駐在生活で唯一ぼっちが苦痛になった思い出

我が家は夫婦共に一人でも平気なタイプ、特に夫は「仕事を思い出すから休日にまで会社の人(日本人)に会いたくない」という人間です。
普段の海外生活ではそれで全く支障がありませんでしたが、一つだけ弊害がありました。(以下「独りぼっち」=ボッチと表記)

それは駐在生活後半、ボッチ生活もプロになってきた頃です。
当時夫の仕事関連で、日本人が集まるイベントに出席しなければいけなかったのですが、これでぼっち生活のデメリットを実感することになりました。

在住日本人同士の交流を謳ったイベントでも、誰も話す人がいないので基本家族だけでひたすら飯をかっ込むことに。
時折、夫の会社の人に挨拶はしますが、初対面では家族構成が似ていない限りそれで終わります。会話が下手というか、どこまで食い込んでいいのやら。きっと相手もそうだと思う。

家族だけでもいつかは途切れる会話…
別にそこまで美味しくないご飯(作り置きの日本食)…
ジリジリと焼いてくるアメリカの日差し、人込みとBBQ(ありがち)の熱気…

私たちがつまらない思いをしてまで、熱中症になりかけてまで、
このイベントに参加する意義とは…(出席者の数合わせでした)

というところまで意識が飛んだところでふと気が付きました。
周囲はみんな和気あいあいとしていることに。


……
………

そうです。皆さん大体お誘い合わせの上来ているのです。
そういえば、私もボッチではなかった頃、人間関係を頑張っていた新米駐妻の頃は、こうしたイベントにはお誘い合わせの上来ていました。
生来のコミュニケーション長者でもない限り、アメリカに来た途端パーティで初対面の人と盛り上がることなんてそうそうありません。
ましてや日本でパーリーとは真逆のタイプだった人間が、太平洋を越えただけでいきなりコミュニケーション能力の鬼になれるわけがないのです。

だから、そういうのが苦手で、なおかつパーティでボッチやつまらないくすぶった思い出も残したくない!という欲張りさんな時は根回しが必要だったのです。

自分にとってはクソつまらないパーティでしたが、おそらく似たようにイヤイヤ参加している人もパーティ向きじゃない人ももちろんいたでしょう。
でもその人たちは、事前に参加者を聞いたり親しい人を誘ったり時間を合わせたりして苦痛を軽減させている。

その反面、我が家はどうでしょう。
ボッチなくせに、いやわりとガチなボッチだからか?事前に根回しもせずに交流系イベントへ来てしまい、砂をかむような思い出を海外生活の1ページに刻み込んでいる。
巷では「群れから離れた方がかっこいい!メリットある!!」という風潮がありますが、本当にそうでしょうか。
とりあえず群れから離れた我が家の様子を見てほしい。端的に言ってつまらなそうだしイケてない。

つまらないパーティを少しでも楽しくするための労力を惜しんだばかりに、つまらないものをさらにつまらなくさせている。
パーティを断る勇気もなかったくせに、何も根回しせず都合の良い展開を期待して来てみたしっぺ返しがどっと来ました。
(ここでいう都合の良い展開とは、誰かフレンドリーな人や数少ない友人が来ていて楽しく会話する的なアレです)

大人になって、いい歳こいて、何をやっているんだろう。

結局群れるのもボッチになるのも、一長一短、今はデメリットの面、ただそれだけじゃないか。上も下もないじゃないか。

群れる群れないで上下を決めたがり、
何かと群れない人は群れる人を下に見がちだが、
今群れていない自分たちは 明らかに場を楽しんでいない点で「下」ではないか。

群れる人を批判するのは根底に群れることができない人のやっかみがあるのではないか。少なくとも私はそうだ。すみませんでした。
人間は社会的な生き物だし、どうしたって他者と関わるのだから群れずに生きるのは(私には)無理だ。もう牛後でいい…

ボッチにとってパーティやイベントは鬼門。
何かしらの対策をするか、
居心地の悪さを味わうか、
ボッチからの進路変更をする(ポリシーを捨てる)か…

何かを選択する時は、何かを切り捨てなければならない。

そんなことを考えながら自宅へ帰ったある夏の日の思い出でした。


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