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【神経症に関する精神分析派(Freud及びHorney)の理論とこれに対比して見たる神経質症論】 (1)

次は、これです。

【神経症に関する精神分析派(Freud及びHorney)の理論とこれに対比して見たる神経質症論】 (1)

序論
森田学説は、神経質症に関する理論と治療に関して、森田によって初めて、提唱、実施され、高良博士、古閑博士その他によって、発展せしめられた独自の創見に満ちた学説である。その理論が端的であり、その療法が的確であって、我が国の伝統文化に根差している為に、思想、用語その他が邦人に理解し易く、且つ、比較的短期に治療の実を挙げるという特色を持っている。
一方に於いて神経症の治療は、欧米に於いては、Freudに発する精神分析的治療が主流である。精神分析学派は、Freud以降発展してアメリカに於いては、サリバン、フロム、Horneyを中心とする文化学派、或いは新Freud派によって変貌を遂げ、新しい知見によって神経症治療に用いられている。
文化、環境を異にして発展した森田学説と分析学派の理論とは、元より差異のある事は、当然である。しかしそのいずれもが神経症を共通の対象とするのであり、その限りに於いてそれぞれの所説を比較、検討する事は可能である。更にそれらを総合的に理解する事によって、神経症に関する我々の理解を深める事は、神経症の理論及び治療の発展の為に必要な事である。しかし、総合的な理解が到達される為には先ずそれぞれの理論の性格、特色が明らかにされなければならない。これらが明らかにされる事によって如何なる点に於いて互いに相異なり、如何なる点に於いて相補うかという事が明確にされ、この事が神経症に関する総合的な理解へと近付く為の一歩となるであろう。特に、森田学説の説く所を精神分析派のそれに対決せしめ、その特色を明らかにする事は精神分析学派が種々の理由によって、森田学説に対して充分な理解を持たない実情からして必要な事であると信じる。
以上のような理由によって、私は以下に於いて、精神分析学派より代表的なものとして、Freud及びHorneyを選び、その所説と森田の所説と共通項目について検討し、その特色を明らかにして比較する事を試みた。考察に於いては出来るだけ三者のそれぞれの表現を引用する事によって、三者の所見を明らかにする事に努めたが、その間、解釈、比較、検討に当たって、私見による考察を加える事をあえてした。私の試みが多少なりとも以上のような目的を達するのに、寄与する事が出来れば望外の幸である。

第一章 病因論
第1節 Freudに於ける病因論
 Freudは、人間の生活が、性衝動によって動かされているという見解に立ち、神経症治療を通じて、小児の性生活を観察して、この性生活の体制を、「性器前(期)」と名付けた。
 その第一段階を「口唇期」と呼び、第二段階を「肛門期」、第三段階を「男根期」、第四段階を「潜伏期」と呼び、第五段階を「性器期」と呼ぶ。
 人間のリビドーは、上記のような時期を経て発達するのであるが、Freudは、「性本能の2-3の成分が・・・発達の比較的早い段階に取り残されている事を可能だと考え」「かように成分本能が早期の段階に停頓する事が固着と(すなわち、本能の固着)、」と呼ばれる現象であるとする。
 一方に於いて、この性本能の「先へ進められた部分もまた、ややもすれば後退運動をとってこれら早期の段階の一つへ立ち返り得るという事―それを退行と名付けて」いる。このような見解を背景として、彼は神経症症状の発生の説明を行う。
 初期に於いて彼は、性生活の障害が、神経症の発生原因であると考えていたが、後に至って、新たに発展させた、性格理論と、上記のリビドーの発達理論とを関連されて説明している。
 Freudによれば、人格の構造は、自我とエスと上位自我の三つの要素から分けられ、「自我は知覚=意識の仲介の元で外界の影響とエスの意図を有効に働かせるように努め、エスの中で拘束させずに支配している、快楽原則の位置に現実原則を行おうと努めている」。他方自我は、エディプス・コンプレックスに由来する超自我(上位自我)に「監視」せられる。「かくエスに駆り立てられ、上位自我に追い込められ、現実に突き戻されて、自我は己の中に働いており、己に対して働きかけてくる、有力な勢力の元にありながら、調和を打ち立てる事に成功せず、葛藤を解決するのに無力である時、自我は不安を感じ、その不安が免れる為に、リビドーをして、過去のある時期へ退行する事を許す」。前述の固定期への退行現象である。そして、これが症状であると考えられる。Freudによれば、かく症状は退行、固定の現象であるが、退行、固定点である幼児期の状態は、ある時期は、具体的な体験であるが、ある時期は、患者の「空想の叙述」である場合もある。つまり、幼児期体験が、「患者の作る事であり、空想である事が」あるという事である。しかし、Freudは、その「事実が、患者の神経症に対して有する意識は、患者がこれらの空想の内容を実際に体験した際とはあまり違わない」のであると評価し、「これらの空想は動的(つまり客観的)現実性とは違って、心的現実性を持っている」とし「神経症の世界に於いては心的現実性が決定的なそれである」とする。「症状はつまり、拒絶された満足をより前の時代へのリビドーの退行によって代理する」という事になる。土居によれば自我の点から見れば退行であり、イド(エス)の観点から見た場合、代償的に欲求満足であり、上位自我の観点から見れば、「代償的刑罰」であるという事になる。
 従って、「特定の退行は、特定の病症形成の特徴になっている」とFreudは解する。その意味でどのような退行が行われているかを、分析追求して行く事によって、Freudの云う神経症の際の様々の型、種類が生じる。現実神経症、精神神経症、性格神経症等の細かい分類については、ここでは省く。
以上、Freudの神経症に対する見解は、根本的には第一に、リビドー論を基礎としており、性衝動をもって人間の生活を無意識に動かす衝動と、解している考えを基礎とし、更に小児の性器前期の発達段階の仮説によって、これに対する退行、固定の現象をもって症状を説明するのである。
その第一の特徴は勿論、彼のリビドー説にあるが、第二の特徴として、神経症状を固定期への退行、即ち、一種の過去回帰の運動の表現として解している点にある。大さんの特徴としては、小児のリビドー発達段階として、口唇期その他の性器前期に対する詳細な考察である。彼は主として、リビドー体制を中心として考えたのであるけれども、この幼児期への関心は、リビドー観点からのみでなく、人間の生活態度の発展の上から見て重要であり、成人の神経症を考察するにあたっても、その人間の性格の発展が如何なるものであったかという事を考察するにあたって重要な事である。また小児神経症、更に小児の保育、指導という点から見ても重要な事であると考えられる。
その意味でFreudの取る、リビドーに主眼を置く見解に対して、批判はされなくてはならないが、彼の見解が、人間の性格形成に於ける幼児期の意義に対して、注意を喚起させた事は大きな貢献であると考えられる。

