変化

急な変化のある季節だと思う。

気候はもちろん昼夜の寒暖差が激しいし台風のおかげで暑くなったり寒くなったりを繰り返す。会社によっては異動があるし、環境が変わった人にとっては約半年が経って少し安定し始める時期だし、秋ってそういう季節だなって毎年肌寒くなる頃に思わされる。

わたしだけかもしれないけど秋は落ち着いた気持ちに寂しさと不安が埋め込まれてるみたいな感情が湧いてくる。ほら、夏って夜更かししがちだしそれに乗じてうわ〜って楽しんだ分余計にそう思うのかも。台風と一緒に不安なんて消え去ってしまえばいいのにな。

わたしは休日にしたいことができるようになってきた。

目標とかそういうのが見つかったわけじゃなくて、仕事もプライベートもしたいこと、するべきことが増えた。資格の勉強しなきゃ〜とか、お金貯まったしあれ欲しいな〜、あそこ行きたいな、ここ見たいな、あの人に会いたいな とか。そして思ったらすぐ行動に移すようになって最近はとても幸せな気分。

そんな幸せな人なはずなのに、人のSNSを見るとなんだか落ち込む。

ああ〜この人とても楽しそう、幸せそう、羨ましい。って思う。自分の私生活を見てください!ってさらけ出せる人が羨ましい。

わたしは、自分の私生活を自ら晒したくないタイプなので自ら投稿することもなくいいねをもらうこともない。別にそれでいいと思っているんだけど投稿という名の形にされた他人の生活がとても華やかで派手なものに思えてしまう。過去の投稿を遡ればこれまでの人生の楽しい一部がしっかり切り取られている。それに対してわたしは形が残っていないので、わたしの生活がとても地味に思える。きっと蓋を開けてみれば同じくらい人生を楽しんでるし、もしかしたらそれ以上かもしれないのにね。きっといいねがついていることでそれをそう感じてしまうのだなぁ。

他人に見られるのが恥ずかしいから誰もフォローされていないアカウントでいつも日記用に投稿はしているんだけどね、承認欲求には繋がりませんね。当然だけど。わたしがわたしを幸せだとより実感したくなっちゃうよね〜、SNSってそういうところを突いているのかな。

もどかし〜。

形として残っているものが必ず良いわけでもないのに。視覚的な情報がそう思わせているだけ。

それがわかっていてもそう思ってしまう。そんなこともやめたいな。情報社会のいいとこも悪いとこもこうやってよく実感させられちゃうよね〜。

こんな深夜まで起きているから余計なことをより深く考えてしまう。だけどこの余計なことが生活の一部となってわたしをかたどっているのだから侮るものではないよ。絶対ね。

なので今日の朝、一人で部屋にいるときにGが出現したことも、戦えず救助が来るまでGの挙動に怯えながら震えて待っていたこともきっと余計なことで無駄ではないはずなのです。

できることなら今後の人生もう会いたくないね。



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