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【まくら✖ざぶとん】①⓹⓹『ノムさん』

えー、死生命有り、と『論語』にある通り、およそ生きとし生ける者は命を落とすのが自然の摂理、今日は『神戸事変』に続く哀悼の一席。

二〇二〇年早々に相次いだのがスポーツ界からの悲報たる訃報コービー・ブライアントに続いて今度は日本プロ野球界の重鎮、野村克也氏が亡くなった。享年八十四歳は十分に老齢だがテレビ番組でその姿を拝見していただけに唐突な訃報でもあって、以下に野村克也氏という人物に対する希望的観測ならぬ願望的臆測を連ねることを自分なりの追悼としたい。

一言で当世風な言い回しを用いれば、いわゆるセルフプロデュースのうまい人だった。「打てる捕手」の稀少性が何かと謳われる野球界にあって、キャッチャーでフル出場を続けながら三冠王に輝き、いずれもNPB歴代二位の通算安打(2901本)通算本塁打(657本)に通算打点(1988打点)…数々の偉大な記録を打ち立てた伝説的選手でありながら、リーグの違いもあったにせよ王・長嶋両氏のようなスター選手を引き合いに自身を「月見草」と称した。

監督業も、引き受けたのはヤクルト、阪神、楽天と低迷していた弱小チームばかり、「ID野球」を謳い文句にヤクルトで黄金時代を築いた実績もさることながら、ファンのみならず観る者の印象に何より残ったのは、野球について語っていながら人生哲学にも通ずる含蓄があった言葉〈野村語録〉と楽天監督時代の会見で毎日のように披露された〈ボヤキ節〉

ボヤキに次ぐボヤキがただの愚痴らしく聞こえなかったのは諦念混じりの含蓄が相まってこそ、選手たちが死力全力を尽くせども結果が伴いづらい団体競技にあっては百戦錬磨の知将老将とて達観は難しく、頭をかいてネガティブシンキングをさらけ出す姿にはこの上ない人間味があり、皮肉屋でぶっきらぼうだけど憎めない在りし時代のいじわるじいさん像を体現していた。

テレビでよく見たのは髪を染めて髭を伸ばす選手に老婆心ならぬ老爺心でグチグチ小言を並べる場面。ギロリと眼光鋭く指摘して緊張させるやいなや自身の頬とその場の空気をゆるませるユーモアの効いたやりとりはまさに、まずインコースをズバっと突いてからスローカーブで泳がせるような懐の深い配球そのもので、ノムさん「生涯一捕手」たるところ。

「配球も人生も、大事なのは緩急」

齢を重ねて偏屈になった部分よりも大らかになった部分のほうが多そうなのに、旧来のシャイさも手伝ってかただの好々爺にはなりきらず、メディアの前に出ればボヤキ老人に徹してあくまで奥底に潜ませる愛情人間味、そして人生哲学。どの分野であれ突き詰めて考えることが人生観の構築につながる。野球を通してそれを示してくれた日本スポーツ界の巨星、堕つ。

ここまで故人を哀悼するのは、それほどの思い入れがあるわけでも日がな報じられる美談に次ぐ媚談に触発されたわけでもなく、たとえばこの一節、

〈勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし〉

のように、ノムさんボヤいたことで流行らせた既存の言葉の中に自分の心に留め置いているものがあるから。

悪口で突き放しているようだけど語感に愛嬌があって、実際にそう告げられたとしても憎みきれない切り口語り口、言ったほうも言われたほうも笑い飛ばしてまた明日、という機微を妙に感じる言い回しで、そうした含みを扱い味わいこなせる人間でありたいよね、と腑に落ちたところで合掌。



それ見たことか言わんこっちゃない、まくらメモの面白みが伝わらないなんて、まったくもって「バッカじゃなかろか」!

えー、「一字千金」という故事ことわざもありますが、【まくら✖ざぶとん】を〈①⓪⓪⓪文字前後の最も面白い読み物〉にするべく取り敢えず①⓪⓪⓪作を目指して積み上げていく所存、これぞ「千字千金」!以後、お見知りおきを!!