近いトランジットタイム。だがGRABパワーでダナンで乗った20分弱のぼったくりタクシーより運賃は遥かに安い。
苦労してでもGRABを使って良かった、と思う反面、
あのダナンのボッタクリは本当にクソ野郎だったな、と改めて怒りが湧いてくる。
ボッタクリに合うと精神的なダメージが尾を引くのが辛い。
金額云々の問題ではない。
何かと不快感記憶がフラッシュバックするのが嫌なのである。
ホーチミンはパラレルワールド!?
ホテルに到着。いかにもアジア人が考えつくようなフランス式のコロニアル様式のパロディみたいな造り。
レセプションでは白亜の外観にシャンデリア付きで、印象派風の絵画がデカデカと飾ってあるが、客室は年季の入った傷が多いフローリングが目につく普通の造り。
エクスペディアや公式WEBの客室写真では豪華絢爛な造りに見えたのだが、この手のフォトショップマジックはどこにでもあるのでご愛嬌。
木製の扉がやたらでかくて重く、なにより窓がないので圧迫感はあるが、
30代の男二人が泊まる分には特に支障は無い。
さっさと荷物を置いて外へ出ることにした。
いよいよホーチミン観光。ダナンでのトランジットで予想外の時間を費やしたため、初日はあまり出歩かずに、バックパッカー街であり大規模な歓楽街でもあるブイビエン通りを散策し、そこで晩御飯と飲み歩きだけに留めることにした。
ブイビエン通りまで、ホテルからは徒歩5分程度と近い。
だが中々目的地までたどり着けない。
ベトナムでは信号機がほとんど機能しておらず、自動車と夥しい数のオートバイが絶え間なく車道をタイミングを見計らって横断しなければ行けない。
まるでワイワイワールド2のラストステージ前にあるパラレルワールドステージをリアルで体験しているようである。
そして車道だけではなく、ジョジョ3部のウィルソン・フィリップス上院議員のように歩道を我が物顔で突如通行するオートバイも数多くあり、全く油断も隙もない。
これには10年前のハノイでも苦しめられたのだが、ベトナムも当時と比べるとかなり発展しているし、場所も最大の経済都市であるホーチミンであるため、流石にこの手の交通事情は改善されているものと勝手に期待していた。
だが10年経っても、場所が変わっても、全く何一つも変わっていなかった。道路を横断するだけで無駄なスリルを味わう羽目になるのは正直キツイ。
しかし今回は一人旅ではなく、旧友のSがいる。
Sと共にワイワイワールド2のパラレルワールドステージの脳天気なBGMを口ずさみながら、タイミングを見計らって道路を横断するとある程度気が紛れて、前回経験した程のの強いストレスに晒されることはなかった。
気の置けぬ道連れがいる旅は本当に素晴らしいものだと改めて思い知る。
夜の公園にご用心
悪戦苦闘しながらも繁華街へのショートカットになっている広大な公園へとたどり着く。さすがに公園の中には往来する自動車もオートバイもいないため、車道横断のストレスから解放されてズンズン歩くことができる。
ここを抜ければ目的地まで目と鼻の先。
この公園もご多分に漏れず照明が弱く暗い。
そして空港からの道すがらと同様に、往来する人やベンチに腰掛けて談笑している人は非常に多い。人が多い暗い公園、というのは実に奇妙であり、その奇妙な空間にSと二人で足を踏み入れているのも不思議な感じがするが、あまり長居したい場所には思えなかった。
Sと当たり障りのない会話をしながら目的地まで向かっていたのだが、道中で、ボサボサの長髪に原色ワンピースを纏った鶏ガラのように痩せ細った怪しい女が対面から歩いてきた。
暗い公園に佇む彼女は幽鬼の如く、という表現がぴったり。
薬物中毒の売春婦だろうか?
