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講演【老と死を考える】2

講演【老と死を考える】2
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 それからも1-2度見舞いに行ったのです。私は行きますと何となく笑わすんです。例えば子供の時(小さい時から中学まで一緒)の面白い事などを話すとゲラゲラ笑うんですよ。その挙句「ああ、気持ち良くなっちゃった」と云って、ベッドの上でピンピンしちゃう。びっくりするくらい元気になっちゃうんです。1-2度行った時、お子さんが病室を出た時、私の後に付いて来て「先生あなたは、私の父が死にそうになっている事を知ってらっしゃるんですか」「よく知っています」「それでああいう具合にされて良いんですか」「あれは、私がやれる一番良い事だと思ってやっています。この世において、本当に楽しい事、いずれにしても死ぬ事は決まっているんです。だから楽しくしてあげるんです」と。それで二度目に行った時は、「JALの一等席より良い、お前さんの所の会長席より良い、立派な坐り場所が予約されているから安心して、こちらでジタバタして往来なさいな」と云ったら、カラカラと笑いましたね。そして死んじゃいました。はい。
 死ぬ前に自分の一生の事を簡単な事を書きましたね。日本経済新聞に「私の履歴書」というのがありまして、それに代るようなもので、自分の子供に出版させて、一生の思い出を語って死にました。これは一例です。
 次に失ったのは私の弟です。これが広島に居た訳なのですが、広島に原爆が落ちる一日前に福山に移ったのです。軍医をしていました。その翌日に原爆が落ちまして、その死体を処置に行ったのです。その時にやっぱり放射能に侵されていたと思うのです。それが現れて来て、結局骨髄の癌になりまして、これも色々の手続きをして、色々の方法を用いたのですけれど治らない。最後には本当に苦しみに苦しんで死にました。
 私よりも若い者がしぬるという事はすごく打撃だという事を私は感じます。弟の場合もそうですね。
 それから長年一緒に話し合って気持ちの合った友達が亡くなって早速話も出来ない。これも又、失った事はひどい悲しみですね。別離という事をつくづく思います。
 そういう意味で、悲しみという事は当然やって来る訳ですが、この二つの例を私は申し上げました。弟の場合、苦しんで苦しみの挙句で息を引き取りました。おそらくその瞬間には何も考えないで死んだと思いますが、結局私たちは、何で死ぬのかは解りませんけれど、死という事がある事は事実です。
 次の弟はもっと前に、直腸癌で死にました。その次の弟が脊髄の癌だったのです。

あらゆる事に「終わり」がある
 こうやって私が皆さん方に喋っておれるという事は、私は何かのお陰で生かされて喋っている事です。
 そういう意味で、私は改めて生かされている有難さを思うのです。そもそも私は本当は死んでいる人間なんです。簡単な例は箱根で水上スキーをやっていました。水上スキーはモーターボートに綱が付いていまして、スキーが出て、それに乗ってズーッと行くものなのです。50幾つ位の時、芦ノ湖をあっちこっちと行っていました。
 自分のワイフにどうやるのか教えようと思ってやっていたのです。
 ワイフは向こうの岸辺から出るのです。こちらからモーターボートの運転手に「はい」と云ったのです。後で解った事なのですが、ワイフのスキートモーターボートを繋いでいるロープが、私は真ん中に居た訳ですが、スピードが段々出てグーッと引っ張ったのです。何が何だか解らないけれど、ひっくり返ってしまったのです。そして水をガブガブ飲んでしまったんです。アッ、これは死にそうだと思ったのです。これでこのまま行ったら死だなと思いました。ああいう時にどうしてあんな気持ちが起きたのか解らないのですけれど、どういうものか、非常に静かな気持ちになってしまいました。すごく静かな気持ちです。自分は吊り下がっているのですが、目の前を通る水が見えるのです。その足がロープに絡まっているのが解ったんです。その時、このまま死ぬんだなと思った時にフッと取れたんです。と一緒に手が掛かって、有難い事に一本の足が取れたんです。それから次の足が取れて、そして上がったらポカッと水面に上がったのです。
 その時に太陽が燦々として湖の上に照っていた。素晴らしく美しい。生きているとは素晴らしい事だと思いました。それで女房の所へ行きましたら、「あなた、何処に行ってらしたの?」、全く夫婦の縁なんていうものはこんなものだと思いましたね。その時死んでいたら悲しんでくれるかも知れないけど、こっちは全く関係ないですよね。所詮孤独ですよ。そういうもんだと思いましたね。本当にその時思いました。心でも生きても大した変わりはないという事です。
 燦々と日が照って、箱根の緑滴る様は誠に美しい。私が死んだ位では何も変わりはないんです。そういう風な事がある。
 今日は老いとか死とかをどういう風に考えるべきかなどという事をおこがましく云わないのです。云いたくない。これは御仏の御計らいで、それぞれ感じられる事だと思います。それぞれの死があり、それぞれの生がある。その生をどう生きたかによってその死が又異なるのではないかと思いますね。
 そういう意味で、皆さんが私の所にいらっしゃるのに、悩みを抱えていらっしゃるけれど、その悩みというものは大体自分が死ぬという、いま、云った例を除くと普通の場合には我が子の事とか、我が家の事であって、自分が死ぬという事はあまり心配していないですね。よく云われます「私が死んでも子供を助けたい」。本当は死ぬという事を本気になっては云ってないと思います。そういう気持ちであるという事です。解ります。自分の身を犠牲にして子供を助けようと、その気持ちは解りますけれど、あなたがいるからとて、子供が助かる訳ではないのです。ただそういう時に、自分の死という事を考える時に、自分の子供をどんなに愛しても、どんなに可愛がってもいつまでも、いつまでも、自分が子供の世話をして行く訳には行かない。これは解る事だと思います。そうしますと自分の子供に対する本当の愛とはどういう事かと云うと、その子供が自分が居なくとも生きられるような、そう云うような状況というものを作り出すのに助力する。自分が突っ張っていて生かしているのではなくて、その子供自身が生きられるような状況に力を貸すという事、あくまでも主体は生きているお子さんという事が大事だと思いますね。
 そういう事を考えますと、誰でもそうですが、息子さんならお嫁さんを貰い、お嬢さんであればお嫁に行ってやっている。そうすると本当に安心したと仰る。あの中にはどういう事があるかと云うと、結局、一人立ちしてやっていけるなあという安心感がある。もう私たちが世話をしなくても良いのだという事があるからだと思います。親はそれまでの辛抱のようなものです。それまで一生懸命やってあげれば良いと私は思います。
 いずれにせよ、我々にいつかは死が来るという事を考えた上で、自分の子供の教育にも、或いは自分の仕事にも、あらゆる事に関して終わりがある事を考えておく必要があると思います。常にそれを考えて行く。
 私自身ででも今は私が死んだら、自分の妻はどうするだろうかと考えておかなくてはならないと思います。ところが私は非常に呑気なところがあって、あんまりそれを考えないで生きる事ばかり考えていたのです。実は箱根の体験以来、死ぬという事はあんまり恐くない。死自体はね。もう一つ私には死に近い体験があるのです。

