見出し画像

自分は冷めてるのか?

先日、「今までで一番興奮した経験は?」ってテーマでジャーナリングする機会がありました。
興奮?あんまり思い当たることないなってなって、ほんと幼少の頃以来興奮するって感情、気持ちが高ぶることってあんまりないなと思って、自分冷めてるのかな?と思いました。
「冷めてる」
そのことを悪いとは思わなかったんですが、どういうところが冷めてるのか、なんで冷めてるのかそういう面にフォーカスしてみようと思いました。

冷めた感情はどこから?

自分の中の冷めた感情が芽吹いたのっていつからだったんだろう?
ああしたらこうなるってある程度考えられるようになった時かな?
そうすると小4くらい?
幼少期はこうしたら幸せになれるかな?こうすれば親や周りから愛情もらえてワクワクした生活出来るかなって色々夢みてたけど、ことごとく挫折していつのまにか諦めて(ほんとはあきらめきれてないんだろうけど)、なんか拗ねてしまって、親からの愛情なんかも諦めてしまったところあるかな。
そんなやって冷めた感情出来上がったと思う。
「どうせ~だな」って現実的に考えるようになった気がする。自分と家族に期待しなくなった気がする。
幼少期からワクワクすることを求める力強かったから、常にワクワク探してたけど、日常をそんなに変えられる力なかったし、ワクワクすることをしたいって気持ちを周りから抑圧されていたところがあったかな。
そういったところで一種の挫折感から、あきらめが生まれて現実的なことを考えるようになった気がする。
自分に対して現実的にしか期待していない面が生まれた。
現実的にこんなもんかなって気持ち強くなった。
あと、冷めてる面で言えば人間関係もそうかなと思う。
あんまり他人と深く関わろうとは思わないし、他人のことに興味ない面もある。

「最近親切にしたことは?なんで親切にしようと思った?」ってテーマでジャーナリングやってみた時に家族以外の人への親切って利害関係しかないなと思ったんですよね(みんなそんなものですかね?)。
他人に期待していない、他人を信用していない。
油断したらすぐに自分を否定する敵みたいに認識しているところもある。

冷めてるようで冷めていない?

一方で、心の奥にワクワクを求める心はしっかり残っていて、ワクワクに敏感な部分がある。
全然感情が動かないってことはなくて、むしろ感情の起伏は大きいと思う。
感動もすごくする、感情移入しすぎる(アニメ、ドラマでの辛いシーンなんかを長期間引引づる)。自分の心の動きにも敏感。感性強い感じある。
今思うと、うつの時も今の寂しさから抜け出したいって強い気持ちがあったし、それが空回りしていた感じがあります。
実際は冷めてるっていうか感情に蓋をしている部分がある。
やりたいことに貪欲、突き進んでいける情熱もある。
それに気づけたのは自分の中の怒りだったんですが、
あれしたいけどできないって怒りの強さ=あれしたいって気持ちの強さだなって気づけたんですよね。
情熱の上がり具合、冷め具合の幅は大きいように思うんですが。。。
情熱もっていたものが急激にどうでもよくなる時があるんですよね。

結局どうなの?

結局、現実的な部分はとことん現実的に考えてて、生活に変化起こせないって自分に期待していない面があって、他人を信用(期待)していない面もあって、そういう部分を「冷め」として認識していることが見えてきました。
実は感性、感情は豊かな部分あるけど、それを表に出さないように無意識に蓋をしているんだな、表に出さないようにしてるんだなってことにも気づくことができました。
うちに秘めてる情熱、欲みたいなパワーは大きいけど、それを抑制するのにもパワー使っているみたいな(なんかそんなアニメキャラいたな)。
HSS型HSPの気質を例えるのに車のアクセルとブレーキを同時に踏むような感じって表現されるけど、まさにそんな面を持ってるんだなってことを知れました。

そんな自分で悪くないなって思えているのは、ジャーナリングなんかで内観して自分を理解出来てるからだと思います。
自分自身の得体が知れなかったのが、今は得体の知れるものになってきているからでしょうね。
自分の取り扱い説明書が広がって来ているなと感じます。
そんな自分とこれからも最大限に付き合っていって自分の世界を広げていきたいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?