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【小噺小説】『夢がへり』

 眠るように死ぬ。とも云われますし、死んだように眠る。とも云われます。「永眠」という言葉がありますが、人間が死んでいる状態に最も近づくのは眠っている時です。こわがらせるつもりはありませんが、人はよく眠っている間に死んでいます。もちろん蘇ります。睡眠中に死んでは蘇っているのです。医学用語だと、【睡眠時無呼吸症候群】に相当するでしょうか。学問で分類するなら医学よりも民俗学寄りの噺なのですが、せっかくなので医学的見地に立ってはじめてみましょう。
 呼吸停止・心拍停止・瞳孔の対光反射消失…死を定義づける【死の三徴】が示すように、生死を分かつ境界線はまさに「川」の字のごとく三本あるのです。それぞれ、気の流れが留まる〈仮死線〉、血の巡りが滞る〈瀕死線〉、眼に光が届かなくなる〈臨死線〉と呼んでみることにします。〈仮死線〉や〈瀕死線〉を越えた者への医療行為が【蘇生法】と呼ばれる通り、死線をまたぐたびに人は死んでいます。そして三本の死線をすべて越えた時、完全に死んだことになるのです。ちなみに、三途の川には流れの緩急が異なる三つの瀬があるそうで、「三瀬川」とも呼ばれるようです。
 話を戻しましょう。
 眠っている間、人は三本の死線を反復横跳びのように越えたり戻ったりしています。〈仮死線〉や〈瀕死線〉を越えてから息を吹き返すことは珍しくないですが、〈臨死線〉は肉体から霊魂が離脱する今際の瀬戸際です。呼吸と鼓動が止まった状態ですから、〈臨死線〉をまたぐ人は漏れなく意識を失っています。無意識が司るのは夢です。「臨死体験」と云われたりもしますが、霊魂が残るか離れるか境界を揺れ動く間に限り、他界を垣間見ることができます。夢に臨んでいるのは天国の花畑か地獄の湯畑か、はたまた虚空の雲海か。永久にも感じる刹那、何処とも知れぬ常世に漂うわけです。どうです、だんだん民俗学よろしくなってきたでしょうか。
 〈臨死線〉を越えてから蘇った者のことを〈黄泉がへり〉と云い、夢の断片を冥途の土産として持ち帰った者のことを〈夢がへり〉と云います。土産を持ち帰る方法はまちまちで、見たこともない紋様が肌に刻印されていることもあれば、聞いたことのない呪文を口が暗誦していることもあります。
 現世と常世、二つの世界を往来した証を携えた〈夢がへり〉の多くは、現実感を取り戻せなくなって狂います。〈夢がへり〉の〈夢ぐるひ〉。意識が司るのは現実感です。夢に囚われたままぼんやりと生きていくことを〈睡生夢死〉と云ったりもするのですが、まあ枕はこんなところに致しまして…。

 ※-※-※

 ぐがー、ぐがごー!
 ところはとある長屋の万年床、右へ左へ寝返りしながら獣のようにうなっているのは万年寝坊助。

 …んがごッ!
 自分のいびきに驚いて目を醒ましたと思えば、相部屋の居候に向かって寝呆けた一声。
「眠っちゃいねぇぞ」
 強がりも大いに結構、体が動くのも声を放つのもまだ生きている証よ。と、居候が独りごちる間もなく寝坊助はうつらうつらうつら、あっけなく眠りこけちまう。
 さっきまでの高いびきはどこへやら、寝息も聞こえぬほどに熟睡した寝坊助、寝返りどころか身じろぎもぴたりと止まればもうぴくりともせず、これぞ生身の屍。
 (ひとつ、ふたつ、みつ…)そこで居候がはじめたのは秒読み。シンとした静寂が張り詰める中…(はたち……みそぢ…)「一本」(…いそぢ……むそぢ…)「二本」(…やそぢ……ここのそぢ)「三本」(…もも)
「逝ったか」

 …ふごがーッ!!

 びくん!と体を「く」の字にして跳ね起きた寝坊助、吹き返した息を整えるべく深い呼吸を繰り返すと、
「…眠っちゃいねぇんだって」
「…あぁ、死んでたんだろうよ。〈夢がへり〉め。」
「へ?」
「どんな夢だったんでぃ」
「そんなもん、今の今じゃ憶えちゃいねぇよ」
「どれ、冥途の土産を見せてみろぃ」
「ん?そういや、なんか持ってるな」
 寝坊助が開いてみせた右手の中にあったのは、蝉の蛻(もぬけ)。
「空蝉、か」
「うつせみ?」
「うつしおみ。ありきたりな気もするが…いや、生き死にであればこそ[在り来り]、か」
「何のこっちゃわからんが、生まれ変わった、みたいなことかい」
「何をいっちょまえに。狂っちまっても知らねぇぞ、この死に損ないが」
 すると寝坊助、寝呆け眼をこするや、きょとんとした顔で、
「死に底、あったんだろ」

えー、「一字千金」という故事ことわざもありますが、【まくら✖ざぶとん】を〈①⓪⓪⓪文字前後の最も面白い読み物〉にするべく取り敢えず①⓪⓪⓪作を目指して積み上げていく所存、これぞ「千字千金」!以後、お見知りおきを!!