どんな生命にも独自の意味がある
 私が召集されまして、沖縄に行く事になりました。その時に丁度昼夜兼行の作業をしなければならなくて、その時私の戦友が一寸気が変になってしまって、ツルハシを振り回してしまったんですね。それが私の手に当たって、私が通信兵だったのでその手が麻痺してしまったんです。ところが私は優秀だったので行く事になっていたのですよ。午前3時に出るのに零時に発表があったのに名前が出て来ないんです。不思議だから何故私の名前がないのですかと聞いたら、「お前みたいにカタワになった奴は役に立たない。だから連れて行かない」と云うので他の人が行く事になったのです。それで私の部隊は午前3時に出て送りに行ったのです。自分としては沖縄に行く事は死ぬ事だと思ったのです。部隊は沖縄へ行く途中、南シナ海でアメリカの潜水艇に爆撃されまして部隊全滅で、私も行っていたら、今、こうしていられませんね。そういう人間というものの何か意味を考える時に人間が最初に生命が与えられる時、赤ん坊にも親にも解らないけれど、どんな生命にもその人独自の意味が与えられているという事、それが私の信念です。そして人間は、その独自の生命の持っている使命を、バラエティがあるのは当たり前です。それを完了した時に死が訪れるものだと思うのです。だからこの世でまだ何かの意味があれば私は生きておれると思うのです。意味が無くなり、果たした時に死んで行くのだと思うのです。これは私の考えで強制するものではありません。
 苦しんだり嘆いたり、辛い思いをさせたり、どうしてこんな目に合うのだろうと感じさせる、しかしそこにその人の生命の大きな意味がある。これが本当にその意味を果たした時に私は死が訪れて来るのだと思うのです。その時に初めて、もうお前は還って来て良いよと生まれて来た処へ還って来る。故郷に還って来る。
 私が戦争に徴兵された時に、父が私を墓地へ連れて行ったのです。山口県の海に近い山の処に墓地があるのですが、そこはとても景色の良い処で良いのです。その墓地の前に立った時に、「ああ、俺は戦死しても還って来る処があるんだな」と、これは偽らざる実感です。青の当時は戦争へ行く事は死ぬ事だったのです。生きる事ではないのです。だからそれだけのものなのです。その時に還る処がある。自分が本当に静かに入れる奥津城処、つまり墓、そういう処があるんだなという事がすごい安心感なんです。何か心が落ち着いて気持ち良くなったんです。
 私がこうして皆さんと話していると、気持ちが或いは生命が、次第にお互いに呼び合いながら何か触れ合って行くという感じがするのです。そしておかしい事に生命をお互いに共にしているという感じがするのです。今、この時に、この場所でこうやっておれるのは何という親しい間柄でしょうね。他の人はディズニーランドへ行っている人もいるでしょう。又ハワイに行っている人もいるでしょうけれどもここでこうやっている方々とは、何か生命を共にしているという感じがするのです。この瞬間を共に生きている、この喜びというものはしみじみとした喜びですね。例えば、今、この瞬間に倒れて死んでも良いような気が致します。

