見出し画像

クラリネットジャズの葛藤 - クラリネットジャズ紹介7

7回目は、Tony ScottのComplete Brunswick Sessions。同時期に録音されたMusic After MidnightというLPの内容と合わせたアルバムとなっている。

Tony Scottは、戦後すぐから活躍したイタリア系アメリカ人のジャズクラリネット奏者だ。1921に生まれた彼は、Artie ShawやBenny Goodmanといった煌びやかなスウィング時代を駆け抜けたジャズクラリネット奏者に影響され、10代からクラリネットを始める。ジュリアード音楽院で学ぶなど早くから才能を開花させた彼は、1940年代初頭にミントンズ・プレイハウスに出入りするようになり、Charlie Parkerそして「ビバップ」との出会いを果たすこととなる。

クラリネットと「ビバップ」との関係は、数あるジャズについての文章のなかでも謂れの多いところである。スウィング・ジャズで一世を風靡したクラリネットは、ジャズがビバップ全盛期に入ると、サックスやトランペットにメイン楽器の座を譲った。クラリネットはサックスよりも音の抜けや音量・操作性といった点で劣り、新しいスタイルのジャズの中ではあまり活躍できなくなったのだろう、という言説は様々な場所で見かける。当時の肌感覚のようなものは想像するしかないが、おそらく1930年代に人々がBenny Goodmanに熱狂したように、40年代にはCharlie Parkerに、50年代にはMiles Davisに熱狂する、という大きな流れがあったことは想像に難くない。そのような流れの中において、わざわざ流れに逆らって、ともすれば”ちょっと前に流行った”と見られてしまうクラリネットでジャズをやるのは、葛藤をはらむ活動になりうる。

Tony Scottは、活動初期はビバップスタイルでの演奏を中心に行っていたそうだ。50年代に入ると、自分のバンドを持って、またSalah Vaughanなどのヴォーカルのサイドマンとして、アメリカで進行するジャズのメインストリームの中に身を置いた。このアルバムはそんな50年代の作品である。ビバップの香りのするフレーズ使いや構成を中心としながら、スウィング時代のような軽やかなヴィブラートを伴ったちょっと茶目っ気のあるクラリネットのようにも聞こえ、でもそのどちらのスタイルもやらないような歌い方をすることもある。可愛い曲が多くて全体的に軽やかなアルバムだが、よく聴くと不思議なアルバムだ。

なかでもI Never Knewは、分析しようとすると途端に不思議になる。バチバチにビバップが始まりそうな引っ掛かりを持った綺麗なイントロから始まるけれど、そこに入ってくるクラリネットは透明だ。クラリネットからジャズっぽさすら脱色したような、引っ掛かりも派手めのヴィブラートもない、透明な素の音でテーマを歌う。それがBメロに入る直前に、一瞬でジャズの色を帯びて、Bメロにはジャズクラリネットがいる。ソロが始まると、音の並び方はビバップの色に見えるけれど、アーティキュレーションの持ち方が他のビバップの演奏者とは異なるように感じられる。音の伸びや駆け上がり、そして音が抜かれるタイミングがクラリネット・ナイズドされた(?)ようなビバップのフレーズは、熱狂を生むというよりは、どこかスウィングの時代を思わせ、孤独を感じさせる。

彼は人生をかけて自分の音楽が持てる可能性を見出すべく、様々な音楽に飛び込んでいった。1960年代にはインド日本インドネシアの音楽の中でクラリネットを伴って作品をつくった(めちゃくちゃ面白いのでいつか書きたい)。一聴しただけではスタイル(というか、ベースとなっている音楽)が違いすぎて、本当に同じ人のアルバム…?となってしまう。しかし探究の過程を追いかけるように聴いていくと、その根にはこのアルバムがあるのではないかと思ってしまう。

時代や場所によってスタイルは変わり、そこで求められる音も変わる。クラリネットのような文脈を持った楽器なら、周りから期待される音がスタイルによってがらっと変貌してしまうことも多い。しかし彼は葛藤をはらむ立場を了解したうえで、その原因となる対立した様々なスタイルを自分の中で消化しにかかっているのではないか。スタイルをそれぞれ自分なりに解釈して、演奏として外に出すことで融和させる。この姿勢はスウィングとビバップと彼自身が溶け合うような今作にはじまり、様々なアルバムに通底するテーマになっているように思う。葛藤の中に自らを見つけ出すようなTony Scott自身の探究の過程に、クラリネットが一緒にいることを嬉しく思ってしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?