見出し画像

メインストリーム・ジャズとクラリネット - クラリネットジャズ紹介14

14回目は谷口英治のIn a Mellow Tone

現代の日本を代表するジャズクラリネット奏者、谷口英治さんの最新のリーダーアルバムである。このアルバムに見られるような谷口英治さんの演奏スタイルは、メインストリーム・ジャズ(モダン・スウィング)というらしい。ジャズクラリネット奏者としてBenny Goodmanのようなスウィング感と明るさ、そして北村英治さんのようなハッピーでとろけるような音色に色濃く影響を受けつつも、それだけでは説明のつかないような締まりのある音楽が構成されている。

谷口英治さんは、ご自身のブログで、メインストリーム・ジャズを以下のように定義づけられている。

メインストリーム・ジャズとは、モダン・ジャズのフィルターを通ったスイング・ミュージックである
「メインストリーム・ジャズはモダンでなければならないが、モダン・ジャズではない」
https://ameblo.jp/norariclarinet/entry-12260206774.html
ジャズクラリネット奏者 谷口英治 のブログ 2017/03/27 「ちっとも主流ではないけれど」

スウィング・ジャズの流行が終わり、ビバップが台頭した時に、スウィング・ジャズは「もうやることがなくなっていたから流行らなくなった」のではないだろうなぁ、と思う。スウィング系のコントロールされたサウンドでやりたいことがまだまだあったミュージシャンと、モダン・ジャズを摂取して今までより自分やバンドを逸脱させることができるようになってしまったミュージシャンとがいたはずだ。バンドの中に2種類の人がいたのかもしれないし、1人の中に2種類の側面があったのかもしれないが、そのようなずれがうまくはまるとこんな音楽になるらしい。

わたしの演奏したことのある範囲の中なので過度な一般化はできないが、日本でクラリネットでコンボジャズをしようとすると、どうしてもメインストリーム・ジャズ寄りの「なんかちょっと遠慮したやつ」になってしまいやすいような気がずっとしている。周りのミュージシャンはモダン・ジャズの影響を色濃く受けている(受けていた)人が殆どである一方、クラリネットはスウィング・ジャズの音の影響を受けている人が多いし、クラリネットに対してそのイメージを持っている人も多い。結果、モダン・ジャズがちょっと遠慮して、明るくスウィングするクラリネットを乗せようとするが、クラリネットもモダン・ジャズな雰囲気にちょっと遠慮した結果スウィングの明るさや伸びやかさを出しきれない、ような感じになる。なんとなく合わさった音は出るが、お互いにちょっと引いた結果なので楽しくなりきれない。遠慮のかたまりをころがしていくような感じで曲が進行してしまうのだ。

しかしこのアルバムに登場する曲たちからは、遠慮のかたまりは聴こえてこない。上で引用したブログ内で、谷口さん自身が「スイングとモダンの間に位置する絶妙なバランスとマナー」と書かれているとおり、本当によいバランスのうえで音楽をしないと、こうはならないのだろう。このアルバムの中でも、メインストリーム・ジャズの絶妙なバランスを成立させている要素はいくつかある。1つは、メンバーが動きで遊んでみやすいリズムとアレンジだ。スウィングのリズムは徹底すると、それだけで音楽全体の方向性や演奏者の気持ちをを強引に奪ってしまうような力がある。そこでこのアルバムでは、リズムが跳ねる・粘る感じはできるだけドラムに委ねてライトにおさえ、スウィングの外にあるような響きの和音や楽器の重ね方をアレンジで意識的にとっているように思う。それによって、曲調から逸脱しない範囲でなら、むしろいろいろやってみやすいような雰囲気が流れているのではないか。Begin the Beguineの冒頭の狭い道をたどるようなハーモニーからのモダン系のソロ、そしてベースのテーマで遊びをもたせてからの真正面に着地、という流れはみんな楽しくて、聴いていてにっこりせざるを得ない。

もう1つの要素は、音のアタックにあるような気がする。クラリネットはどちらかというとアタックを強くつけるのがあまり得意ではない楽器であり、普通に他の打楽器や撥弦楽器と音を合わせると、言葉頭が埋もれてもこもこしやすい。アタックを強めにきかせたり抜ける音色を使ってバランスを取る方法もありそうだが、谷口英治さんとバンドメンバーのバランスの取り方はまたちょっと違う。言葉頭がはっきりしているのはまずあるが、そのうえで他の楽器とアタックの感じが完全に一緒に聞こえるのだ。Shiny StockingsやNo Moon at Allなど、なんてことないメロディーと伴奏の構図の音楽がいつでも反転可能なように聴こえてくる。In a Mellow Toneに至っては、ベースとクラリネットとがぴったり溶けあった感じでテーマが演奏される。クラリネットが頭ひとつ抜けるように聞こえるともっとスウィングっぽくなるのだろうが、このアルバムのクラリネットはバンドと本当に「同じ」だ。だからこそ、「ここからどうとでも変化させられる」ような雰囲気を出せて、それが整ったポップさと可塑性や遠慮のなさとの両立に一役買っているような気がする。どうやって音を出してどうやって歩み寄ったらこのバランスを作り上げられるのだろうか。

ご機嫌で澄んだクラリネットの音色、ごく軽いスウィングのリズム、綺麗に収まりすぎないけど絶対に踏み外さないアドリブソロ、バンドメンバーの自然体でクラリネットにぴったりとつけたバッキング。ずっとある種の「お行儀の良いポップさ」が絶妙なバランスで保たれている。現代の日本におけるクラリネットジャズの、ひとつの正解のかたちがこれなのだろう、とさえ思えてくる。それでいて整っているだけではなく、遠慮のない、一歩踏み出す感じが同時に聴こえてくる。このメインストリーム・ジャズの不思議さに惹きつけられてしまっているのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?