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自分について

 大分県のとある限界集落、そこで牧場を作るお手伝いをさせてもらうことになった。

 僕は、30年以上自己嫌悪を抱えて生きてきた。今もそれは消えてはいない。何故そうなったかもいまだにわからない。けれど、もしかすれば小学校の入学式から不登校になって、それが何かとても悪いことなのだと大人達の態度から感じて罪悪感を持ちながら生きてきたからなのかもしれない。
 大人達は僕を見ると不安を覚えるようだった。例えば平日に一人で公園を歩いたりしていると、多くの大人は避けるか、あるいは学校は?と聞いてくる。その目はどこか見てはいけないものを見ているような目をしていて、何故か大人達は僕に怯えているのだと思った。そして、子供が平日に外にいることにひどく腹を立てている人もいた。それはどうやら自分のせいであるらしかった。でも、どうすることもできなかった。ただその怯えを自分もその大人達に対して感じて、外の世界が怖くなった。
 全ての時間がそうだったわけではなかったけれど、学校がある時間帯は人目を避けるようにして、生活することが多くなった。人の顔色を探るようになった。その癖はそのまま自分がどう見られているかという不安とセットだったし、その罪悪感をなんとかするために中学から学校に通い始めたけれど、何も学校生活について知らない僕はなおさら人の顔色を見て正解の行動を探らないといけなかった。(今思えばそんなことしなくてもよかったのだろうけれど、当時はそれが自分の全てだった)人が笑えば笑って、怒れば怒った。そうすれば普通になれると思っていた。けれど、そうすればそうするほど、その「普通」からは遠ざかっていった。何をするにもいつも人とテンポがズレていて、心も身体も動きがぎこちなく、同級生でさえ自分のことを気味悪く思っているようだった。
 そうやって自分は自意識過剰で自己嫌悪の強い人間になった。
 けれど、今は少し違う。多くの経験を重ねて色んなものを諦めたというのもある。そうやって少しづつ自意識を捨てていくことが出来た。でもそれよりも今はありのままで良いと本気で思ってくれる人達と生活することが出来ている。どんな自分でも受け入れてくれる人がいる。そう思えて、力が抜けて、心も身体も動くようになって、今は穏やかな気持ちでいる。

 もうすぐ馬が来る。馬が来れば多くの物事が馬中心で回り始める。暮らしの音も馬が奏でる音に合わせて鳴り始める。朝飼い、お手入れ、運動、草刈り、馬房の掃除、馬場の整備、言い出せば切りがないほどの音が生まれていく。言葉を持たない馬のその音ひとつひとつに応えていく。できれば、その中で生まれた音を書き留めていきたい。子どもたちが零しながらも馬の桶に水を淹れて、おしっこで濡れたチップを文句を言いながら掻き出す音や、馬の蹄からボロ(馬糞)を取って、その馬が軽くなった足で馬場を駆ける音を。

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