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なぜフェミニズムを学ぶんですか?という問いについて

なぜフェミニズムに関心を持つか?

いわゆる「MeToo運動」のきっかけとなったハリウッド映画界での性被害報道の経緯を描くドキュメンタリー調の再現映画である「SHE SAID」を見てきました。特に(性被害報道の映画であるということ以外)前情報もなく鑑賞したので全体的には学ぶものが多く、また極力「加害者」を画面に登場させないことも含め秀逸な作りであったように思われます。
特に報道側の女性が「被害者はどうして実名を明かして報道させてくれないの?」と思ってはいけない(報道のために新たな傷を負いかねないことを被害者に求めてしまう)のに追い詰められて思ってしまう、そしてそれだけはダメだと窘められるシーンが印象深かったです。映画製作のバックボーンに問題がないとは言い切れませんがまあそれはまた別の問題として…。

上記映画鑑賞についてのツイートを受けてかと思われますが、

「どういう経緯でフェミニズムに関心を持ったか?」という質問を拍手で頂きました。
ツイートでも回答しましたが、ざっくり言えば
【小学生の頃から「なんで女が“オモロ”を取ろうと思ったら男より選択肢が狭いわけ?」という葛藤があり、その上で小中高大と図書館で片っ端から本を読んでいる中で出会っていった】という感じです。
私のツイートを以前から見られている方にはお分かりかと思いますが、私は幼少期の頃から異様に「オモロ」への執着があり、「オモロい」とは何か?と思索する人間でした。

そうなると自然と「男性はいきなり半裸になったりウンコチンコを用いるオモロの選択肢がある中で、女性はそういった点で一歩引けを取っている(取ったとしてきまずい空気になる)な…」ということに気づいてしまいます。
小学生時代にコロコロとちゃおを両方楽しく併読していましたが、当然ながらコロコロのギャグとちゃおのギャグは全く毛色が違うものです。
私と同世代の人間はわかるかもしれませんが、笑う犬の葉っぱ隊が世間でドッカンドッカンなっている中、一度女性がパンツ+ブラ部分に葉っぱを着けたスタイルで出てきたことがありました。あの時自分が感じた「なんで男性だけの時は素直に面白かったのに、女性が出てきたらこんなにギクッとしてしまったんだ?!?!」という疑問と焦燥感は忘れられません。

図書館には様々な本があるもので、オモロに限らず「あるべき姿や振る舞い」というものはあくまで「社会」が作り出したもので、誰も見ていないところから自然と発生したわけではないんだよなァ~…ということを教えてくれました。
そうこうしていれば社会の授業で女性解放運動や部落差別問題、ハンセン病問題などについても学ぶわけで、「声を上げて常識を是正すること」「自分が今当然だと受け入れていることの常識を疑う姿勢を持つこと」を教えていただいたように思います。
特に部落問題について学んだ直後に祖母がぶっちぎりバリバリの部落差別発言をしているのを間近で聞いていたこともあり、「たった二世代違うだけでここまで見えている常識が変わるのだから常に過去から謙虚に学び続けなければ…」という気持ちになったことを覚えています。

つまり、私にとってフェミニズムに関心を持つということは、『男女の性差によって生み出される社会的不平等問題』のみならず、社会問題に出来うる限り関心を持つという上で自然なことなのです。



「フェミニスト」で残念?

…という話をしていたら「先生はフェミニストだったのか?」という質問を頂きました。この時点では質問にどれだけの感情が含まれているかわからなかった以上、「フェミニストの肩書きや思想があろうとなかろうとフェミニズムについて学ぶのは普通」という回答に留めさせていただきましたが、前述のように社会問題に関心を持つ上で否定肯定の立場問わずフェミニズムについて学ぶことは自然なことに思われるためです。(勉強しなきゃ賛同も否定もやりづらいもんね)

そしてその上で私はフェミニストか?と言われれば答えはYESです。私は性差によって生み出されるあらゆる不平等について無関心でありたくはないと思っているため、フェミニストであると自認しています。

ちなみに上記のフェミニストだったんですか?の拍手をくれた方は(匿名であるため本当に同一であるかの真偽は追いようがないにせよ)「他の方の拍手を見てフェミニズムについて学ぶことは他の分野を学ぶことと同様普通のことなのだと知ることができました。」との拍手を追加でくださいました。ギザ…ウレシスなあ…。

この流れで多くの方から拍手を頂きましたが、
「フェミニズムの話をタブー視せずしてくれて嬉しい」というものが大半を占めており、私も嬉しく読ませていただきました。
上の引用ツイート画像内にもありますが、「フェミニズムが曲解されていることが多い」ため、フランクに触れんでおこうと考える人が多いのも当然ではあるのですが……。
つまり、極端な意見や過激な行動、複雑な対立行動が「フェミニスト」「フェミニズム」全体のシーンで蔓延していると思われており、話に出すだけで「つまり…あなたもそういった言動の支持者であるのですね!?」と追及されるのではないか…という恐れがあるとかいうようなことですね。
なんかフェミニストって怖いな、という漠然としたイメージもあると思います。