第2節 Horneyに於ける病因論
 Horneyもその分析学的訓練の影響により、幼児期に於ける個人の体験を出発点としている。しかし、Freudの生物学的リビドー的な考えを排除して、寧ろ環境的な状況、特に対人関係を重視する。
彼女は、リビドー発達の段解説を取らない。またFreudの提出した性格構造論も取らない。
Horneyは、彼女の理論の出発点として、「基本的不安」の概念を提出する。彼女に従えば、幼児が、「敵意に満ちていると考えられる世界の中で、彼が切り離され、頼りないという感情」に満たされた状態を「基本的不安」という言葉で表現する。
幼児は先ず、自分を脅かす「基本的不安」を逃れる為に様々な試みをする。どの様な試みをするかは、Horneyに従えば、「その子供の与えられた気質と環境上の偶然的な出来事によって決定される」と云う。いずれにもせよ、この幼児の最初の試みは、「彼の神経症の発展がとる将来のコースに決定的な影響を持つ」とする。その試みは自分の「安全」を得ようとする試みであるが、不安を逃れるという事が主である為に主観的な色が強く、従って私見によれば、寧ろ、「安全感」を得ようとする試みと考えられるべきものと思う。そして彼女によれば、この試みは、「唯他の人に対する態度にだけ関係するのではなくて、必然的にそれは全人格的に変化をもたらす」とする。しかし注意すべきは、この子供の感じる無力感を、神経症成立の一つの条件となり得るものと考えており、決して絶対的な理由であると考えている訳ではないという事である。
即ち、「一部には幼児の未成熟で成長しつつあるものであるから、色々な環境の変化によって変化し得るという事、今一つは、他人に対する関係が主要であって、自分自身の中に、性格と呼ばれる程度まで傾向が固定していない」という様な理由で「この最初の解決の総合的な効果は、後の神経症的な解決程、強固でもまた広くもない」としている事がある。
言い換えれば、彼女は幼少期の体験は一つの可能性に止まり、幼児の生活力や環境によって、神経症にまで発展するかどうか決定されるので、その過去の条件は確かに重要であるが、これに絶対的な意味を認めていない事を明らかにしておかなければならない。
しかし、ともかくこの様な「基本的不安」に動機付けられた色々な試みがされると、その人間が好都合な環境に恵まれない場合は、その本来の持っている自然な自分の能力を発展さす代わりに、この不安から逃れる為に色々な試みに勢力を費やし、次第に一定の態度を不安の解決策として取るに至る。その様な態度は、本来の自己に基づかぬ為に、自信を欠き、従って不安であるから、更にその不安を意識しない為に、その様な態度を盲目的に価値あるものとして、益々これを防衛する結果、本来の自己の発展を阻害し、自己疎外を強化する事となる。
かくして、自己の一定の態度を価値づける結果は、遂に進んで自己の理想像を想像、設定し、最後には、その理想像と自己とを同一化し、一挙に自分に関して自信と完全感とを得よとする事となる。これがHorneyの云う「仮幻の自己」であるが、一度この様な像が確立されると、それが安全感を感じせしめる自己であり、従って守られるべきものであるとする事から、内外の現象から来る危険に対して、これを防衛せんとする試みを又引き起こす。その試みは又結局不安を解決せざる為、不安を引き起こし、更に又不安は防衛を、防衛は又不安を、かくて悪循環を形成する。
この様な神経症的性格自体のもたらす、種々の防衛的試み、即ちその神経症的生活態度が、症状として現れるとHorneyは解するのである。
Horneyの言葉によれば、「一つの症状は全パーソナリティの表現にほかならない」のである。またその生活態度とは、「他人に対する関係と自己自身に対する関係」とを含むものである。Horneyの例に従えば、「赤面恐怖と暴行恐怖」とを訴える患者に於いて分析が進むに従って、彼の症状はそれのみではなく、他の種々の問題に対しても様々な問題があり、その中心に彼の特有のパーソナリティ即ち「彼が実は驚くべき法外な傲慢心の持ち主で」あり、「彼は何事についても完全で、誰に対しても安全である事を慾し」ており、「何人も自分を批判してはならないという欲求から生じた傲慢、他人に対する敵意と怒りがあった」事が明らかになった。そして彼の暴行恐怖という症候は、彼の傲慢な要求、敵意の表現であり、彼の赤面恐怖は、彼が「神経症的性格から当然生じた自己疎外を感じており、自分がそれを偽っている事」、即ち「彼の中の自己欺瞞の表現」であり、「誰かが自分の中のまやかしを見つけ出しはしないかと恐れ、その恐れが赤面恐怖となって出る」のであるとするのである。
即ち症状は、不安を解決せんとして取られる態度の系統である神経症的性格の表現であるとHorneyは解する。そして神経症的な性格の内容に関しては、第二章に於いて述べるが、彼女は神経症症状の発生の理由は、患者のパーソナリティ全体の特徴に基づくものであるとするのである。彼女は、患者の現在の生活態度に病因を求めるのは、Freudが過去の性器前期への退行固定を症状の原因となすのに対して、明らかな見解の相違がある。
 これを森田学説と比較すると、高良教授が「誤った心構えから起こって来るものである」とされるものと同様であり、森田の立場に極めて近似しているものと考える事が出来る。

