フェミニズム弁護で頻出する変な論法について
この肘樹さんと言う人は、文を見る限り温和ないい人に見えます。
しかしこの人の今回言っていること、フェミニズムの為の弁明及び説明についてはその論法にかなりの疑問があります。
フェミニズムの弁護や正当化ではちょくちょく見かける論法ですが。
1.道徳理念まで戻してからの弁護
これは結構頻繁に見かける語り口なのですね。
極限まで素朴で抽象的な道徳理念としてフェミニズムを説明する。
これはフェミニズム弁護で頻出する共通の仕草です。
しかしフェミニズムとはそんな曖昧に説明しきれる存在でしょうか?
フェミニズムには学問風のテキストもあるし、それへの批判もあるし、実装としての社会的な運動もあるし、それへの批判もあります。
もっと卑近な話であれば、昨今フェミニズムを掲げて攻撃的な言動やクレームスクラムを繰り広げる集団なんかがいて、そのアンチの集団との品の無い格闘も毎日やっていて、若者がフェミニズムに警戒心や嫌悪感を抱く(肘樹さんが直面したような)原因を作ったりもしています。
それらのフェミニズムの具体的要素や現実的功罪・いま直面する問題には一切触れず、「人間が互いを尊重する」のような非常に抽象的な道徳理念としてのみフェミニズムを説明する。
これはフェミニズムの為の弁明あるいは説明として意味のあるものでしょうか?
2.抽象化し過ぎた道徳理念は無意味
だって、「人間が互いを尊重する」なんて理念にはどの団体も反対しないんじゃあないですか。N党だって統一協会だって創価学会だって自民党だって共産党だってみんな賛成するんじゃないですか?
N党は普通にその理念を掲げられますからね。
「人間が互いを尊重する社会を目指します。そのためにはNHKをぶっ壊す」でいいわけでしょ?
統一協会でも掲げられますよ。
「人間が互いを尊重する社会を目指します。そのためには罪に汚れた日本人はまず天のお父様への献金が必要です」って言うだけです。
なんならKKKにも可能です。
「人間が互いを尊重する社会を目指す。なお黒いのは人間ではない。」
無意味でしょ?こういう抽象的理念は。
誰でも「よかれと思って」「正しいと信じて」始めるんです。
理念は”善意”や”正しさ”に満ちている。
しかしその理念をどんな具体的理論や具体的ソリューションに落とし込むか、と言うところで現実の問題や対立は起きるわけでしょう。
であるのに具体的段階を回避し、具体化のはるか前の理念段階・抽象度を高めた道徳理念にまで戻したうえで、「ほら、フェミニズムは清らか。否定され得ない。」と弁護するのは、それは「何も弁護できていません。0点。」ではないですか。
そんな論法でいいなら弁護できない集団も思想も存在しないからです。
0点で不服であれば、N党や統一教会やKKKと同得点です。
3.相談者のお門違い
肘樹さんのフェミニズムは無意味に還るレベルで抽象的であるのみならず、無鉄砲なほど広範です。(これもフェミニストにはよくある)
以下の相談者との応答にそれが現れています。
まずこの相談者、気の毒だけどちょっとお門違いですよね。
だってそもそもフェミニズムは女権拡大運動ですから、女性間のトラブルを持ち込まれても対応窓口はないでしょう。また社会運動である以上、反動分子と見なした相手は女性であろうがそりゃあ攻撃するでしょう。
相談者には個人的な同情はしますが、訴え内容については
・元よりフェミニズムが担当しない分野の救済を期待してしまっただけ。
・フェミニズムに限らぬ社会運動集団の特徴の話でしかない。
ということになると思います。
つまり相談者の話はあんまりフェミニズムと関係が無い。
4.お門違いも包摂してしまう軽忽
しかし肘樹さんの回答は違うのですね。
なんで?
具体的に何をするの?
これ、フェミニズムへの回収の仕方が非常に強引であるうえ、具体的方策としては何言ってんだかわからんのですよね。
女性間のイジメはそれはあるでしょう。「同性間だから争いも攻撃も本来なら起きないはず」なんて理屈が成り立ちますか?