引用ツイート画像が興味深いのは、この僅か10分足らずの間に
「フェミニズムについて学ぶのは自然、曲解されているのは残念です」という意見と
「フェミニズムについて学びたいが、フェミニストであると自称することは躊躇いがある」という意見、
フェミニストであるということは○○や××に加担するということで、残念だ」という意見が出揃っているところです。
要するに、こういうことを言われかねないからフェミニズムの話がし辛ェ~んだよォ!というオチがキレイについてしまっているというか…。

私の普段のツイートに萌え絵の表現規制に積極的に賛同しているだとか緊急避妊薬の導入を阻害しているだとかがあった上で「!!フェミニスト…だったのか…日頃の言動からしてそうではないかと思っていたが…やっぱりなァ!正体見たり!!!」となるならまだしも、そういった言動をしていなかった人間が「フェミニスト」を名乗った瞬間に「それらに加担している人間」と見なされてしまうのはいくらなんでもアホな話というか、コミュニケーションの破綻だろと思ってしまうのですが……。
(ちなみに私が表現規制あたりで問題視しているのは萌え絵云々よりも、濡れ場のあるBL系コミックスはもっとちゃんと成人指定を受けてその範囲内で売られるべきやろ…ということです。)

人間の思考というものは所属や肩書一つですべて連結して同じ色で塗りつぶされいくわけではなく、一人一人がそれぞれ違った色形で持っているものです。
だから「フェミニストであるということは…(私の中では)○○や××に加担するということですよね……残念だ…」と言われたとしても、お前には誰が見えているんだ………俺が見えないのか…すぐそばにいるのに…としか言いようがない。

「私はレトロゲームが趣味です」という人がいたとして、瞬時に「ってことはぁ…!!!あなたもブラウン管によるドット滲み原理主義者で…PCエンジン本体から聞こえる音色に涙する人間ということですよね…!!!」とは思わないはず。「レトロゲームが趣味です(Nintendo Switch Onlineで64を楽しんでいる)」かもしれない。
肩書や言葉の奥の、人間の多種多様な考えや立場こそが本質なわけで。

私は「フェミニスト」と自認していますが、それはあらゆる性差の問題について考えたいからです。「フェミニスト」と名乗らなかったとしても問題について考えるでしょうが…。

例えば、若い女性が性犯罪報道があった時に、怒りを覚えること。これはフェミニズムです。
そして、男性が被害者の性犯罪報道があった時にも同様の怒りを覚えること。軽んじて面白がる風潮にNOを表明すること。これもフェミニズムです。
そもそも被害者加害者の属性や行動如何を問わず、被害者が守られ加害者の罪が問われる社会であると願うことは自然だと思います。
私にとってフェミニズムはそういうもので、私はそう思っているからこそフェミニストであると自認しています。



フェミニズムは「私」を救うか

フェミニズムのどの辺りに共感されてフェミニストになられましたか? 私は女性が性別を理由に不利な立場に置かれるのは嫌だなと思っていましたが、女性の武器を使って男性に取り入ったり怒られにくい立場を得てズルをする女性達のせいで割を食ったり、同性であるはずの女性達から酷いいじめを受けた経験があり、そうした傷はいっさい救ってくれないどころか、女性を過激に煽り立てて気に入らない女性を攻撃する事すら肯定するフェミニストに嫌気が差すようになりました。参考までにお聞かせ願いたいです。

 拍手より

この拍手を読んで私が感じたことは、「これこそフェミニズムによって守られ、救われなくてはならない"傷"だ」ということです。
自分と同じ側、帯同する存在だと思っていた同性の女性たちから攻撃されたこと。女性が女性を攻撃すること。過激なフェミニストの言動によってさらに傷を負うこと。あまりにも辛いじゃないですか。

あなたが傷を負ったのは、あなたが女で、いじめる側やフェミニストも女だったからではない。
姑息な人間がいて、加害者がいて、あなたが傷を負ってしまった。
それを「お~こわ!!やっぱり女の敵は女なんだよね」「女の問題」「フェミニストは女を攻撃してる」と外部から理由をつけて「女の話」に矮小化されていい話ではないはずです。
女だから女に迷惑をかけられたんだという話ではなく、一人の守られるべき人間が傷を負ったということです。
私はあなたが傷つけられてきたということに、怒りと悲しみを覚えます。

どんな立場の人間であろうと不平等や被害を受けるべきではない、そう考えること、考えを常にアップデートしなければと思うことが私のフェミニズムです。



もっと気楽に考えればいいんじゃない

あれこれ言ってきましたが、私の考えは「フェミニズムって、対立の話じゃなくて、人間が互いを尊重したいと思う上で、暮らしの中でもっと自然なものなはずなんじゃないかい…」ということです。

だから私はツイッターでフェミニズムの話もするし、暮らしに直結する政治の話もしたい。「フェミニストと名乗るのは気が引けるけど…」という人だって、言葉にするのは難しいという人だって、日々社会の中で暮らしながら考えているだけでもいいと思います。

どんな立場の人も、立場や所属や肩書ではなく、その向こうの「人間」として…お付き合いしていけたらいいよねえ~~~~…。

まあつらつら書いたけど、この記事も間違ってるかもしんないけど、また1日後1年後には違う考えになってるかもしれないし、問題も生まれるかもしれないけど、考えを変えていけるのが人間だからね。

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