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【神経症に関する精神分析派(Freud及びHorney)の理論とこれに対比して見たる神経質症論】 (2)

【神経症に関する精神分析派(Freud及びHorney)の理論とこれに対比して見たる神経質症論】 (2)

・・・て、寧ろ性格と呼べるべきものと考え、二者を結び付けてこれを、神経質症的性格(パーソナリティ)と呼びたいと考える。
 高良教授は、森田の神経質の代わりに、「私は病態を現すものとして神経質症と云っている」と記されて、神経質症という言葉をもって神経質の代わりに用いられ、「神経質症を起こすのに都合の良いパーソナリティを形成するには、先天的素質の他に環境の悪影響がある」とされ、病状を起こす原因として、パーソナリティと云う概念を使用しているのは、私が以上論じた事と一致すると考えられる。
 これを要するに私は、森田のヒポコンドリー性基調なる概念の代わりに、神経質症的性格(パーソナリティ)と云う概念を使用したいと考えるのである。かく考えれば神経質症状は、神経質的性格に原因するものであると考える事になる。その副次的結果としてこの性格の概念が、分析学派のパーソナリティの概念と対比し得る事になるので、彼我の比較、対象に便利であり、その各々の取る神経症患者のパーソナリティに関する見解を、明らかにするのに役立つという利点が生じるのである。
 森田はヒポコンドリーとは、「ものを気にする」という事であり「病を苦にする」という事であるとする。病を苦にすると云うのは、結局それが、「我々の生命を脅かし」「我々の生活向上、幸福の障害」となるから恐れられるのであり、「生命と生活の対する脅威」と感じるのである。「生命と生活及びそれと同一視される価値に対する脅威」を感じる感情が不安と称する事が一般であるから、結局ヒポコンドリーは、不安を意味するという事になる。この不安が如何なるものかに関しては、第二症に於いて森田における神経質症的性格の内容と関係して説明するが、一応神経質症的性格の特徴として、不安がるという事を記しておきたい。高良教授が「不安情緒」の優勢な事を挙げられ「適応不安」と云う言葉をもって表現しておられるのは、この点を指摘されたものと考える。
 今一度、森田の神経質症に関する定義を考察すると、「神経質は自己内省的で、ものを気にするという性格の人がある動機から誰にもありがちの感覚、気分、感想を病的以上に考え過ごし、これに執着、苦悩するようになったものである」と森田は規定する。これを分つと次の如くになる。
(イ) 自己内省的でものを気にするという性格
(ロ) 誰にもありがちの感覚・気分・感想を病的以上に考え過ごす事
(ハ) これに執着・苦悩する事
 上記の内(イ)の「自己内省が強く、従って自己の身体的、精神的不快や、異常、病的感覚に気が付き、これに屈託し憂慮する」のを森田は、「内向的」と呼んでいるので私もそれに従い、内向的態度と呼ぶ事にする。(ロ)(ハ)については、私は神経質症的性格の持つ精神的態度による結果と解し、これを第二症に於いて説明したいと思う。
 以上、私の解するところに従えば、森田は神経質症が、神経質症性格より発生するものであると考え、神経質症的性格そのものが、神経質症の発生原因であるとするものと解するとする事となる。
 これをFreudと比較すれば、Freudが症状をもって、過去の幼児期の性器前期への退行固定によるものとする、過去回帰的な考え方と大きな差異を示す。寧ろHorneyが、現在の患者の有する神経症的性格を症状の重要な発生基盤とする考え方と、その木を一つにして端的である。
 森田は、このように神経質症状をもって、神経質症的性格より発生するものと考えるから、症状を分類するにあたっても、「これを単数の差及び状態の如何によって」分類し、
(1) 普通神経質 (2)発作性神経質 (3)強迫観念症 とする。
 そして、これらのものの性質が同じである事は、「全く同一の方法により同様の日数で根治する事によって」も明らかであるとする。この点に於いて、Freudが症候を分類するにあたって、どのような退行が行われているかに着目するのかに対して相違を示す。従って、治療にあたっても「患者の精神的態度と生活状態との改善によって、これを根本的に治癒せしむる事が出来る」のであって、個々の症状に対して関心を強調しないのは、Horneyが「特定の症状を治療する為に、全パーソナリティそのもの及びその問題を調べなければならない」とするのに類似しているのである。

第一章 神経症的性格と不安
第1節 Freudにおける神経症的性格と不安
 Freudが自らその著書、「制止、症状、不安」に於いて認める様に、彼の不安に対する考えは、初期の専らリビドーを中心に神経症を考察していた時代のそれと、彼がその性格構造論に関して統一的な見解に到達した「自我とエス」執筆以降のそれとは二つの異なる見解を示している。
初期のそれは、不安を性欲の挫折によるものであるとし、抑圧が不安を生むものであると考えていた。抑圧された「リビドーは、不安に変化する」とした。しかし後期に至って彼は種々の考察の結果不安は、自我に対する「危険状況への反応である」と考えるに至る。それでは自我を如何にして危険に瀬するのかに関して次の様な見解を示す。