男性間も日本人間も兄弟間も親子間でも争うのが我々人類の仕様です。
女性が女性をイジメるのだって残念ですが当たり前です。
それを無くすというのはフェミニズムなんかでは無理ですよ。
人類の根本的な無明の話ですから。
それこそお門違い、担当範囲違いと言うものです。
なんでこの訴えについて「それはまさにフェミニズムのマターだよ」みたいなことをパッと言えてしまうんですか?
一見優しく包摂的ですが、私には単なる粗忽と無責任に見えます。
5.結局フェミニズムの内容物は何?
実際に、肘樹さんは相談者の問題に対し、フェミニズムによる実行的な方策を一切授けることが出来ていないわけです。具体的回答が何もない。
ただ
と言っているだけ。
この空疎な言葉。
画像は世界で二億部売れた大人気漫画の主人公の決め台詞で、たびたびこういう無内容な発言をするから私はこの漫画のせりふ回しが好きでなかったのですが、肘樹さんの回答はこれと同じではないですか?
「常に考えをアップデートしなければと思う、それが俺のフェミ道だからよ…」って言ってるだけで、具体的な智慧も理屈も答えも全くないじゃないですか。
6.アップデートしたら何なのか
というか「常に考えをアップデートしなければと思うことが私のフェミニズム」とは一体何のことなんでしょう。
ちょっと空疎すぎて、ちゃんともの考えてる人から出てくる言い回しと思えない感じがあるんですよね。
常にアップデートしていると問題に上手く対応できるんですか? それはどういう論理で?
アップデートした最新版の考えなのに相談者に「寄り添い」風の何か以外何も答えてあげられないんですか?ならそのアップデートの意味とは?
肘樹さんは確かに善意のあるステートメントをしている。
包摂的な対応と殊勝な感じのスタンスを兼ね備えている。
常に考えをアップデートをしなければという意識を持っている。
しかしちょっとよく読むと何言ってんのかわからないというか、
具体的な中身がなんにもない。問題に対応する智慧が出てこない。
どういう取捨の基準で「アップデート」をするのかも示されない。
肘樹さんのフェミニズムは池ちゃんのサブカルに見える
と言ったら言い過ぎでしょうか。
闇雲な意識の高さと言うか。
智慧を欠いた良心と言うか。
7.まとめ
念の為断っておくと、
私はこのエントリでフェミニズム批判は一切していません。
だって全然フェミニズムの話じゃないですからね。
そして肘樹さんがネットで忌み嫌われるような蛮性の高いフェミニストでないこと、基本的に善意の人であることも理解しています。
しかし肘樹さんの論については
・フェミニズムをそのまま弁護するのではなく
極限まで抽象的な道徳理念に戻したうえで弁護している。
その論法ならどんな集団でも弁護出来るでしょう。
・フェミニズムのせいではない領域、
フェミニズムでは対応できない領域まで
フェミニズムマターとして包摂的態度を示している。
そこに具体的ソリューションもないならただの無責任でしょう。
・”自分のフェミニズム”ですら抽象的でフワフワしており
「常に考えをアップデートしなければと思う」は内容空疎。
それで終わりなら池ちゃんのサブカルとどう違うのか。
と言うことを述べました。
8.ナチすら弁護出来る論法について
ただ、ことは肘樹さん個人がどうこうの問題ではなくて
なんだか以前からフェミニズム側からの批判への反論・弁護ってこういう、
大衆が目にしているフェミニズムの実装とはかけ離れた純粋な理想や抽象的理念を掲げて反論、みたいなものが多いなあと感じるんですよね。
批判的な声に対する守備表示状態のフェミニストは、「ただ女性差別に反対するだけ」「みんなが暮らしやすい社会を考えてるだけ」のようなことを言います。極右団体が「祖国と郷土を愛してるだけ」と言うのとなんか似てませんか?実際に当該集団が疑念を持たれたり批判されたりしてるのはそこじゃないでしょ?っていう。
理念や理想の段階までなら資本主義だって共産主義だってナチズムだってなんだって公明正大な善意に満ち溢れているでしょうよ。みんな良かれと思って始めるんです。
そんな論法で弁護するのは非建設的と言うか無意味ではないでしょうか。
フェミニズムに限らず。なんでも。
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