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足利銘仙の宣伝・販売戦略 vol.4

こんにちは。
桜のシーズンも終わり、既に半袖の登場が何度かあるくらいの暑さの日が出てきましたね~北関東に来てから冬が終わったと思うと一気に暑さを感じ、春を実感する期間が少し短くなったような気がします。それだけ私はここまでの暑さに慣れていないということですね(^-^;
と言っても最近は東北でも尋常じゃない暑さの日が出てきたと聞きますが、今年も酷暑が迫ってきてると感じる今日この頃です。今年も、暑さに負けず、夏の北関東の名所を味わっていきたいです!
 
 
それでは、今日は足利銘仙の宣伝、販売戦略の四つの柱、デザイン性の高い銘仙を宣伝するようになった結果、百貨店での取り扱いも始まり生産高日本一を誇る銘仙となったということです。
 
足利銘仙の流行の要因として、その一つに独自のマーケティング力をここまでお話してきましたが、それらが功を奏した結果、日本橋三越などの一流百貨店での取り扱いが始まり、百貨店と提携した陳列会も開催されることとなり、足利銘仙の黄金期を築きあげたそうです。
そしてこれには、百貨店の時代に合わせた転換期も関係しています。
百貨店では、1923年の関東大震災を景気に、中産階級以上の高所得層から大衆へと販売戦略の転換がありました。そこで、百貨店では、販売側の利益は低いが低価格ゆえ商品が大量に動くことを期待できる特売会を繰り返し開催していました。この特売会に銘仙は起用され、絹織物としては安価でありながらも,デザイン性が高くまたデザインが豊富な銘仙は特売会の商品に適当であったそうです。
セールという文字を見るだけでなんとなく引き寄せられてしまったり、ワゴンセールの中から掘り出しものを探す楽しみ、お得だからこそついつい買ってしまう楽しさと小さな後悔(笑)、買っただけでも満足できるストレス発散などなど、、、きっと当時の女性も、自分の好きな服を着る、買うということ自体をみんな平等に楽しめていた証とも言えると思います。
また百貨店で取り扱われることで、足利銘仙も一つのブランドに更に成長し、私も着てみたいという女性の憧れの対象にもなったかもしれませんね。
 
 
ここまで数回に渡って、足利銘仙の宣伝・販売戦略についてお話してきました。商品を売り出す過程は、今も昔もそう変わらないという発見と当時の足利でそれらが実現したいたことに驚きもあります。そして足利銘仙は、高いマーケティング力とブランディング力で商品としての価値を更に成長させました。その結果、当時の社会変化も相まって女性のオシャレの実現や女性の自立化・民主化にも影響を与えました。次回からは、そういったことも考えていきたいと思います。