関わり合いになると厄介なことになりそうなので、すれ違わないよう道を逸れたのだが、不幸にも先方から存在を認識され、こちらに向けて歩みを進めてくる幽鬼。
甲高い声で何やら発しているがベトナム語なので全く分からない。
走り出すと変に刺激を与えそうなので速歩きで軌道を逸らそうとしたが、
敵のスピードは中々早く、結局パーソナルスペースへの侵入を許したかと思うと、突如右肩をガシッと掴まれてしまった。
かなりの恐怖を感じたが、こちらは体格の良い成人男性二人。逃げるのはそこまで難しいことではない。
肩を大きく揺らして腕を振りほどき、無言で速歩きにて立ち去る。
すると幽鬼は突如大声を発し、後方から股間を思いっきり蹴り上げてきた。
辛うじて睾丸にはヒットせず、分厚い僕の尻が代わりに犠牲になったのだが、鶏ガラのように痩せ細った女性にも関わらず、蹴りはかなり強烈であった。
蹴り上げるとそれで満足したのか、女はフラフラとどこかへ立ち去っていった。下手に粘着されなかったのは不幸中の幸いである。
光り物で刺してくる可能性だって考えられた。
しかし股間を蹴られる経験なんぞ小学生の頃依頼である。
普通に日常生活を送っていれば大人になって股間を蹴られることなんて無い。
しかも面識の無い人間に、海外でいきなり蹴られるとは災難でしかない。
やはりベトナムは恐ろしい所である。繁華街の中心にある巨大な公園を夜間にショートカットとして使った判断はまずかった。男二人と雖も気を引き締めてかからねば。
バックパッカー街・ブイビエン通り
じんじんと痛む尻を引きずりながら公園を脱出し、ホーチミン最大のバックパッカー街であるブイビエン通りに到着。
このエリアは、タイにあるバックパッカーの聖地として有名なカオサン通りのホーチミン版と言った所である。ここが今晩のハイライトであるし、毎晩ハイライトとなる予定の所でもある。
お互い無類の酒飲みということもあり、この手の解放感と活気ある屋外で酒をひたすら飲むことを旅の最大の目的としている。
Sとは何度も海外旅行に行っているのだが、毎回この手の大通りで酒を飲みながら旅情に耽ることにしている。やはり暑い夜に外で酒を飲むのは良い。これ以上の楽しみは我々にはない。
このブイビエン通りの第一印象だが
うるさい。
非常にうるさい。
オープンスタイルのバーやクラブの類が数多く立ち並んでいるのだが、
至る所でコンプレッサーを効かせたEDMが大音量で流されており、隣にいるSとの会話すらままならないレベル。
各店ごとに大音量で異なる音楽を垂れ流ししているため、各々音を打ち消し合っており、音に認識ができない。
混じり合い過ぎて変拍子になり、とてもダンスなんて踊れないEDMの重低音が胸に響き渡るのが何とも居心地が悪い。
カオサン通りもうるさいことはうるさいが、音が混ざり合って訳が分からない、ということは流石になかった。
こんな環境でもグループで会話を楽しんでいる地元の若者はすごい。読唇術で会話でもしているのではないか?
通りをぶらぶらと歩く。
ぶらぶらと言っても人が多すぎて気楽には歩けないのだが。
恐ろしいことにこのブイビエン通りは歩行者天国ではない。
普通に自動車やバイクの類が通行してくる。
歩行者だけではなく路上店やら大道芸人やらで埋め尽くされているこんな通りは運転し辛いことこの上ないと思うのだが、結構な頻度で自動車なりバイクなりがやってくるので危ないことこの上ない。
またベトナムという国が一応社会主義国家であり、この種の観光地として歴史が浅いからなのか、カオサン通り等と比べるとバックパッカー風の白人の若者がさほど多く見られない。
多くはヤンチャな風貌の地元民、もしくは中華系韓国系の若者ばかり。
だがガワは典型的なパナナパンケーキトレイルのソレ。
不良白人バックパッカーへの憧れがこの通りを作り上げたのだろうか。
少々歪に思えるが、人が多く集まり賑わっているのでそれはそれで良いのだろう。こちらもおかげで重厚な異国感を味わえるのだから。
せっかく来たので地元の若者がブイブイ言わせている店にフラッと入る。
だが前述の通り音の氾濫が酷すぎて、Sとの会話がうまくできない。
加えて酒の値段が日本と全然変わらない。
1杯だけ飲んで雰囲気だけ味わい、店を出ることにした。
その後、通りの奥へと向かう。この種のバックパッカー街は外れの方や路地までいくと、喧騒も薄れてローカル色の強いお店がフラッと出てくる決まりになっている。
今回も予想通り、外れの方へ行けば行くほどEDMの嵐は消え去っていき、家族経営のローカルな食堂がちらほら見えてきた。
その中に、店の外で普通のおじさんが一生懸命コンロで何やら炒めたり、煮込んだりしている。耳障りの良い言葉で言えばオープンスタイルキッチンというやつなのだろうか。
こういうのでいいんだよこういうので
とゴローちゃんの名言を心でつぶやきながらお店に入る。
まさに我々が期待していた通りのお店。屋外のテーブルでダラダラ酒とローカルフードを飲みながら、共通の知人の話や過去の思い出話等、生産性のない話で盛り上がる。
普段、我々が赤羽や上野の適当な飲み屋でやっていることと何ら代わりはないのだが、野外テーブルで熱帯の匂いを嗅ぎながらビアサイゴンの瓶を躊躇せずラッパ飲みできるのはここホーチミンだけである。
結局このお店だけで2時間近く居座った。
その後、ホーチミン中心部にやたらと目に付くサークルKで適当に酒とつまみを買う。ホテル内で宅飲みをするためである。
ベトナムのコンビニではイカの干物などの乾物系やナッツ類のスナックが豊富にあったが、特に奇抜なものはなくちょっと残念。
歩いて帰っても良かったのだが、例の幽鬼に股間を蹴り飛ばされる恐れもあったため、配車アプリのGRABでホテルへ帰宅。
既に深夜12時を回っていたが、繁華街のど真ん中だけあり、ものの数分でマッチングできたのは感動。すごい便利なアプリだよ。これ。
ホテル室内でSと現地テレビを飲みながら飲み直す。ベトナムもケーブルテレビ文化なのかチャンネルが多いが、多くのチャンネルでは中国や韓国系のドラマや音楽プログラムばかり放映していた。日本の影は全く見えず。何とも寂ししいことである。
こうしてベトナム旅行初日は股間を蹴られたこと以外、特筆することはなく終わった。本番は明日からだ。