第3節 森田学説に於ける病因論
 森田の言葉に従えば、「ヒポコンドリー性傾向をもって、神経質を発生する素地を認め、これを本症の真の原因」となしている。また別の所で神経質症状の「発症するのは、もっとも大切な条件がある故である」とし、これが即ち「ヒポコンドリー性基調であるとする」。そして、「ヒポコンドリー性基調とは、一種の精神的傾向素質」であるとする。更に別の所で、ヒポコンドリーを説明して「心気性即ち疾病、恐怖の儀であって、人間の本性たる生存感の現れである。さればこれは総ての人に有する性惰であるけれども、この程度の甚だしい時に、初めて精神的傾向になる」とする。
 これを要すれば、神経質症状の発生の基礎として、ヒポコンドリー性なる概念を考えて、これをその原因としている。しかし以上の森田の表現を見ても明らかなように、この基礎であるヒポコンドリー性が、或いは基調であり、傾向であり、素質であるという風に表現され、言葉の上だけから見ると、統一の欠けている感じを与える。素質という概念は、通常の意味に解せば、先天的なものであると解せられる。しかし森田は、ヒポコンドリー性素質と云う時に、このような意味に於いて解してこの素質と云う概念を使用していると私は考えない。この事は次のような森田の表現によって確かめられる。即ち、森田は一方に於いて、「この傾向は或いは小児の養育者もしくは境遇によって作り成され、或いは、機会的原因即ちいわゆる精神的外傷から、この傾向を助長養成するものがあるから必ずしもこれをもって、先天的素質のみによって起こるものとは断じ難いのである」としているし、また、「余のヒポコンドリー性基調説は後天的にも発生し得る所の感情的基調である」としているのである。一方に於いて、しかし、「その原因を境遇にのみ帰する事も出来ない」としている事から見ると、先天的な因子を認めていると解せられる。従って森田の考えは、先天性、後天性の二つの因子、即ち狭義の素質と環境との相互関係によって、生じたものであると考えるのを立とうとするであろう。
 このように考えると、森田がこれを精神的傾向と考える意味が明確になる。
 高良教授が云われるように、「生まれながらの素質は生涯根本にあるとしても、その現れ方は、後天的の種々なる事情に影響されて差異を生ずる。現れ方の差異が持続的になれば、それは性格が違っていると云っても良いだろう」。素質と環境によって、ある精神的傾向が、その人間に特徴的となれば、森田の云うヒポコンドリー性傾向とは、一つの性格を指示していると私には理解出来る。事実森田は、(症)の説明にあたって、「神経質は自己内省的で、ものを気にするという性格の人がある動機から誰にもありがちの感覚、気分、感想を病的以上に考え過ごし、これに執着、苦悩するようになったものである」となし、明らかに性格の概念を使用しているのである。そこで私は、森田のヒポコンドリー性基調ないし傾向、或いは素質と云う概念を統一的に表現する為に、第一にそれが神経症の原因となしている点に着目し、これを明確に表現するためと、第二にそれが神経質症者の重要な精神的傾向とし・・・(つづく)

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