記述した様にFreudによれば、人格の構造は、上位自我と自我とエスの三つによって構成されている。Freud自身の表現に従えば、「自我の起りは、知覚体系の経験にあたる為に自我は、外界の要求を代弁する運命」にある。一方に於いて自我は、「エスの忠実な召使になり、エスと和合し、己をエスの気にいる対象となし、エスのリビドーを自分に引きつけよう」とする。「エスと現実との間の仲を取り持とうとして、自我は履々巳むことを得ずに、エスの無意識的命令に己が前意識的合理化の着物を着せ、エスと現実との軋轢を取り繕い、巧みな駆け引きで現実を顧慮しているかのように見せかける」のである。「他方、自我は至る所で上位自我に監視せられるのであり」、「上位自我はエス及び外界の側からの故障を顧みずに自我に行動の一定の規範を突きつけ、それに従わない場合には劣等生と罪悪意識との緊張感情を以て自我を罰し」かくて「自我は三方から狭められ、三様の危険に脅かされているのであり」、「自我がその弱みを告白しなくてはならぬ場合に、それは突如として不安を起こす」のである。そして、Freudによれば、「不安の発生が先で症候の形成は後である」と考えられ、「症候は不安状態の突発を避けんが為に作られる」と解せられる。そして「神経症的不安では何が恐れられるのか」というと、それは「リビドーであるのである」かく症候は、自我の感じるこの「不安状態の突発を避けんが為に作られる」のであるが、この時自我の不安を避ける為に取る妥協策は、記述したようにリビドーの幼児期への退行固定を許す事によってである。リビドーは、拒絶された満足をそのような固定期への退行によって、代償的に得るのである。一方、「症候は自我の抑圧傾向に満足を与えるという一面を持っているが故に、自我によっても維持せられる」。そして同時に「症候形成による軋轢の解決は最も好都合―そして快感原則によって最も好ましいー方策」である。即ち、退行、固定によって自我もエスも一応代償的な満足と安定を得るという事になるが、しかし、他面に於いてこの症状による満足は「軋轢から生じる検問によって歪められ、通例苦悩の感覚に変ぜられ」「嘗て個体にとって満足であったものが、ほかでもない今日はその固体に抵抗及至嫌悪の念を喚び起さざるを得ないので」ある。だから症状は、満足を与えると共に苦悩を招来するのである。そして神経症患者の場合は、この苦悩を意識し苦悩を取り去られる事を望むが、満足を取り去られる事は欲しない。ここに症状の意地が生まれる。このように、「神経症への逃避によって自我には、ある種の内的病症利得が与えられる。」のみならず「病症というような心的組織が長時間にわたって存続」すると、「それは遂には独立の生き物の如くに振る舞うように」なる。「そしてその組織が有利で利用するに足る事が再びわかって来る機会―即ちその心的組織の存続を改めて勢ずける謂わば第二次的機能を獲得する機会―の生ずる事は殆ど必要なので」ある。「神経症の場合に病症のかような第二次的利用に相当するもの」は「第二次的病症利得」と呼ばれる。このような病症利得は、患者の症候に対する不快感にも拘らず、症候を固定、存続せしめる理由となるのであり、Freudの云うように、「病症利得に神益する事は全て抑圧、抵抗を強め治療上の困難を増加する」という事になる。これがFreudの解する症状固着の経過である。
以上を要約すれば、Freudはその独特な人格構造論によって、上位自我及びエスを区別し、神経症的不安とは、自我が感ずる内的危機によるものであり、危険はリビドーの要求に対する自我の弱小に基づくものであると解する。しかして、この不安を解決する為に自我は、過去の幼少期(性器前期)にリビドーの退行を許し、症状が形成される。症状は不快であるけれども、自我の抑圧傾向に満足を与え、他面、エスの快楽原則にとっても好ましいという利得(病症利得)を有し、さらに症状形成による第二次的利得をもたらすから、症状は固着し、存続される結果となる。
Freudの後期に達した見解は、リビドー説を基とし、不安を性格構造との関連において見、性格それ自体に基づく内部的矛盾による自我に対する危険への反応であると見たのであるが、そのリビドー説を除いた面、即ち不安を自我に対する危険であると考えた点に於いて、不安の理論に新しい道を示したものである。彼のリビドー論及びそれに基づく人格論に賛同すると、否とを問わず、この点に関する彼の見解は彼より以降の不安理論の展開に大きな貢献を為した点で、高く評価されるべきであると考える。
(最近に於けるアメリカの分析学派は、Freudのリビドーを除いた部分の見解を発展させ、不安を個人の生存、またはその生存と同一視される何らかの価値に対する危険への反応であると考えるに至った。クルト・ゴールドシュタインは、分析派と別の独自の見地からではあるが、同様な結論に到達している。彼によれば、不安と云うのは、主観的には生体の存在が危険である事であるとし、また、存在に対する危険を主観的に体験する事が危険なのであるとしている。)
第2節 Horneyに於ける神経症的性格の不安
