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夏の夜に爆走した話

昼間は暑いんだけれど、気持ち良い風が吹く夜は過ごしやすい。
夏の夜はとても好き。清少納言に同意。

自由で、誰にも見られていなくて、寛大で、
なんでも出来るような気さえする。


ふりかえれば夏の夜は、大切にしている思い出が多い。
ものの輪郭がはっきりするから、
記憶に残りやすいのか。
極度の寒がりな私が、夏にはわりと活動するからなのかもしれない。


何年か前の夏、真夜中。
あいつが自転車で会いに来た。
どこに行くアテもなかったけれど、
私を自転車の後ろに乗せて、彼は走り出す。


よく2人で散歩していた通りにグラウンドがあり、昼間は熱心にスポーツをしている人で賑わっている。
その日、真夜中のそこには誰もいなかった。


広い芝生は、電気も消えどこまでも真っ黒で、
突然自分ごと飲み込まれてしまうような気がして、少し怖かった。


目が慣れてくると、だんだん周りが見えてきて、月や星が優しく光りだす。
お互いの顔がぼんやりと見え、恥ずかしかったのを覚えている。


気付くと芝生の真ん中にいて、そこに座った。
グラウンドは外から見ていたのと違い、
信じられないほど広くて、この世に自分たち2人しか存在しないと錯覚した。
2人とも長い間、なにも言わなかった。


遠くに光が見える。
その光を熱心に見つめると、懐中電灯だと分かった。
持ち主は、見廻りの警備員だった。

どうやら、いてはいけないところにいるらしい。
彼は私の手を握り、冷静に、ゆっくりと立ち上がった。
「こういう時はな、相手をよく見て動くねん。」
「それって熊とばったり出くわした時のやつやん。背を向けたら殺されるやつ。」
「そう。よく観察して、相手が見てないところに移動すんねん。」


………不良め。


私は小心者で、規則を破ったり人様に怒られるようなことを極力避けてきた人間なので、
ついに耐え切れなくなった。犯罪ということばが頭に浮かぶ。


彼の手を振りほどき、警備員のいない、入口とは反対の方向に猛ダッシュした。小さく悲鳴を上げていたと思う。
やばい。やばい。不法侵入で怒られたくない。
彼がいきなり会いにきたからめちゃくちゃ派手なショートパンツ履いてるし。恥ずかしい。捕まりたくない。


しばらく茂みに隠れた後、火事場の馬鹿力というやつで、グラウンドの端に生えていた木によじ登り、外通路へと生還したのである。たぶんすり傷や泥だらけだったし、蚊にも10箇所ぐらい刺された。


入口からだいぶ離れてしまったので、コソコソとあいつの様子を見に行った。
フェンス越しに、目があって私が外にいることを確認すると、
涼しい顔をした彼が、堂々と入口から出てきた。
「おっちゃん行ってもうたで。君どうやって出たん?」


くそ。


ごまかしようが無いので成り行きを白状すると、爆笑された。
私もおかしくなって、2人で息が止まるほど笑った。
「君はおもろいなぁ。」
そう言いながら、彼はまだ笑っていた。


彼とは正反対の人生を歩んでいたけれど、こういう時に、少しだけ、ベクトルが重なるのを感じた。
ほんの一瞬だけだけれど。


そういえば彼といる時には、よく流れ星を見た。
一緒に見るのではなく、
片方が見て、片方が悔しがり、
「うそやろ絶対。」と言い合うような風に。


もう10年ほど前、一度だけ、同じ流れ星を一緒に見た。
その時も、少しだけ、人生が重なっていたのかも知れないと、今は思う。


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