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第6回 回り道の最短ルート(前編)

上野純先生(東京都公立学校小学校教員)

明星大学通信教育課程正科生1年次 小学校教員コース卒業


小さな頃からの夢であった、小学校教員として、現在東京都の小学校教員として日々子ども達と向き合っている上野さん。

元々は、“普通に大学に進学して”小学校教諭の免許取得を目指すつもりでしたが、経済的な事情もありそれは叶いませんでした。

今回は、通信制の大学で学位と、教員免許状の取得を目指す“正科生”について、上野さんの話をもとにスポットをあてます。

(今回は、インタビュー形式ではなく、コラム風にお送りします)。


「高校時代はクラス委員長をやったり、部活の部長をやったり、比較的まわりを引っ張っていく存在でした」と上野は当時を振り返る。

 高校の友人達とは、大学の進学について話をし、進路指導の教員からも大学進学を前提とした進路指導を受けていた。ほぼ全員が大学進学を目指す、都内の私立高校に通っていたので普通のことともいえる。

しかし、上野は“普通の大学”への進学ができなかった。理由は、経済的な事情。

「大学を諦めなきゃいけないとなった時、やはりショックでした。周りにも言えずで」

 一時は、高校卒業も危ぶまれる状況ではあったが、何とか高校を卒業した上野はいわゆる浪人生活に入る。大学への進学を断念した事により、気持ちは落ち込んでいたが、「子どもの頃に文集にも書いていた」という「先生になりたい」という夢への強い想いは変わらなかった。


日野キャンパスでお話を伺いました

当日は 「少しでも現場を知りたい」と思い、「学習指導補助員」に応募をしたところ採用され小学校で働く事になった。「学習指導補助員」の仕事は、教員への夢を持ち続けていた上野には大変刺激的で、充実感があり、ますます教員への想いが強くなった。

 「夜間の大学に通いながら教員免許を取るという道があることは知っていた」という上野だったが、学習指導員として働いていた学校の先生に、「通信制の大学という道もあるよ」という事を教えてもらった。実際に職場の先生の中でも、通信制の大学で教員免許状を取得した人がいて、「そんな道もあるんだ」と新たな可能性に興奮すら覚えた。

 たまたま職場にあった明星大学通信教育課程のパンフレットを早速読んでみると、「これは良いかもしれない」と思った。

「学士号も教員免許状も両方取得できるというのがとても魅力的」と、上野の中ではこれが最も自分の中に響いたのである。

 しかし上野にとっては、通信制の大学というのは未知の世界。不安はなかったのだろうか。

「自分の中で、通学制だからとか通信制だからとかは、あまり考えませんでした。回り道になるかもしれないけども、自分にとっては“学習指導補助員の仕事をしながら続けられる”という事の方が魅力に感じました」という。また、経済的な事情によって、大学進学を断念したことから学費が通学制よりも安い事も魅力であった。

 社会科の教員を目指すか、小学校の教員を目指すか迷っていたが、職場の先生方からも「上野君は小学校の先生に向いているのではないか」というアドバイスもあり、小学校教員を目指すことを決意し、2011年に明星大学通信教育課程 正科1年次 小学校教員コースに入学をする。

 高校時代に思っていた「大学に通って教員を目指す」というイメージと大きく違ったものになったが、「教員を目指す道」がスタートした。

 目的は明確になっており、志も高く入学したが「最初に見たテキストの量にはさすがに動揺しましたね…『これをやらなきゃいけないんだ』と。少し現実逃避もあって、無駄にテキストを積み上げたりしましたよ」と振り返る。誰かに教えてもらうのではなく、「自学自習」をしなければいけないという現実を突きつけられたのだ。

 テキストの山を見て、少し不安を覚えた上野ではあったが、再度気持ちを入れ直す出来事があった。それは、入学後に行われたガイダンスでの事だった。


2011年5月に行われたガイダンスの様子

「『正科生1年次生が4年間で卒業するのは、簡単な事では無い』と事務局の方から説明があったんです。それを聞いて、“絶対に4年間で卒業しよう”とスイッチが入りました」と振り返る。

 実際、正科生1年次生が4年間で“ストレート”に卒業するのは簡単な事ではないという事はデータでも出ている。“働きながら自らスケジュールをたて、その通り実行していていく事“が大変であるというのが大きな理由の一つであった。

 しかし、元来の負けず嫌いの性格もあり、また、「最短で“先生になりたい”」という思いが上野を突き動かした。

「ひたすら孤独な戦いだった」と振り返る日々。仕事を終え、「1日1時間でも2時間でも良いから勉強しよう」と仕事帰りに、カフェや図書館で勉強をした。通信制の大学で最も苦労する事は、レポートの作成である。単純計算で、卒業までには100本以上のレポートを手書きで書く必要があるのだ(注:2022年度よりオンライン提出に移行)。

当時使用されていた指定のレポート用紙

「でも、幸い書くことは苦では無かったんです」と語る。上野が卒業した高校では、国語の授業で文章を書く機会が多くあり、書くことには慣れていたのだ。そういう意味では、通信制大学の学習は合っていたのかもしれない。

後編につづく