日向選手の1pから考える何切るの思考について

聡一郎が日向選手の例の1pについて書いたブログを読んだ。

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ざっくりいうと聡一郎はここから割と打1pがありだと思ってるようで

・安全度
・牌理上の隙

の2点について言及している。

実は僕は上の2点については理解できる部分も結構あって特に安全度。

現代では和了ることがとにかく偉いとされていて序盤から字牌を持たずに1・9牌を残して少しでも面子を作りやすくる打ち方が主流になっています。

でも僕はピンと来てなくていまだに

『オタ風→1・9牌→メンゼン手なら役牌で鳴き手なら2・8牌』

という順番で切ることが多い。

理由としては1~4巡目くらいまではリーチに対して安牌が少ないことが多いし降りたいことが多いので降りれるようにしておきたいという感じ。

「最序盤はヒントが少ないので最低限の安牌を残しつつそこから中盤に向けてリーチが来た時に考えればいいでしょでパンパンにしつつその後また終盤に向けて安牌を残す」

という感じなので最序盤はむしろ安牌を持っておきたい時間帯だと個人的には思ってる。

なのでどうせドラも出したくないしツモ2pを捨てて安牌を持つ、というのは結構分かる。

結論としては平面的には1pを切って9mを残すというのは僕は択としてはあり派。

それを踏まえて最初に日向選手の条件を確認してみようと思う。

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・オーラストップ目の親
・2着の近藤さんはマンツモor満貫直撃or出和了り跳満でトップ
・3着目4着目には満貫までは打っても大丈夫

と言う条件。

僕はこれを加味すると流石に打9mかなと思う。

まず和了りがドチャクソ偉いためツモ2pの先手取りにあまりにも価値がある。これがすべてだと思います。

何切るでよくあるんですけど最善手を決めるために独自の要素があることやプラス要素の多さってそれだけで価値があるものじゃないんですよ。
今回で言うと

打9mのメリット
・ツモ2pの受け入れ

打1pメリット
・二人に安全牌を持てる

平面的に見るとどっちも独自のメリットがあって選択肢としてはありだよねってなるんですけど脇に満貫が打てて和了りの価値がデカい状況を考えるとこれらのメリットって等価ではないんですよね。

例えば一万円と千円もらえるのってどっちがいいですか?と言われた時に

「一万円は自動販売機で使えないこともある」「タクシーに乗ることを考えると千円にもメリットがあるのでは?」って言われても

「確かに千円にもメリットはあるな・・・ムズイ・・・」ってならないんですよ。

そんな限定された状況の価値よりも10倍買い物出来る方がどう考えても偉い。

総合的にどちらが得か?という問いにおいてメリットはプラス評価でデメリットはマイナス評価。

それを合計してどちらの値が大きいかであって「こちらにしかないメリットがある」や「メリットの項目が多い」というのはそれ自体に意味はないんです。

すごーーくシンプルにするとこの局和了ったら優勝ですって言われたらみんな9m切るじゃないですか。

なぜなら和了りたいからです。この条件であれば「和了る」と言う結末に対しての価値が莫大に高まるためそれに近づく要素の価値が跳ねあがるわけです。

突きつめるとそういう話です。

しかも今回は現実的な勝利条件が「近藤選手にマンツモをさせない」であるために脇に満貫を打つという緊急回避もあるため安牌を残すというメリットの価値が多少下がります。

もちろん残さなかったことにより跳満になってしまうこともあるですがそれをいうと9mを残していたために局が長引き近藤選手の和了りが生まれることもあります。

あとは「牌理に隙が出来る」とい言う要素。

1p切った人が両面チーして打1pは1pが関連牌に見えるのでは?

というもの。確かにそれはそう。

でも待ちも絞りきれるわけじゃないし両面聴牌であるということがあまりに偉い。後々限定されることもあるだろうがそうなる前に和了りになるケースが流石に多そうに思う。

先ほどの話とつながるのだが

「マンズチー打1pとして和了れずにピンズとかをツモ切ってるうちに終盤になり待ちが相当限定されてしまう」

と言うのは確かに打9mにしかないデメリットではある。

でそれは「このデメリットがあるからこちらの打1pも優秀」と言うわけではなくてこの要素も評価に入れましょうと言うだけのもの。

そしてそれを入れても俄然打9mが優秀だと僕は思う。

この話で言いたいのは1pを切る人がダメという話ではありません。

言いたいは何切るを考える時に要素の独自性やメリットの数で優劣を考えるのは考え方として正しくないということです。

あとこの1p9m問題もそうですが人に見せる対局に関しては

「全ての打牌が結果や内容に関わらず称賛と批判を背負う」

物だと思います。

正しい打牌が称賛を得られない(それどころか批判が生まれる)ということに悔しさが生まれるというのはもちろんわかるんですがまぁそういうもんでしょって感じ。

盛り上げたいので批判をなるべく抑えたいというのは全然分かるんですけどあんまり抑圧しすぎるとそれはそれでいいことにならないんじゃないかなと思います。

書き手の信頼を切り売りしてまで打ち手を守ろうとしているような観戦記やツイッターのフォローも見ることがありますし「批判される」ということにもう少し寛容になる方が全体的にうまく回るんじゃないかなと思いますね。


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