【おまけ】田村円澄①
こんばんは。じょーどの赤坂です。
法然上人鑽仰会のこと以外にも、今読んでいる仏教・浄土宗の本の、特に気になった言葉など少し紹介したいと思います。基本的にかび臭い本が中心です。
田村円澄『浄土思想の展開』(永田文晶堂・昭和23年)
田村円澄
1917年 奈良県に生まれる。1941年 九州帝国大学法文学部国史学科卒業。1952年 京都帝国大学大学院(旧制)修了。 九州大学・熊本大学教授・九州歴史資料館館長等を経て、九州大学名誉教授・文学博士。
【主な編著書】『法然』(人物叢書)、『古代朝鮮仏教と日本仏教』、『法然とその時代』法蔵館、『日本仏教史』法蔵館、『半跏像の道』学生社、『仏教史散策』山喜房仏書林、『大宰府探求』、『飛鳥・白鳳仏教史』、『伊勢神宮の成立』他 (吉川弘文館HPより抜粋)※2013年没
大正大学に通っていた頃に、先生が『法然』を紹介していたと思うのですが、史学が専門ということで、今の今まで、まったく御縁がありませんでした。
内容は、(1)浄土思想の展開、(2)法然の思想と生涯、(3)法然・隆寛・親鸞、(4)日本思想史の課題 の論文4本立てです。(1)と(2)が中心なので、少しだけ書きたいと思います。
浄土思想の展開
現世から後世へではなく、後世から現世へといふ通路が開かれるのである。いふまでもなく源空以前の浄土思想は現世から後世へを基調としてゐたのであり、源空はまさしく後世より現世への通路を開いたのである。(67頁)
『浄土思想の展開』は31歳の作で、京都大学大学院文学研究科に在籍していたころに書かれ、序には義父塚本善隆先生にいつも激励されたとあります。
法然上人以前の浄土思想は(主に源信)、来迎図や曼陀羅など「観想的形相的世界」としての浄土が中心でした。今でこそ、浄土宗では「南無阿弥陀仏」と口に称える念仏を第一としていますが、法然上人以前は、念仏も観仏も読経もみな雑多に修行され、なんなら念仏より観仏の方が功徳が優れているとされていました(観称勝劣)。
これまでは、来迎図や曼陀羅を掲げて「自分たちの修行の功徳によって、極楽浄土に往生は可能である!」という”現世から後世へ”の一方的なものでありました。自力です。
それを法然上人は、「観想的形相的世界」としての浄土ではなく、阿弥陀仏の「本願の世界としての浄土」を見出すことにより、
我があって如来の本願に乗ずるのではなく、はじめに如来の本願があり、その本願によって我々の救済が与へられるのである。本願はあちらからのものである。(64頁)
と、現に今生きている阿弥陀仏の本願があるからこそ(私への働きかけ)、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることによって浄土に往生できる。つまり”後世より現世へ”の他力の救済という歴史的な展開を起こしたのであります。
本当の意味で、「あの世とこの世の通路」が開かれ、易しいお念仏が、最も勝れた往生浄土の行になったのです。この転換はやはり歴史として注目された部分であったといえるでしょう。
ではまた。共生合掌。
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