私が新卒看護師を半年でやめてフリーターになった話①
こんにちは。
最近は雨も多くて気分が沈む日が多いですね。
今日はそんなこの時期には絶対ふさわしくないちょっと暗い話になりますがちょうど事の始まりから1年ほど経つので私の過去について書いていこうと思います💭
負けず嫌いで挫折知らずの学生時代
わたしの人生振り返れば怖いほど順風満帆でした。
それなりのレベルの高校を出て看護専門学校に進学し両手には収まるくらいの順位の成績で卒業し、国家試験にも合格しました。
やればできる子、をモットーにがむしゃらでした。
できる子、というレッテルがどんどん大きくなって学生時代は常に抜かされるという恐怖に脅えながらもそれが刺激となり勉強だけは手を抜かずに頑張っていたつもりでした。
〝勉強ができる〟と〝仕事ができる〟は全くの別物
今年4月に入職し、今までに味わったことの無いなんとも言葉にしがたい自分だけが浮いているような感覚、出勤の電車に乗る時の動悸と苦しさを自覚し始めたのは5月ごろからでした。
学生時代、私より勉強に苦労していた同期たち(決して見下しているわけではないです)はどんどんと先輩と距離を縮めていく中、私は1人別世界。
コロナのこともあって集合新人研修はことごとく中止。ほとんどの技術は現場で教わらなければいけない状況でした。
しかし感染症という見えない敵に大学病院という環境はいつ侵食されてもおかしくないため病院全体の空気はかなりピリピリとしていました。
その環境に敏感に反応してしまっていた私。
まだ入職して2ヶ月も経たない時期でできないことだらけで当たり前なはずなのに質問をしたり、一日の業務をこなせないと呆れられ怒られる日々。
悔しく帰って勉強をするも出てくるのはやる気よりも大量の涙。
きっと慣れてないだけ、そう思うことにしてましたがそうもいってられず、6月に初めて心療内科を受診しました。頓服で安定剤を使いながら様子を見ようと言われるも症状はどんどん悪化。
それでも休むことの方が怖かった私は死ぬ気で毎日仕事に行っていました。
7月になっても毎日のように何も成長してないと言われ続け何のためにここにいるのか訳が分からなくなっていた頃、上司から遠回しに他部署への異動を勧められました。
私はもうここにはいらないんだ、そう思ったらもう何もかもどうでも良くなってその旨を先生にお伝えした所、
「もう休みましょう。立ち止まって、リセットしましょう。」
と言われました。
休職は私にとってリセットではなく終わりの始まり
今まで出来る子を演じてきたわたしには苦しい決断でしたが先生の言葉に頼り、適応障害の診断を受けた私は1ヶ月お休みすることにしました。
人生で初めて経験したこの上ない挫折。
でもそれは地獄の始まりでしか無かったことに後から気づきました。
長くなってしまいましたが最後まで読んでくださりありがとうございました。
少しずつシリーズ化?というか自分の気持ちの整理のためにも、そしてほんの少しでも誰かの役に立てたらいいなの思いで今に至るまでを綴っていこうかなと思っているのでまた次回も読んでくれたら嬉しいです☺️