【まくら✖ざぶとん】㊿『言業師トコザワ』
昔は今、ことわざを武器に世間を席巻せんとする言葉の使い手あり。その肩書きこそ言業(ことわざ)師、人呼ばずとも自分で名乗ろうこの名も「常沢」と書いて「トコザワ」と読む、「なんでぇ〈ことわざ〉の並び替えか」と見破られるより先に論より証拠、看板に偽りなきところを見せたろう、とさっそく口をついて出る出ることわざ。
いやはやようやとやって来た吾輩の出番、出てくれ出てくれと請われて久し、今か今かと腕をまくるも念には念を入れられすぎたか待てど暮らせど三遍まわれど煙草にゃされず、それならそれよと格好と勿体つけてちょろっと行方を晦ましてみたのが運の尽き、温存に続く温存のほとぼりがとうに冷めてもキリンや首長竜にろくろっ首もびっくりなほど首を長くしても音沙汰なしのつぶて、まさに身から出た錆、足から脱げるのは足袋、韜晦先に立たずとはこのこと、急いては事を仕損じるが急かなくては仕事を損ずる。
そんなわけで半ば志願して満を持しての御目見え、大見栄切るにゃふさわしい節目の一席だが、言業師なるたいそうな肩書きをつけてるとあっちゃ筋書きらしい筋書きも必要なし。これまでの経緯を隠し立てせずべしゃりくしゃりとことわざを最大限にはさみこみつつまくし立て、おっと最大限は英語でマクシマム、とヨコ文字まで強引にはめこむのは「あらゆる言葉こそ真理」たる言理主義を謳っていればこそ、とついでのように自己紹介。
一にことわざ、二に慣用句、三にカタカナ語…二枚じゃすまぬ三枚舌から立て板に水を得た魚とばかり言葉を並べたてる口八丁で勢い余って嘘八百、嘘のつきはじめがケチのつきはじめ、調子に乗りすぎればほら口は禍の元、言葉数が増えれば増えるほどクドくなり、クドくなるほど功徳は積めず乙女を口説くにも行き詰まり、モテる男も罪だが次回の出番まで摘まれて読者が減っちまうなら毒を食らわば皿までともいかず独壇場から退(ど)くがよし。
ぽと、ぽと、ぽとり…と口上手の手から漏れた水たまりに、ぽちゃんっ、と語るに落ちれば策士策に溺れた井の中の蛙、大海にごまんといる噺家にゃ上には上もいるだろうがまくらをかける高座はここだけ、クドいシツコいと言われてもなんのこれしき蛙の面に水。最後にしっかり落として飾るは有終の美。登場が遅れちまったが、忘れた頃にやってくるのが天才、とな。