「如」から「如」への旅する生命
 所詮人間の生命というものは永遠ではありません。それは仮に父といい母といい、そういうものの結合を得て、母の胎内を通ってたまたま此処に現れ出て来た永遠の生命の一つの現れであります、と私は信じます。
 そしてカリソメの世の中です。このカリソメの世の中で、自分の与えられたその任務、その使命、その仕事をして、そして静かに目を閉じて行く。そして新しい故郷に、その生まれた場所に還って行く。その生まれた場所を、それを「如」と云うのです。ですから我々の基本的なものは「如」なのです。如から現れて来たものは「如来」です。皆さん、自分の事を如来だと思った事はありますか。如から現れて来たから如来ですが、この世に現れて来た訳ですが、今度は死ぬるという事は、この世から見ると「如去」と云いますが、つまり如から如への旅みたいなものです。
 或いはまた、これを舞台などに比較してみると解りますね。舞台に登場する、又舞台から登場する。あの舞台というのは、人生という仮の場所ですね。そう思うと死というのは、逆に云うと本来の住む処と云って良いのではないでしょうかね。
 つまり私たちは、死という事を何か特別に思っているけれど、本来、「如」と考える。本来の住処の「如」から現れて、そしてそこに与えられた独自の使命を終わった時に、又再びそこに還って来る。又そこでお目にかかるのを楽しみにしております。そういう事を感じますと、こうして一緒にお会いして、この人生という舞台の上で、カリソメですけれどその中でお話をし合い、顔を知り合って会ったという事は不思議な縁だと思います。
 この縁でお互いに心の触れ合いが起きる。心の触れ合いによって、お互いにしみじみと共に生きるという事の喜びを感じる。そしてそこでお互いを敬愛しながら、お互いの生命を、お互いが持っている生命の意味を、本当に尊敬しながら生きている。
 そしてそれぞれがそれぞれの与えられた使命を果たして我が在所に還る。自分の住む処を在所と云ったのですけれど、そういう処に還って来る。
 今の舞台を中心に考える習慣をひっくり返してみましょう。もっともっと広い広大な我々が生じて来る。「如」というものを考えてみましょう。想像してみましょう。そこから現れて来たのです。あなた方に赤ちゃんの前の記憶がありますかと云うと、それはお持ちにならないでしょう。その先が解らないのと同じように死んだ先が解らない。
 孔子は「われ生を知らず、如何ぞ死を知らんや」、私は生も解らないのに、何故死が解るのだろうか。先も後も我々の頭では解りません。しかし我々は感ずる事は出来る。
 例えば、私は自分の家の墓を見た時に、本当に自分は、そこに還って行く処だと感じたのです。本当にそこで自分が感じるもの、こうしたものは理屈を超えています。そして「如」という事を、幾ら頭の中で考えたって解らないのです。けれども我々は生まれる前には、簡単に云うとバクテリアみたいに小さい精子と卵子の中に、遺伝子があって、遺伝子の中に我々の祖先からの色んなものが入っている。それは人間が生まれる以前の、そのまた生物の、そのまた先の生物のそういうものも入っている。そうした永劫のものを感じさせるものが入っている。そういう不可思議な縁で、この世に生まれて来ているのです。そういう無限の世界、広い世界、それを「如来」の「如」と云っています。

生きる事の使命を知る事
 皆さんは色々な意味で、自分自身の使命と、苦しい事であれ、楽しい事であれ、何であれ、女として男として、或いは結婚した人として、それぞれに違った苦悩というもの、それを持って生きて行くという事、生老病死ですが、生きる事の使命をやって行く時に、実は我々の生涯というものは「苦」なんです。舞台俳優がその舞台の役をこなす時、苦労するのと同じように、我々が我々の使命をやって行く上に色々な苦労をするのです。
 生きるという事は、実は楽しい事ではなくて、与えられた使命を行うという意味では苦労だとか、楽しみだとかという事は論外の事である。それが生きるという事である。そういう事を腹を決めれば、これをはっきり受け取って行く事が出来れば、我々はもっと力強く、そこに生きる事が必然的に老という事、死という事があるという事を感じ、そも死が訪れた時に、我々の使命が終了したのだと感じられる事を思われるのだと思います。
 苦という事は、楽という事を喜びますけれど、ある使命を持っている人間にとっては、使命をやって行く事が楽しみなので、使命をやって行く時に生じる苦しみとか、楽しみとかは第二義的なものになるのです。だから、どんな事があっても生きるという事を勧めたい。それは必ず意味があるからです。その人の意味を完全に発揮される事が出来るからだと思うのです。(つづく)

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