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3.22



朝起きる。
なんにもすることがなくて(あるけど)手持ち無沙汰な毎日。

ま、ちょっくら、図書館でも行くかと思いチャリでこぎこぎすると海士町のママに会う。
バイト来いとなる。バイト行くとなる。

図書館で作業する。

家の灯油を払い忘れてたので、本吉燃料へ行く。
そういや、あのおじさんバイト探してるんだとか言ってたなと思い声をかけたら、まさにめちゃくちゃ探してたらしく、ここに暇なやついますよ、と名乗りをあげる。実は確信犯として行ったけど。

そのままおじさんが経営してる飲食店で皿洗いして図書館に戻る。

気になっていた事業所へふらっと話を聞きに行く。トントン拍子で進み、とりあえずその課の情報発信を進めていくことになった。やったー!考えることが増えてうれしい。

その後は主軸で動かしてるコミュニティ運営の
zoomを。方向性を正して4月からやってくぞーとなった。





全力の話。

いままでなにかに熱中するとか、情熱をかけるとか、一生懸命みたいな言葉が似合わない私であった。猛進していく人たちを横目で見ながら、浅瀬で自分を守っていたのかもしれない。

かっこいいな、とは思いながら、
自分はなれない、と思っていた。

なにかを全力でやってみる
でも全力をかける何かがわからない
自分が何をやりたいのかわからない
何かをみつけたら全力になれるもんだと思っていた

尊敬している友人にそのことを相談すると
遠い何か、じゃなくて、姿勢なんじゃないと言われた。全力でなれる何かを探すんじゃなくて、身近にあるすべてに全力をかけてみる、そういうことなんだと教えてくれた。

良くも悪くも、周りにいる人に影響され感化されるわたしである。いつも一緒にいる人が、一直線で好きなことに向き合う姿勢に「ううー、かっこいいなー。」と思っていた。わたしも無事に感化されています。





海士町に来て3ヶ月が経とうとしている。
いちばん嫌いだった、情熱とか変化とか成長の風が吹いている。いちばん変わったのは、わたしの心かもしれない。

嫌いというのは、心に引っかかるということである。好きも嫌いもプラスとマイナスが違うだけで、その人自身に与える影響力は同じである。本当に興味ないものには関心すら湧かない。

だから、こいつきらいだな、とかこの言葉嫌いだな、とかいうのは、心のどこかでうらやましくもあるということになる。ニキ、そういうことなのである。

変わることを美しいと思おう。
人はうつろいゆく者であり、昨日言ってたことが明日には撤回するのが人間なのである。

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