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いつだって"個性は豊か"じゃない?

「今年の新卒は、個性豊かなメンバーが集まりました」
「うちのサークルの特徴は、個性豊かなメンバーが揃っていることです」

”個性豊か”というこの表現は、コミュニティ、つまり複数人の集まりに対して使われます。


新入社員の私は、この一週間で自己紹介・部署紹介・過去の所属コミュニティ紹介と”紹介する・される”を何度も繰り返しました。
そこでこの表現に触れる機会が急激に増え、気になってしまったのです。
「個性豊かって詰まる所、なんやねん。」

言葉を主観で解釈してみると以下のようになりました。

個性=各個人が内側に持っているもの
豊か=色々な種類がある

解釈は様々だと思いますが、ある程度似ているのではないでしょうか。
これを読むと感覚的にはわかるような気もしますが、もやもや。

色々な個性があるって当たり前なのに、他と区別すべき特徴の一つとして表現されるのは、なぜ?


では逆に、”個性貧しい”のってどんな時でしょうか。
特段”個性”を実感しなかった集まりってどんな時だろう。
自分の過去を振り返ってみます。

・あまり仲良くならなかった短期バイト
・Zoomミーティングで2回話しただけのインターン
・奢り目当てに参加したサークルの新歓ご飯会

共通項は何でしょうか。
”関係性の浅さ”です。
その結果、”自己開示と相互理解の浅さ”に繋がっています。

私はこの分析から、世間で言う”個性豊か”な状況というのは
「個人が自己開示を行い、他者がそれを理解し合うことのできている集まり」
だと思います。

どの集いも、色々な個性が集まって構成されているはずです。
しかし各人が内包した個性を外へ発信しているかは、環境次第です。
発信して初めて認識される個性。
互いに信頼関係を築き、自分を出しても安全だと思うまでは自分を主張できません。

私は ”個性豊か” という言葉の指す状況と
”個性” が ”豊か” であることを区別したい


代わりに、”個性を発揮できている”なんてどうでしょう?
メンバーが自分らしく過ごせる状況は、素敵なことだと思います。

でも、”個性が貧しい”状況があるのだと示唆・容認してしまう表現を、この状況に当てはめるのは悲しいのです。

豊かかどうかは、「状態」。
その主語が変わってくれなければ、変化しません。
個性には「行動」が伴ってもいいと思うのです。
個性は動的で、自分がアクションを起こす対象になり得ると思います。

さあ、私も自分らしさを発揮できる環境づくりをしていくとしますか。

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