参謀服部師とぶつぶつ放談 #10
こんばんは。じょーどの赤坂です。「おかえりモネ」が少しずつほどけてきましたね。モネの気持ちがみんなの気持ちが沁み入ります。
参謀服部師の登場
浄土宗新聞が無償化になりざわついた編集部でしたが、そろそろこの方に登場していただきましょう。デジタル編集部参謀!服部師です!
長野に戻ってから戸隠流忍者になりました!
にんにん!
はっとりゆうじゅん
1983年 長野市生まれ
大正大学大学院(浄土学)修了後、浄土宗宗務庁入庁。『浄土宗新聞』の編集を12年間担当し退庁、長野の自坊に戻る。雑誌『浄土』では「ぶつぶつ放談」の編集を担当。
農作業後と原稿出稿後の一杯が至福の時間。
好きなものあれこれ:荒吐ロックフェス/深夜ラジオ/ラップバトル/キングダム/nwoとか大仁田が暴れてた時の新日プロレス/馬場さんがいて四天王が元気だった時の全日プロレス/居酒屋のカウンター
ホーム居酒屋:葛飾・立石「白虎隊」のカウンター/長野・中氷鉋「安さん」のカウンター ※新HPより(未発表)
服部師は浄土宗宗務庁に入って、長らく「浄土宗新聞」を担当した、浄土宗でも数少ない編者者としてのスキルを備えた浄土宗僧侶です。ご存じの方も多いと思います。
(ラップバトル好きなんですね。私もyoutubeでアドレナリンとか見てます)
服部師と編集長の出会い
浄土宗宗務庁の東京事務所は、増上寺の裏手にある明照会館に入っております。現在の法然上人鑽仰会の事務所も同じ会館に入っております(私は鑽仰会の事務所に行ったことないです、、、)
つまり服部師と村田編集長は昔から顔なじみだったわけですね。
服部師も大正大学大学院で浄土宗の教えを学んでから、その後、浄土宗宗務庁に入庁し、浄土宗新聞(当時文化局)に配属され、一から編集について学んだことと思います。
そういう意味では、長く編集の仕事をしていた村田編集長とは通じるものがあったと思います。
「誰か若手の(浄土宗僧侶で)編集者いない?」
と編集者にとって後継者を探し育てることは大事なことのようで、互いに冗談のような本気のようなやりとりをしていた仲であったそうです。
時は経て、昨年3月。
服部師は12年間務めた浄土宗宗務所の仕事に区切りをつけて、長野の御自坊に戻られました。もちろん忍者になるためではありません。
私も好きな服部英淳先生が務めたお寺です。
当時編集長になる前の、法然上人鑽仰会の編集メンバーだった村田師がこれを見逃すわけもなく、おそらく法然上人鑽仰会が今後新しいことを進めていくうえで、真っ先に必要なピースと確信していたと思います。
雑誌『浄土』では、昨年からぶつぶつ放談という村田編集長と服部師による新しい企画が始まりました。
これは新ホームページが始動する前の話です。
おそらくここに村田編集長や服部師の想いが込められているように思います。
続きはまた次回に。共生合掌。