 Horneyの理論は、彼女の最初の著作から彼女がその死去の2年前1950年に表した「Neurosis and Human Growth」に至るまで一つ一つの著書を通じて発展して来た。そして彼女の理論が集大成された完結した体系を構成したのは、この最後の著に於いてである。
 元より彼女はこれに満足する事なく更に新しい考察を為さんとしていたのであるけれども、その後の研究はまだ断片の域を脱せず未完結に終わっているから、ここで主として彼女が自他共に認めていた、彼女の研究の一応の結晶としての最後の著に明らかにした考えに基づいて、その説を述べる事にする。
(一)  Horneyに於いては、彼女の最初の著作である「Neurotic Personality of Our Time」が示すように神経症的性格(Neurotic Personality)がその理論の枢軸であった。従って不安もこの性格との必然的関連に於いて考えられている。彼女が最後に確立した見解に従えば、神経症的性格は別の言葉で云えば、「仮幻の自己」(Idealized Self )である。この内容は神経症的な「誇りの体系」(Pride System)であって、それは種々の内容を持った(Shoulds)「かくあるべし」によって満たされている。「仮幻の自己」は「本来の自己」(Real Self)に対する概念である。そして「仮幻の自己」に対する危険と「仮幻の自己」を維持する為に取る方法の矛盾と脆弱性への脅威が神経症的不安感なのである。
彼女によると、幼児は最初の環境である家庭、特に両親との交渉の場に於いて、たまたまその両親が神経症的な状況にあって、神経症的な態度によって取り扱われた場合に、本来ならば伸び伸びと充分な安全感の元に成長するものが、そのような不安定な待遇を受ける結果、何か漠然とした懸念、不安定感を経験し、「敵意に満ちたと受け取られる世界の中で孤立され、無力であるという感情を持つに至る」。これを「基本的不安」と呼んでいる。この「基本的不安」を解決する為に色々な方法態度をもって、幼児はその環境、両親に対する。この場合の幼児にとっては、安全感の獲得が常に目的として働いているのである。どのような方法を取るかは、Horneyによれば、その子供の先天的気質と環境の状態によって異なるけれども、ともかくその幼児の資質と置かれた環境に即した、その幼児独特の態度を取る訳である。この際重要なのは、そのような態度がHorneyによれば自分の真の感情に基づかず、また具体的な状況に対して釣り合わない態度であるという事である。そして、この「基本的不安」の強さによって、どのようにそれが盲目的であるか、或いは拘束されているかが決まる訳である。
(二)  このような態度は必ずしも唯一つとは限らない。自分の安全感の為には、ある時は反抗し、ある時は追従し、ある時は離れて必ずしも固定しない。また単に他に対する態度ばかりでなくて、次第に自分の中にもある考え方を作り上げて行く。幼児がその後、比較的恵まれた状況に入り、友達とか教師によって、自然な感情や思想の発展を許され、安全感を感じてくれば、このような神経症的歪みは正されて、次第に確実な自信のある生活態度に成長して行くのであるが、もし更にそれを助長したり、悪化したりする環境に置かれると、幼児は色々な態度の内最も自分の安全感を得られるような態度を取って、これを固定化するに至る。その場合に他の態度は無くなった訳ではなくて、いわば舞台裏に隠れている状態である。このように態度が固定化されると、その態度は自分の安全感に取って必要なものであると考えられ、必要なものは従って価値があるとされ、自分の態度に対して一種の自己防衛的な意味を持った価値を感じるに至る。例えば、屈辱的な態度が自己の安全感に必要であった幼児は、自己の態度をもって犠牲的な献身的な愛他的なものとして、どのような搾取に対しても忍耐し、愛して行く事を良しとし、それによって自己の態度を勝ちづける。また反抗的攻撃的な態度に固定したものは、力が自分の安全感を守る為に必要であると感じて、それに価値観を付与し、権力による成功というものを価値あるものと信ずるに至る。
(三)  このように自分の態度を価値付け、それを価値あるものと考えるに至ると、自ずから自己のあるべき理想像を描く事に至る。この時に重要な役割をするのは想像力である。このようにありたいという理想は、自ずからこのようにあらねばならない像を想像し、その個人個人によって特有の自分の理想像を持つに至る。次に想像の倒錯的な作用によって自分の理想像は理想化された自分となる。理想像の場合にはまだそれを自分の理想像として、ある距離を置いて考えられているが、今やその距離がなくなり、「理想化された自分」を「自己」として感じる錯覚に陥る。「かくありたい」は「かくあらねばならぬ」を経て。今や「かくある」に変ずる。これはこのように感じる事によってそれまで欠けていた「本当の自信」という、安全感の真の基礎となるものの代わりを得る事となり、その人間にある安全感を与える効果を持ち、真の自信の代用物として、患者の安全感に必要なものとなる。(つづく)

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